中国にヨーロッパが出現!?マカオの世界遺産全部解説!

マカオのイメージといえば、やはりカジノでしょうか。香港に通じる、ゴージャスなイメージをお持ちではありませんか?しかし、マカオには30もの世界遺産があるんですよ。そしてそのほとんどがヨーロッパ風の美しい建物だということをご存知でしょうか。その理由は、マカオがかつてポルトガルの植民地だったことに由来します。今回は、マカオにある30の世界遺産すべてについてそれぞれご紹介していきますので、お付き合いください。
  • style="display:inline-block;width:336px;height:280px" data-ad-client="ca-pub-1386733479651016" data-ad-slot="6199981080">

マカオという都市について

マカオという都市について

image by iStockphoto

マカオは中国のマカオ特別行政区のことで、大陸の南部、珠江デルタにあります。
香港とは珠江の河口を挟んで西側がマカオ、東側が香港という位置になっていますよ。

特別行政区には大幅な自治権が認められており、独自の行政機構で運営されています。
香港も同様です。

人口は約64万人、公用語は広東語とポルトガル語となっています。

なぜポルトガル語かというと、それはマカオの持つ歴史に由来します。
そしてそれもまた、マカオが世界遺産を持つ街となったことに関係しているんですよ。
それは次の項目でご紹介しますね。

世界遺産「マカオ歴史地区」とは?

世界遺産「マカオ歴史地区」とは?

image by iStockphoto / 99445919

マカオには、1513年にポルトガル人が来航しました。
当時の王朝・明との貿易を目的としていたのです。
1557年には居留権を得ますが、この頃フランシスコ・ザビエルもやって来て東南アジアや日本で布教活動を行いました。
日本とは、鎖国になるまで長崎で貿易を続けたのです。

そして1849年から1999年までポルトガルの植民地となりました。

こうした背景があるため、マカオにはポルトガルやヨーロッパ、そして中国の影響の両方が見られるのです。

それがよく現れているのが、世界遺産「マカオ歴史地区」なんですよ。
ポルトガル植民地時代からある古跡の数々には、西洋と東洋の文化の融合や共存を感じることができるんです。

そしてそれらは、9.3㎢という決して広くはないマカオ半島内の、特に南西部付近に集中しています。
そのため、30もある世界遺産は割と簡単に回ることができるんですよ。

では、ここからマカオ歴史地区にある30のスポットをご紹介していきましょう。

1. 媽閣廟(マーコミュウ)


媽閣廟は、1488年に造られたマカオ最古の中国寺院です。
マカオの街が造られる前からあったために中国式の色合いが濃いんですよ。
媽閣廟(マーコミュウ)という名は、「マカオ」の語源になったとも言われています。

ここには「阿媽」という航海の女神が祀られています。
4つの廟があり、阿媽の他にも別の神様が祀られているんですが、1つの建築物の中で複数の神様を祭るというのは中国文化に特有なんです。
古くから儒教や仏教、道教など色々な信仰が共存・混在していた中国ならではの姿をみることができますよ。

参拝者が供える線香の形が、渦巻き型でユニークです。
日本ではありえない形なのでびっくりするかもしれませんが、これがここのスタイルなんですね。

2. バラ広場


バラ広場は、媽閣廟の前にある公園です。
波のような模様をした石畳が美しく、これはポルトガルで「カルサーダス」と呼ばれているんですよ。
他の広場でも見られます。

ところで、バラ広場の「バラ」は花の薔薇ではないそうです。
バラ広場は英語で「Barra Square」と表記するので(Rose Squareではないんです)、れっきとした地名のようですね。

媽閣廟とバラ広場がある場所は「バラ岬」といいますが、ここはポルトガル人が最初に植民した場所と言われています。

3. 港務局(こうむきょく)

3. 港務局(こうむきょく)

image by iStockphoto

イタリア人カッスートによって設計され、1874年に建設された港務局ですが、元々はムーア人の兵士の宿舎として使われていました。
彼らはマカオの警察の人員補充のため、当時ポルトガルの植民地だったインドのゴアから派遣されてマカオにやって来たのです。

ムーア人とは北西アフリカ付近に住むベルベル人のことで、イスラム教徒でした。
彼らの住まいということで、建物はイスラム教の祈りの場所・モスクに似た雰囲気もあり、その当時インドを支配していたムガル帝国の作風を取り入れてもいます。

また、高温多湿なマカオの気候に合わせ、風通しを良くするために回廊がもうけられています。
クリーム色と白の組み合わせがやわらかな雰囲気ですよ。

4. リラウ広場


リラウ広場は中国語名を「亜婆井戸(亜おばあさんの井戸)」といい、人々にとっての憩いの場所となっています。
樹齢数百年とも言われる大きなガジュマルの木が目印ですよ。

「リラウ」とはポルトガル語で「山の湧水」を意味しており、かつてここにあった井戸はマカオの重要な水源であり、入植してきたポルトガル人にとっても大切なものでした。
「リラウの水を飲んだ者は、マカオを決して忘れない」という言い伝えがあるほどです。

5. 鄭家屋敷(ていけやしき)


孫文や毛沢東など、中国の偉大な指導者たちに影響を与えたという思想家・鄭観応(ていかんおう)の住居が、鄭家屋敷です。
彼の父や兄弟によって建てられ、1869年頃にはすでに建てられていたとされています。
それ以後修復が重ねられ、今では4,000㎡を超える大邸宅となりました。
これは、マカオで最大の個人住宅となります。

大小60以上もの部屋があり、一時は300人強もの人々が住んでいました。

西洋風のアーチ型の装飾があったり、インドから輸入された真珠貝の建具に中国風の格子窓がはめこまれていたり、円形の入口があったりするなど、中国と西洋の建築様式が混ざり合っているのが特徴です。

修復に8年をかけ、2010年に再公開が始まっていますよ。
入場人数に制限があるので、見学の際は注意してくださいね。

鄭観応とは?

鄭観応とは清末期から中華民国時代の人で、広東省出身の思想家です。
上海にあったイギリス資本の会社で働き、そこで西洋の政治経済について学びました。
清末の重鎮・李鴻章(りこうしょう)に取り立てられましたが職を辞し、マカオに引っ込みます。
そこが鄭家屋敷なんですよ。

中華民国時代になると、教育者として若者の育成に力を注ぎました。

6. 聖ローレンス教会

6. 聖ローレンス教会

image by iStockphoto

マカオ三大古堂のひとつで、1558年から1600年にかけて建設されたカトリック教会です。
現在の建物は1846年に再建されました。

別名を「風順堂」と言いますが、かつてここからは海を見ることができ、船乗りの家族がここで良い風が吹くようにと祈りを捧げたことが由来です。
風は、航海の安全を左右する重要な要素でした。

金と白が基調の美しい教会の中には、聖ローレンスの生涯や聖母伝説を描いたステンドグラスが飾られ、豪華なシャンデリアがそれを照らしています。
フランシスコ・ザビエルの像もありますよ。

聖ローレンスは、3世紀にローマ皇帝の迫害によって殉教した聖人です。
この頃は、ローマ帝国によってキリスト教は迫害され、殉教した人は聖人に列せられる人もいたんですよ。

7. 聖ヨゼフ修道院及び聖堂

7. 聖ヨゼフ修道院及び聖堂

image by iStockphoto

聖オーガスティン広場に面した聖ヨゼフ修道院及び聖堂は、中国や日本、その他アジア諸国へのキリスト教布教の拠点となりました。
1800年にはポルトガル女王から名誉ある称号「伝道信徒団の館(レアル・セミナリオ)」を授かっています。

中国を代表するバロック建築でもあり、ねじれた柱やドーム型の天井にそれが表れているのでご注目下さい。
その天井には、イエズス会のシンボル「H I S」の文字が刻まれています。
また、フランシスコ・ザビエルの上腕部の骨が安置されていますよ。

修道院は見学不可ですので、ご注意ください。

8. ドン・ペドロ5世劇場

8. ドン・ペドロ5世劇場

image by iStockphoto

聖オーガスティン広場にあり、爽やかなミントグリーンの壁が印象的なこの建物は、アジア発の西洋式劇場として建設され、当時のポルトガル王の名を冠しています。

正面入口には太い円柱が何本もありますが、柱の頭の部分に渦巻き状の装飾があります。
これはイオニア式と呼ばれる古代ギリシャの建築様式で、重厚かつ優雅さの極みとされているんですよ。

当時、この劇場は社交場としての機能がメインで、男性しか出入りを許されていませんでした。
しかし今は劇場として、マカオオーケストラの本拠地としてマカオのエンタテインメントの中心となっています。

以前は非公開でしたが、今は見学ができますよ。
300席ほどの小さな劇場ですが、上品さはさすが当時の社交場といった雰囲気です。

9. 聖オーガスティン教会

9. 聖オーガスティン教会

image by iStockphoto

ドン・ペドロ5世劇場の向かい側にある聖オーガスティン教会は、別名「龍の髭寺院」とも呼ばれていました。
修復時にお金がなく、ヤシの葉を使って屋根を直したところ、それが龍の髭に見えたんだそうですよ。

この教会最大の行事「パッソス聖体行列」は、マカオ一有名なキリスト教行事です。

四旬節(しじゅんせつ/復活祭の46日前の水曜日から復活祭の前日)のうちの最初の日曜日に行われますが、復活祭自体が3月末から5月頭と変動するため、行事は2月以降に行われます。

教会のキリスト像を、大堂(カテドラル)まで紫色の装束に身を包んだ信者と聖職者が運び、翌日に戻ってきます。
ここに安置していたキリスト像を大堂に移したところ翌日にひとりでに戻って来ていたという言い伝えが、この行事の元となっているんですよ。

10. ロバート・ホー・トン図書館


聖オーガスティン広場に面したこの図書館は、元々は1894年以前に建てられ、ポルトガル人女性の所有でしたが、やがて香港の実業家ロバート・ホー・トンの別荘となりました。

1955年の彼の死後、遺言によってマカオ政府に寄贈され、1958年に図書館として開館します。
2005年には新棟も建てられ、現在はマカオ最大の図書館として、多くの人々が本に親しむ場となっているんですよ。

黄色の壁と白いアーチが美しく、図書館にも個人宅にも見えないほどのスケールの大きさを感じさせます。
庭も広く手入れが行き届いており、実はテラスに本を持ち出して読むこともできるそうですよ。
こんな図書館、日本にも欲しいですよね。

11. 聖オーガスティン広場


聖ヨゼフ修道院及び聖堂、ドン・ペドロ5世劇場、聖オーガスティン教会、ロバート・ホー・トン図書館がある聖オーガスティン広場は、波模様の石畳「カルサーダス」が美しく、南欧風の建築物に周囲を囲まれた広場です。
ここが中国だとは信じられないような、ヨーロッパの街並みを目にすることができますよ。

12. 三街会館(関帝廟)


セナド広場の隣にある三街会館は、營地大街、関前正街、草堆街の3つの通りの商店会(「街」は中国語で「通り」の意味)ということでこの名前が付きました。
1913年にマカオ中国商工会議所の設立と共に役割を終えますが、一緒にある関帝廟には訪れる人が絶えません。

関帝とは三国志の人気武将・関羽(かんう)のことで、商売の神様としても信仰され、各地に関帝廟があります。
日本の中華街にもあるんですよ。
商売に成功した人たちがおさめた像もあり、幾つもの関羽像が見られます。
三国志ファンも訪れたい場所ですね。

13. 民政総署(みんせいそうしょ)


1784年に建設されたこの建物は、ポルトガル統治時代はマカオ市役所として、現在はマカオ特別行政区の役所として使われています。
ポルトガル時代は「レアル・セナド(忠誠なる評議会)」と呼ばれ、セナド広場の由来となりました。

中庭へと続く通路の壁には、アズレージョと呼ばれるポルトガルの青いタイルが一面に貼られており、その美しさは必見ですよ。
中にはポルトガル詩人ルイス・カモンエスや作家のジョアン・デウスの像、天球儀があります。
天球儀は地球儀とは異なり、地球を中心として惑星が周りを取り巻くものです。
ポルトガルが全盛を誇った大航海時代の栄光を示しているんですよ。

14. 仁慈堂(じんじどう)

14. 仁慈堂(じんじどう)

image by iStockphoto

セナド広場にある仁慈堂は、アジア初の慈善施設としてポルトガル司教カルネイロが1569年に建設しました。
中国最古の西洋式病院があり、航海に出て亡くなった人の孤児を収容する孤児院もありました。
仁慈堂というもの自体は、ポルトガルのレオノール女王がつくった慈善団体のことなんですよ。

現在は公証役場となっていますが、1905年に造られた白い建物が広場でもひときわ目立っています。
2階の博物館には、カトリック絵画や創設者のカルネイロ司教の頭蓋骨などが展示されています。

15. セナド広場

15. セナド広場

image by iStockphoto

セナド広場はマカオ観光の中心となる広場であり、マカオの目抜き通り「新馬路(サンマァロウ)」の始発点でもあるため、たくさんの人で終日にぎわっています。

民政総署が「レアル・セナド(忠誠なる評議会)」と呼ばれたことにちなんでセナド広場という名前となりましたが、波模様のカルサーダスはポルトガル本国から職人を呼んで造らせたという力の入れようなんですよ。
石もポルトガルのものを使っています。

中央にある噴水の側に腰掛ける人が多く、これを真似してみると、広場の周囲はすべてパステルカラーのヨーロッパ風の街並みだということに気づきます。
じっくりと街角観察をしたくなる場所ですよ。
夜はライトアップされ、とてもロマンチックな雰囲気です。

16. 聖ドミニコ教会 17. 聖ドミニコ広場

16. 聖ドミニコ教会 17. 聖ドミニコ広場

image by iStockphoto

聖ドミニコ教会は、1587年にメキシコのアカプルコから来たドミニコ会のスペイン人修道士が建設しました。
レモンイエローの壁とグリーンのドア、白漆喰の飾りで彩られたファサードと呼ばれる建物正面は、マカオでいちばん美しいと言われているんですよ。
バラの聖母(ロザリオの聖母)像があることから、「バラ教会」とも呼ばれています。

毎年5月13日に行われる「ファティマの巡礼」が名物行事です。
午後6時に聖母マリア像がマカオ南西部の山の上にあるペンニャ教会に運ばれていくんですが、これはポルトガルのファティマという街に聖母が出現したという奇跡に基づいているんですよ。
なんとこの奇跡はバチカンの公認なんです。
そのため、この日には多くの巡礼者がやって来ます。

聖ドミニコ広場は、聖ドミニコ教会の前にある広場で、カルサーダスが目を楽しませてくれます。
ここは歩行者天国になっているので、いつでも混雑しています。

18. 大堂(カテドラル) 19. 大堂広場

18. 大堂(カテドラル) 19. 大堂広場

image by iStockphoto

1622年に建設された大堂(カテドラル)は、初期のものは土とわらのレンガでできていました。
現在の建物は1937年に造られたものです。
カテドラルとは、キリスト教におけるカトリック教区の中心で、司教が置かれる位の高い聖堂のことなんですよ。

かつてはここに船乗りの妻たちが集い、夫の無事の帰りをここから祈りながら眺めていたので、「望人寺」とも呼ばれていました。

また、聖オーガスティン広場からやって来る「パッソス聖体行列」の目的地でもあります。

大堂広場は大堂の前の広場で、壁には青いタイル「アズレージョ」が飾られています。

20. 盧家屋敷(ろけやしき)


セナド広場近くにある盧家屋敷は、中国人貿易商・盧華詔(ろかしょう)の家として1889年に建てられました。
盧華詔はマカオに何件も大きな物件を所有していた大富豪で、18世紀半ばにマカオにやって来てから銀行業で成功した人物です。
慈善事業にも力を入れた篤志家でもありました。

盧家屋敷は灰色のレンガを使った中庭付きの2階建ての建物で、クラシックな中国式の住まいの典型です。
しかし、随所に西洋の味付けがなされており、それは多用されているステンドグラスや繊細な植物柄などが彫り込まれた壁で確認することができますよ。

同じ世界遺産の鄭家屋敷の規模とはまったく異なりますが、静かな魅力を放っています。

21. イエズス会記念広場

21. イエズス会記念広場

image by iStockphoto

聖ポール天主堂跡へと続く階段前の広場が、イエズス会記念広場です。
広場自体を訪れるよりも、階段で聖ポール天主堂跡をバックに写真を撮るために通過地点という認識の観光客も多いようですね。

ポルトガルと中国の友好のしるしとしての銅像が設置してありますよ。

22. 聖ポール天主堂跡

22. 聖ポール天主堂跡

image by iStockphoto

マカオ歴史地区最大の知名度を誇る場所が、聖ポール天主堂跡です。
1835年の火災によって教会建物の正面(ファサード)と68段の階段以外は燃えてしまいました。

聖ポール天主堂は、1602年にイエズス会によって創設されました。
当時はアジア最大のカトリック教会で、アジアでの布教の中心となっていました。
だいたい、日本では関ヶ原の戦いが終わって徳川家康が江戸幕府を開いた頃になりますね。

この頃日本はキリスト教を禁止・弾圧していましたが、この時迫害された人々は、実はここに渡って来ていたのです。
天主堂のファサードの彫刻は別名「石の説教」と呼ばれるほど宗教的な意味合いが強いものなのですが、この創作にそうした日本人も関わっていたんですよ。
建物の基礎部分を掘り起こした時に、彼らの遺骨も見つかったのです。

残っているファサードの裏側には階段があって、上の方へと登ってみることができます。
この階段からファサードの窓にコインを投げ入れて、もし成功したら幸運が訪れると言われているそうですよ。
観光の際は、ぜひお試しくださいね。

23. ナーチャ廟 24. 旧城壁


聖ポール天主堂跡のそばにあるのが、1888年に建てられた中国寺院のナーチャ廟です。

祀られているナーチャとは「哪吒」という中国の神様で、武道や疫病退治をしてくれる子供の姿をしており、とても暴れん坊だということですよ。
「西遊記」や「封神演義」などの中国文学作品にも登場するので、名前を聞いたことがある方もいるかもしれません。

屋根には蓮の花のモチーフが見られますが、ナーチャが蓮の花や葉の形をした衣服を身に着けていたり、蓮の花から肉体を再生したりしたということから来ています。

キリスト教のシンボル的な聖ポール天主堂のそばに、こうした中国の民間信仰の寺院が建てられているのも興味深いですよね。
昔から、マカオの宗教や文化が多様で柔軟だったことがわかります。

ナーチャ廟の隣にあるのが旧城壁です。
その名の通り、17世紀初頭にポルトガル人の居住地区を守るために造られた城壁なんですよ。

土砂やワラ、カキの貝殻をミックスした「シュナンボー」という素材を使ってできているのが特徴です。

25. モンテの砦

25. モンテの砦

image by iStockphoto / 82357855

聖ポール天主堂跡の横にあるエスカレーターに乗って海抜52mの丘の上に行くと辿り着くのが、モンテの砦です。
1617年から1626年にかけて、イエズス会修道士の協力の元に築かれた要塞なんですよ。
20基以上の大砲が備わっているんですが、北側(中国側)の壁だけ低くなっており、大砲はありません。
一方、東・西・南側にはたくさん大砲が設置されています。

1622年、オランダ軍がマカオを狙って攻め込んできましたが、ここからの砲弾が相手の火薬庫に着弾し、それが勝利につながったということです。

18世紀半ばにはマカオ総督官邸が置かれ、1960年代のポルトガル軍撤退までは軍事施設として使用されていました。

大砲のひとつひとつを見ていくと、その中にまるでマカオの超高級ホテル「グランド・リスボア」に照準を合わせているかのような一基があります。
もちろん、狙っているわけではありませんよ。

26. 聖アントニオ教会


マカオ三大古堂のひとつに数えられ、長い歴史を持つ聖アントニオ教会は16世紀に建設され、イエズス会の拠点となりました。

最初は竹や木で造られた質素なものだったそうですが、1638年に石造りに改修され、1930年に現在の姿となっています。
庭には、1638と刻まれた十字架がありますよ。

1874年にマカオを台風が直撃した際、落雷で教会は燃えてしまったそうです。
しかしその炎が、避難する人たちを導いて命を救ったという逸話があるんですよ。

聖アントニオは結婚を司る聖人であるため、ここで結婚式を挙げるカップルが多いんです。
そのため花がいつも飾られており、「花王堂」とも呼ばれています。

27. カモンエス広場


聖アントニオ教会近くのカモンエス広場は、ポルトガルの詩人ルイス・カモンエスの名を冠した公園と広場です。
彼は1557年から2年間マカオに滞在して詩作を行いました。
すでにご紹介した民政総署の中庭に胸像があります。

広場には中国だけでなく東南アジアの植物も多く植えられており、エキゾチックな雰囲気もありますよ。
主に地元の人たちがのんびりと過ごしていて、観光客は少なめのようです。

28. カーザ庭園


カモンエス広場とプロテスタント墓地の間にあるのがカーザ庭園です。
ここは1770年にポルトガル人大富豪マヌエル・ペレイラの邸宅として建てられました。
東インド会社の拠点となったこともあり、その後マカオ政府の所有となりました。
現在は東方基金会という財団が本部を置いています。

庭園には熱帯の植物が多く、池もあってとても美しい眺めです。
洋館はコロニアル様式となっていますが、これは植民地時代の建築様式で、マカオの風土や材料とポルトガルの建築をミックスしたものとなっていますよ。

2階はギャラリーとなっているので見学ができます。
大航海時代の芸術品などが展示されています。

29. プロテスタント墓地


カーザ庭園の隣にひっそりと広がるプロテスタント墓地は、1821年にマカオで最初のプロテスタント墓地としてイギリスの東インド会社が造りました。
イギリスはプロテスタントの国ですが、カトリックの多いマカオではごく少数派だったんですよ。

ここには、最初に聖書の中国語翻訳を行ったロバート・モリソンの墓や彼の名を取ったモリソン礼拝堂があります。
イギリスの偉大なる首相ウィンストン・チャーチルの先祖も眠っているそうですよ。

30. ギア要塞

30. ギア要塞

image by iStockphoto

マカオ半島でいちばん高い海抜91mの場所にあるギア要塞は、1622年から1638年にかけて建設されました。
ここには教会と灯台もあり、灯台は1865年に建設されたものが、東アジアで最も古い西洋式の灯台のひとつです。
25マイル(約40㎞)先までを照らしてくれますよ。

教会には西洋と東洋の両方のテーマを扱った絵画などが飾られています。

かつてまだ教会がなかった頃、ポルトガル船が近海で嵐に遭遇したそうです。
すると丘から光線が差して船を導いてくれたのでした。
命を救われた船乗りたちは、これは聖母マリアのおかげだとして丘に礼拝堂を造って祈りを捧げるようになり、これが教会の始まりとされています。

ポルトガルと中国、両方の文化が息づく街

いかがでしたか?マカオの世界遺産「マカオ歴史地区」は、ポルトガルの植民地としての歴史が育んだヨーロッパ風の文化が今でも色濃く残っていることがおわかりいただけたかと思います。
しかし同時に中国の文化も柔軟に取り入れ、西洋と東洋がうまく混じり合っているところがとてもユニークです。
カジノを楽しむも良し、中国での小さなヨーロッパを楽しむも良し、いろいろなことが楽しめるマカオ。
日本からもアクセスしやすいですし、近場の世界遺産をこの機会に制覇してみませんか?
photo by iStock

xiao

Writer:

世界と日本がどのように成り立ってきたのか、歴史についてはいつになっても興味が尽きません。切っても切り離せない旅と歴史の関係を、わかりやすくご紹介していけたらと思っています。

この記事のカテゴリ

アジア
マカオ
中国
香港

アジアの記事を見る

アドリア海の女王と呼ばれるヴェネツィアが巨万の富を得たレヴァント貿易ってどんなもの?
漫画キングダムのその先は…?秦の始皇帝の歴史
タイでボランティアしている筆者が指南♪タイの観光完璧ガイド
韓国旅行なら「興仁之門 東大門/フンインジムン トンデムン」は外せない!行き方、料金や営業時間は?
ベトナム旅行は私に任せて!ホイアンの観光完璧ガイド
ベトナム旅行は私に任せて!ホーチミンの観光完璧ガイド
高層ビルが立ち並ぶ広州の都市景観!中国観光「広州(コウシュウ)」で見たい絶景10選
ベトナム旅行は私に任せて!フエの観光完璧ガイド
台北らしさがギュッと詰まった街『永康街』で1日過ごすなら?おすすめ&行き方まとめ
台北観光の代表格!「故宮博物院」のおすすめ展示&行き方まとめ
ベトナム旅行ならベトナムの中華街「チョロン」は外せない!「ティエンハウ廟」他、見どころはここ
【台湾】隅々まで楽しめる「中正紀念堂」の見どころは?

関連記事を見る