【書評】旅行本の”LOVE&FREE”(著/高橋歩)がマイノリティにも支持される理由

当サイトでは「世界をもっと知りたい」をスローガンに、世界をより知ることができる本も取り上げています。本日ご紹介するのは、著者が約2年間を費やして世界中を歩いた旅の記録。実はこの本、wondertrip読者の旅行意欲を色々な意味で刺激してくれそうなのです。ユニークな哲学を持つ著者ですが、どうやら一部のマイノリティに圧倒的なファンを持っているのだとか。今回は本書に潜む著者のカリスマ性に焦点を当て、その魅力を探りたいと思います。

マイノリティにも愛される理由 著者高橋歩という人間

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写真/Amazon.co.p

本書は2001年に初版されました。
著者である高橋歩が、妻とともに行った世界旅行がテーマとなっています。
ガイドブックのような解説ではなく、実際に読むと、気の向くままに旅をした記録であり、詩と写真で飾られた日記のような印象を受けます。
崩した口語体で語りかける独特のスタイルに、読者はまず驚いてしまうかもしれません。

著者がなぜ、とりわけマイノリティに支持されるのか、その理由は著者の人間性に起因しそうです。
著者は20歳で大学を中退すると、アメリカンバーを立ち上げます。
その後、23歳で自伝を出すために出版社を設立し紆余曲折を経て、自社の本をヒットさせるに至りました。
以上は経歴の一部に過ぎませんが、こういった著者の生き方は、決して一般的とは言えません。

本書の冒頭では旅の経緯をこう説明しています。

“旅のコースも、期間も、特に決めなかった。
「スタートはオーストラリア。
あとは気の向くままに。
まあ、金がなくなったら帰ろう」それだけを決めて出発した”

その結果、1998年11月に出発した二人は、2000年7月までの約1年8ヵ月をかけて、オーストラリア、東南アジア、ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカ、南米、北米までを旅行することになったそうです。
この事実だけで、著者の自由さが充分伝わると思います。

この場合の「自由」とは、「自分に正直である」ということです。
世間や常識にとらわれず、自分の気持ちを信じて突き進む姿は、一般的な社会やルールに居心地の悪さを覚える一部のマイノリティにとっては、勇気や自信を与えてくれる存在になり得るのではないでしょうか。

路上を歩くことで知る世界 ~“LOVE&FREE”における“FREE”の定義~

路上を歩くことで知る世界 ~“LOVE&FREE”における“FREE”の定義~

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本書はそのサブタイトルである“~世界の路上に落ちていた言葉~”が示す通り、世界の路上を歩くことが旅のスタイルとなっています。
その土地に住む人々の生活を見聞し、コミュニケーションを取ることは、いわゆる海外観光ツアーとは違った世界が見えるということだと思います。

印象的な出会いを一つ紹介します。
オーストラリアで友達になったというアーティストがいました。
彼は、ある国へ行ったらまず、ごみ処理場へ行きガラクタを集めるそうです。
そして、ガラクタを材料にして創った作品を路上で販売し、お金ができたら寄付をしつつ、違う国へ行くという生活をしているのだとか。

日本ではあまりお目にかかれない稀有なライフスタイルに、そういう生き方もあるのかと、単純なる驚きがあるのではないでしょうか。
自分の知らない世界を知ると、それまで自分が当たり前だと考えていたことが当たり前でないことに気付きます。
大人になれば労働し、納税するというのは、実はある国におけるシステムでしかありません。
また、結婚し子供を養育するということも自然のことではなく、選択肢の一つに他ならないのです。

色々な生き方があるということは、自分の環境を選ぶことができるということを意味し、それは同時に今の状況は自分で選んだ結果なのだということを示唆しています。
少なくとも日本においては、大人になれば自分の人生を自由に選ぶことができます。
それは何をしてもかまわない無責任な「自由」ではなく、自分で選んだことに責任を持つという覚悟の上に成り立つ「自由」です。
“LOVE&FREE”の“FREE”とはそういう意味ではないでしょうか。

子供に学ぶ絶対必要なもの ~“LOVE&FREE”における“LOVE”の定義~

インドのカルカッタ(現在のコルカタ)で著者が目にしたものは、道に倒れた老婆や赤ちゃん、ゴミに埋もれ化膿した腕にハエがたかるおじさん、物乞いをする子供たちの姿でした。
少なからぬショックを受けた著者は、マザーテレサの活動を手伝ったそうです。

中でも、「シシュバハン(孤児の家)」での経験がとても印象的なので少し紹介します。
親のいない子供たちには、身体に障害を持つ子もいるそうです。
それでも笑顔を向けてくれたり、クッキーを半分わけてくれたりする姿に心を動かされる中、著者は言います。
“こいつらは、MONEYにではなく、FOODにでもなく、LOVEに飢えているんだ…”

また、他にもあります。
世界の各所で出会うストリートチルドレンに物乞いをされる度に、意味不明な罪悪感に駆られていたという著者は、ある時、一緒に並んでコーラを飲み、似顔絵を描いてプレゼントしたそうです。
著者曰く“超へたくそ”な似顔絵を見た子供は、食べ物をあげたときとは違う笑顔で、歓声を上げて喜んだのだとか。

そうした経験を通し、著者は自分と子供に共通点を見出します。
お金はもちろん欲しいけど、“誰かと優しく向き合って過ごす時間”が一番欲しいのかもしれないと。

お金や食べ物は確かに「生きる術」になるのかもしれません。
けれど、人は孤独を前にすると「生きる力」を失ってしまいます。
どれほど健康な身体を持っていても、生きようとする意志がなければ人間は生きられません。
人の温もりこそが、“LOVE”であり、生きるエネルギーを作ってくれるのではないでしょうか。
本書を読むと、文化や主義や宗教に違いはあっても、この真理だけは世界共通だと思えてなりません。

ユーモアの使い方とその効果 ~表現に見える稀有な人間性~

本書には海外での明るい出会いだけでなく、シビアな現実についても書かれています。
非常に重く、簡単に答えの出ないテーマを含んでいる一方、著者が随所に散りばめるユーモアにより、本書が一定の方向に傾かないように制御している印象を受けます。

これまでの引用にもありましたが、崩した口語体で語りかけることも一例です。
「ストリートチルドレン」を“飢えたガキンチョ”とし、「最高」は“サイコー”と表現します。
深刻な内容を深刻に伝えるのではなく、敢えて軽快に表現するところに著者の稀有な人間性が垣間見えるような気がします。

先に触れましたカルカッタ(現在のコルカタ)でマザーテレサの活動を手伝う場面には、他の記録もあります。
それによると、カーリーガート(「死を待つ人の家」)にて、死にかけている老人たちと接することで著者の気持ちに変化が起こっているようです。
その時の第一声を引用します。

“現実は、そんなにブルーじゃなかった”

個人的な見解ですが、この“ブルー”という表現から著者が世界を対等に見ようとしている姿勢を感じます。
ここは大変読み応えのある場面なので、是非本書を手に取って体験して下さい。

生きていれば辛いことや悲しいことは起こりますが、悲嘆や同情だけでは何も変わりません。
信じがたい現実を前に盲目になるのは論外ですが、その現実を認めた上で、前向きに取り組む姿勢が重要ではないでしょうか。
それは言うほど簡単ではありませんが、「感傷的になるだけなら笑っている方が良い、何もしないよりは失敗した方が良い、それは決して不謹慎でも恥ずかしいことでもない」著者の文章からはそういう正義感なりポジティブさを感じます。







一般的価値観に対するアンチテーゼという立場

ここでは、著者におけるマイノリティのカリスマという立場を掘り下げてみたいと思います。
いわゆる就職活動をすることもなく会社を設立し、2年弱も海外を放浪する著者の生き方は、学校を卒業し、毎日通勤ラッシュに耐えて働く人たちからしたら、「甘い」と指摘されるかもしれません。

例えば、日本ではサラリーマンとなった時点で自動的に、「あなたの年収はいくらですか」という競争社会へ追い込まれる一面があります。
お金を稼ぎ、物質的に満たされることで幸せを感じる人は疑問を抱かないかもしれませんが、画一的な価値観の元、勝手に比較されることに嫌悪感を持つ人も実際にいるのです。

さて、ここに著者のような人間が現れ、大学を卒業しなくとも、会社に所属しなくとも、年収を競わなくとも幸せになれる道を提示したらどうなるでしょうか。
その姿に勇気と自信をもらうマイノリティが存在することは確かである一方、一般的な社会で他人に負けぬよう努力する人には簡単に受容できないのも想像に難くありません。
カリスマ性というものは元来、常識を覆し、一般を超越することで達成されるものでもありますから、保守的な人に否定される可能性はあるはずです。

ここで保守性を批判するつもりはありませんし、そもそも価値観や生き方を比較して、正しさを競う議論には純粋に意味がありません。
ですから、本書及び著者の生き方は、その正しさを証明することではなく、一般的な生き方に対するアンチテーゼとして存在することにより価値を発揮すべきです。
そしてカリスマという一面は、マイノリティを始め勇気付けられた一部のファンが拡大した結果なのではないでしょうか。

マイノリティのカリスマとしての魅力

本書は崩した口語体で語られ、ナルシスティックな詩的表現も頻発することから、若い内はともかく、ある程度の年齢になると赤面してしまう場面もあるかもしれません。
ですが、それも含めて著者の表現であり、恥ずかしがらずに自分を主張できる強さにこそ、カリスマ性を感じます。
本書は、無理に迎合せずに自分に正直に生きる勇気をもらえるという意味で、マイノリティにとって特別な魅力となるのではないでしょうか。
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