韓国の世界遺産を全部解説!一覧でわかる韓国の歴史

国最大の支石墓密集地「高敞・和順・江華の支石墓群」

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高敞、和順、江華は(コチャン、ファスン、カンファ)の支石墓群は、2000年に文化遺産として世界遺産登録された遺跡で、高敞の支石墓群は全羅北道(チョルラプクト)高敞郡に、和順の支石墓群は全羅南道(チョルラナムド)和順郡に、江華の支石墓群は仁川(インチョン)広域市江華郡にあります。

名前にある「支石墓(ゴインドル)」とは「紀元前1000年から紀元前100年にかけ大きな石で造られた墓」を指し、ここにあるものは長い石柱の上に石を載せた「北方式支石墓」と数個の支石の上に塊石を載せる「南方式支石墓」の2種類。
支石墓の形はフランス・ブルターニュ地方で見られた「ドルメン(大きな天井石と支える数個の石で構成される巨石記念物)」に近い形で、世界的には朝鮮半島が最も多いと言われています。

中でも韓国最大の支石墓密集地域とされる高敞の支石墓群は北方式・南方式が混在する支石墓群で、東西約1,764mの範囲に447基が分布。
多様な形の支石墓が存在していることから「支石墓の変遷」を理解するのにも適していると言われています。

歴代の王が眠る「朝鮮王陵」

歴代の王が眠る「朝鮮王陵」

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朝鮮王陵は(ちょうせんおうりょう)は韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にある、朝鮮王朝時代の歴代王族が眠る王陵で1408年から1966年にわたって築かれたとされています。
2009 40基の王陵が国内9番目の世界遺産として登録。

墓は李氏朝鮮の首都・漢陽(ハニャン)を中心に広州(クァンジュ)市、寧越(ヨンウォル、江原道(カンウォンド)の街)郡などに広がっており、中でも最大規模の王陵は京畿道(キョンギド)九里(クリ)市に位置する「東九陵(トングルン)」。
李氏朝鮮の初代君主・李成桂の「健元陵(コヌォンヌン)」をはじめ第14代国王・宣祖(ソンジョ)と王妃の「穆陵(モンヌン)」、第18代国王・顕宗(ヒョンジョン)と妃の「崇陵(スンヌン)」が眠っており、王陵の造られ方や歴史を紹介する「歴史文化館」を設置。

李氏朝鮮の初代君主・李成桂の高祖父にあたる李安社(りあんしゃ)、李安社の四男である李行里(りこうり)、李行里の四男・李椿(りちん)、李成桂の父・李子春(りししゅん)と妃の陵墓は北朝鮮側にあります。

伝統的な生活様式が残る「河回と良洞」

伝統的な生活様式が残る「河回と良洞」

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韓国慶尚北道(キョンサンプクト)安東(アンドン)市にある「河回村(ハフェマウル)と良洞村(ヤンドンマウル)」は韓国の伝統的な生活習慣を現代に残す世界遺産で、2010年に文化遺産として世界遺産に登録されています。

16世紀に両班(りゃんばん、高麗・李氏朝鮮時代に官僚などを務めた身分階級)・豊山柳氏の一族によって築かれた河回村は村をS字に囲むように川か流れ地形からその名がついたとされており、「文禄・慶長の役」で活躍した宰相・柳成龍(りゅうせいりゅう)などを輩出したことで有名。
地域には瓦葺き・茅葺きの家が良好な状態で保存されており、村に伝わる伝統芸能「河回別神グッ仮面劇」は現代でも上演。
目に見えるもの以外の文化も大事にしているのですね。

一方の良洞村も「両班」制度の存在した村として知られており、雪蒼山(ソルチャンサン)を背にして伝統的な生活様式・家屋を保存。
雪蒼山(ソルチャンサン)から伸びる4本の尾根は漢字の「勿」に似ているといわれ、陰陽道では「富をもたらす」意味があるとされています。
伝統的な雰囲気、幸運をもたらす風景が同時に残る点も貴重ですね、







現在は紅葉狩りの名所でもある「南漢山城」

京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)市にある「南漢山城(ナムハンサンソン)」は、1624年から1626年にかけて建立された全長約11.7km、総面積約60万平方キロメートルある城で、首都・ソウルから南東約25㎞の場所にあります。

敵国からの防御のために建立されたと伝わっており、1637年に清(しん。
現在の中国)が侵攻してきた際には王が47日間にわたってここに籠城したことも。
戦いの際に城に備えていた武器は刀・弓矢だけであったことから、激しい火力兵器を搭載した清の前に敗戦。
戦いに敗れたあとは更なる改築が進められ、1894年の「甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう。
東学党の乱とも呼ぶ)」や1950年の朝鮮戦争を経て現在も復元作業が進められています。

現在の内部は東門(左翼門:ジャイクムン)、西門(右翼門:ウイクムン)、南門(至和門:チファムン)、北門(戦勝門:チョスンムン)の大門を備えており、周辺の人々のハイキング・紅葉狩りスポットとしても親しまれる存在に。
季節の変化と歴史観光が同時に楽しめるところが良いですね。

歴史的・絶景スポット「百済歴史地域 」

歴史的・絶景スポット「百済歴史地域 」

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百済(くだら)歴史地区は2015年に新規登録されたばかりの世界遺産で、4~7世紀に朝鮮半島西側で栄えた百済の古墳群。
忠道南道(チュンチョンナムド)公州(コンジュ)市にある公山城(コンサンソン)は熊津(ウンジン。
現在の公州)に百済の首都が置かれた時代に築かれた城であり、538年に扶余(プヨ)に遷都されるまで王都の防御拠点として活躍。
現在は「歴史的スポット」であると同時に夜景の美しさでも知られています。
百済の第25代王・武寧王(ぶねいおう)の墓「武寧王陵(ムリョンワンヌン)」は1971年に発見され、出土された遺物は「国立公州博物館」などで展示。

扶蘇山城(プソサンソン)は百済の第26代王・聖王が538年に熊津から扶余へ遷都した際に築いた山城で、百済最後の瞬間を目撃した城でもあります。
近くには百済が新羅・唐の連合軍に敗れた際に3000人の宮女が身を投げたとされる「落花岩(ナックァアム)」の姿も。
去りゆく百済と命を絶った人々の最後の姿がここに残されているのです。

雄大な自然を残す「自然遺産」

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