韓国の世界遺産を全部解説!一覧でわかる韓国の歴史

1972年にUNESCO(ユネスコ)「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が採択されてから現在まで1052件(2016年現在)が登録されている「世界遺産」。165か国に点在する遺産には歴史的建築物から雄大な自然、絶滅の危機にあるものまで様々あり、国の主要観光地として有名な存在となっています。今回は世界中に存在する世界遺産から日本のとなり・韓国にある世界遺産を見ていきましょう。

国の歴史がわかる「文化遺産」

8世紀の建築物「石窟庵と仏国寺 」

8世紀の建築物「石窟庵と仏国寺 」

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石窟庵と仏国寺は、8世紀ごろの景徳王の時代、宰相の金大城によって慶州市(キョンジュ)南部に建立された遺跡で、1995年に世界遺産(文化遺産)登録。
8世紀ごろの景徳王の時代、宰相・彫刻家であった金大城(700 -774)により建立されました。

世界遺産のある慶州は紀元前1世紀頃に始まった新羅の都である徐羅伐(ソルボル)、金城(クムスン)が置かれていた場所。
石窟庵は山の斜面を円形に削り花崗岩の石材を積み上げた人工石窟で、本尊は新羅仏教芸術の最高傑作と言われる高さ3.45mの如来座像。
本尊が向いている東南東方向の延長線上には統一新羅の英主・文武王(ムンムワン)の海中陵があり、王朝が仏の力で国を守ろうと追う思いを込めていたという説があります。
朝鮮王朝時代以降は忘れ去られた存在になりますが、1909年に再発見されると再修復され現在の姿に。

仏国寺は前世の父母のために建立された石窟庵に対し、現世の父母のために建立されたもの。
創建当初は約80棟の建物を持つ大規模な建物でしたが、1592年に発生した豊臣秀吉による「文禄の役」で石垣、石段などを残して焼失。
以後修復を繰り返し現在の姿になったのは1973年。
3領域に分かれた伽藍の「大雄殿」には新羅仏教美術を代表する石塔・多宝塔・釈迦塔が残されています。

縁起の良い「海印寺大蔵経板殿」

縁起の良い「海印寺大蔵経板殿」

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海印寺大蔵経板殿(ヘインサ・テヂャンギョンパンヂョン)は韓国南部・慶尚南道(キョンサンナムド)陜川(ハプチョン)郡伽耶面にある802年建立の寺院で、世界遺産には1995年に登録。
新羅(しらぎ。
紀元前57年から 935年にかけて存在した朝鮮半島の国家)時代の僧侶・義湘(ぎしょう)によって建立されたと伝えられています。

建物の名前にある「海印」とは「3回叩けば品物が出る竜王の印」を意味する言葉で、かつてはこの場所に保管されていたもの。
聞くだけで幸運が得られそうなものですね。
建物は高麗八萬大蔵経版(こうらいはちまんだいぞうきょう。
仏教聖典が書かれた木版から刷られた経典で、現存する大蔵経としては最高峰とされている)を保管することから「法宝寺刹」と呼ばれており、これを収蔵する蔵経板殿は1488年に建立された寺院内最古の建物。

高麗時代(こうらい。
918年から1392年まで続いた朝鮮半島の国家)には元(げん。
1271年から1368年まで中国・モンゴル高原を支配した王朝)に攻め込まれ火災に見舞われることもありましたがその後修復。
現在ある本殿は1817年に再建されたものになっています。

歴代の王が眠る神聖な場所「宗廟」

歴代の王が眠る神聖な場所「宗廟」

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太祖・李成桂(イ・ソンゲ)が漢陽(現在のソウル)に遷都した1394年に建築を開始、翌1395年9月に完成した建物。
儒教思想に基づいて造られた「神聖な場所」とされており、李成桂をはじめ道徳に適った政治を実施した19人の王と王妃の位牌49位を安置する宗廟の中心「正殿(チョンジョン)」、1421年に第2代国王の定宗(チョンジョン)の位牌を祀るために建立された「永寧殿(ヨンニョンジョン)」などによって構成されています。

国を代表する神聖な場所ですが、1592年に発生した豊臣秀吉による「文禄の役」時には破壊されてしまい、1608年に再建。
現在は大韓帝国(だいかんていこく。
1897年から1910年まで李氏朝鮮が使用した国号)皇室の末裔(まつえい)である全州李氏の宗家が祭祀を取り仕切っており、毎年5月には全州李氏一族が集まる無形文化遺産の「宗廟大祭」が行われています。
現在でも歴史を大切にする心がこうした儀式にも現れていますね。







国内最古の建物が多く残る「昌徳宮」

国内最古の建物が多く残る「昌徳宮」

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昌徳宮(チャンドックン)は李氏朝鮮第3代国王・太宗(テジョン)時代に、景福宮(キョンボックン)の離宮として1405年に建立された建物。
1412年に建設された韓国において最古の門「敦化門(トンファムン)」や1411年建設の韓国最古の石橋「錦川橋(クムチョンギョ)」、建物の中心的存在である「仁政殿(インジョンジョン)」などで構成されており、国の中でも古い建物が多く残っています。

国内にある歴史的建築物と同じく1592年の「文禄の役」では建物が焼失、1615年に再建されたのちは以降約270年間にわたり朝鮮王朝の王が暮らす宮殿となります。
1910年の日韓併合後に初代李王となった純宗(じゅんそう)、大韓帝国最後の皇太子李垠(イ・ウン)に嫁いだ妃・方子もここで暮らし、1997年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。

歴史的建築物以外には宮殿の庭園として設けられた「後苑(フウォン、秘苑(ピウォン)とも呼ぶ)」もあり、韓国を代表する庭園として季節を問わず多くの観光客が訪れています。

最新技術が投入された城壁「華城」

最新技術が投入された城壁「華城」

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華城(ファソン)は韓国の北西部・京畿道(キョンギド)水原(スウォン)市にある遺跡で、李氏朝鮮の22代国王・正祖(せいそ)が政治の争いによって亡くなった父・思悼世子(しとうせいし)の墓を楊州(ヤンジュ。
京畿道北部にある街)から水原に移した際に築かれた城壁。

その大きさは約5km以上、総面積は130haになると言われ、建立の際には「挙重機(コジュンギ)」と呼ばれるテコの原理を応用した工具による工期の短縮、中国経由で伝わった西洋の建築技術の導入、石材とレンガを使用。
これらは朝鮮後期の実学者・丁若鏞(ていじゃくよう)が担当しており、近代的な考え方に基づく当時の最新技術を多数採用しているのです。

その後1950年に勃発した朝鮮戦争により一部が破損しますが、1975年から「華城城役儀軌」と呼ばれる築城記録をもとに復元。
現在城郭の内部は市街地となっており、1997年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されています。

屋根のない博物館「慶州歴史地域」

屋根のない博物館「慶州歴史地域」

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韓国の慶州(キョンジュ)市周辺に残る古墳・史跡は2000年に「慶州歴史地域」世界遺産に登録されており、かつて紀元前1世紀から10世紀にかけて新羅(シルラ)王朝の都が置かれていた場所。

主に善徳(ソンドッ)女王の墓などがあり古来より神聖な場所とされた「南山(ナムサン)地区」、新羅の王宮が置かれていた「月城(ウォルソン)地区」、慶州防衛時に要塞的役割を果たした「山城(サンソン)地区」、643年から1232年にかけて存在した「皇龍寺(ファリョンサ)跡地区」、新羅時代の王・王妃の古墳が集中する「大陵苑(テヌンウォン)地区」で構成されており、東洋最古の天文台「瞻星台(チョムソンデ)」や新羅時代の城跡「半月城(パノォルソン)」もこの地域に残っています。

こうした歴史的な史跡が集中していることから「屋根のない博物館」と呼ばれることもあり、南山地区には岩肌に直接掘りこまれた「磨崖仏(まがいぶつ)」も多数残存。
月城地区にある「国立慶州博物館」では古墳から出土した仏教美術品、新羅時代の文化遺産を見ることができます。

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