ベトナムの神秘的な観光スポット「ミーソン聖域」へ行こう。行き方、料金や営業時間は?

ミーソン遺跡はベトナム中部のジャングルの中にあります。ミーソン遺跡は2世紀頃から15世紀にかけて中部一帯に築かれたチャンパ王国の遺跡。1999年に世界遺産に登録されたミーソン遺跡を紹介します。

山奥にあるミーソン遺跡

山奥にあるミーソン遺跡

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ミーソン遺跡はクンナム省のミーソンにある遺跡で、ホイアンからは車で約40分。
2002年の9月には道が整備され、ダナンからも1時間ほどで行けるようになりました。
チャンパ王国は現在では少数民族となっているチャム族が築いた王朝と言われていますが、チャンパ王国の当時の王都は、ダナンから国道1号線を40分程南に行ったチャキュウ周辺にあり、王都はシンハプーラと名付けられていました。
ミーソンはここからさらに西の山奥にあります。

ミーソン聖域の住所・アクセスや営業時間など

名称 ミーソン聖域
名称(英語) Thánh địa Mỹ Sơn
住所 Duy Phú, Duy Xuyên, Quảng Nam
営業時間・開場時間 6:00−17:00
利用料金や入場料 150,000ドン
参考サイト http://mysonsanctuary.com.vn/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

ミーソン聖域のスポットページ

ユネスコ世界遺産に登録されている

ユネスコ世界遺産に登録されている

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チャキュウからの道の終点に小さな小屋があり、ここから入場します。
すぐ川があって、吊り橋を渡って対岸へ。
川の上にはユネスコ世界遺産のマークの付いた看板が建てられています。
ここからはユネスコ世界遺産が管理するエリアとなります。
移動用の車で3kmほど進み、終点で降りて歩きます。
遺跡群が見えるまでは一本道です。

東南アジアを代表する建築物の数々

東南アジアを代表する建築物の数々

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4世紀に最初の伽藍(僧侶が集まり修行する清浄な場所。
寺院または寺院の主要建物群)が建てられましたが、木製であったためか早くに焼失しています。
7世紀頃からレンガ作りの伽藍が登場しています。
8世紀、9世紀が一番盛んで、13世紀までに70の伽藍が作られていました。
石碑には、チャンパの字が刻まれていますが、チャム族を専門に研究する専門家がいないためチャム族の文化、古代文字などはいまだに謎に包まれています。

朽ちかけた赤道色の伽藍

朽ちかけた赤道色の伽藍

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5分ほど歩くと、木の陰に赤黒い建物が見えてきます。
赤道色の伽藍には草木が茂り、近づいてみると、柱には亀裂が走って今にも崩れそうな様子です。
伽藍の形はヒンズー教の聖なる山であるメール山(須弥山)になぞらえて作られています。
クメールの遺跡、アンコールの遺跡の形にもよく似ていますが、壁に彫られた模様もそっくり同じです。
クメールはチャンパと長い間、戦いに明け暮れた相手ですが、敵同士であっても同じヒンズー教徒、どこかで通じ合っていたことを感じさせます。







欧米とも交易があったチャンパ王国

欧米とも交易があったチャンパ王国

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かつてチャンパ王国は、独自のヒンズー文化を発展させ、港市国家として栄えていました。
チャンパ王国が謳歌していた時代は、北のベトナムよりも高い技術力を持っていたと言われ、その理由は交易にあったと言われています。
チャンパ王国は海沿いに位置していたため、中国やインド、オランダなど欧米にまで交易の手を広げ、レベルの高い建築技術も取り入れていたと考えられています。

発掘作業は続けられている

発掘作業は続けられている

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ミーソン遺跡はフランス統治時代にフランス人に見つかる前は森林でしかありませんでした。
現在では発掘作業も進み、少しずつチャンパ王国の歴史も明るみになってきています。
遺跡は、トゥボン川を挟んでAからHのグループに分けて保存されていましたが、残念ながら現存する遺跡はB、C、Dの3グループのみです。
多くはベトナム戦争で破壊されてしまいました。
現存する遺跡はわずかですが、保存にも力が入れられています。

ヒンズー教だけではなかった

ヒンズー教だけではなかった

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クメールと同様にチャムの彫刻は表情も豊かです。
シヴァ神が彫られた石柱が立ち、壁にもシヴァ神がありますが、シヴァ神の顔が削り取られた跡があるため、チャンパ王国はヒンズー教だけではなかったと言われています。
チャンパ王国にも宗教の変遷があり、または、南進してきた阮氏一族の破壊もありました。
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