【書評】あの子を、学校に行かせつづけた手ぬかり――ヘッセ『車輪の下』

がんばって、学校に行かせているあの子。どんどん体が弱っていって、精神も参っていって。でも成績がいいから、行かせなきゃ将来がないから。そうして「虐げられて」いる子供は、現代日本でもあちこちにいるのではないでしょうか。ヘッセ『車輪の下』の主人公・ハンスは繊細な優等生。頭がいいゆえに大人に逆らえず、学校や親の圧政に押しひしがれ、やがて破滅していきます。どうしたらよかった?1人の少年の姿を通して、もう一度子どものあり方について考えてみませんか?10代の子どもたち、そして子供を持つ親御さんに読んでいただきたい1冊です。

あらすじ――ヘッセ『車輪の下』

92575:あらすじ――ヘッセ『車輪の下』

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ドイツの田舎町に、生まれつき優れた学問の天分を持った少年がいました。
名前はハンス。
母親がなく、俗物の父親のもとで育った彼が唯一選べる出世の道は、官費で入る牧師を養成する神学校。
校長先生や町の牧師さんのもとでノイローゼ寸前になるまで勉強を重ねたハンスは、さまざまな心配にさいなまれながらも、州の試験を優秀な成績で突破します。

めでたく神学校に入学したハンス。
はにかみ屋の彼になかなか親友はできなかったものの、詩人の学友・ハイルナーと親友関係になります。
しかし問題児・ハイルナーは自由を求めて神学校から放校されてしまいました。
心の支えであったハイルナーを失い、ハンスもまたノイローゼにかかって病気が原因で学校を去ります。
失意のうちに帰郷し、ハンスはなんとかして生活をはじめようとしますが――

子どもを鋳型にはめようとする学校に反抗し、大人には子どもに何ができるかという問を投げかける、作家にして詩人・ヘルマン・ヘッセが自らの危機的経験を昇華した作品。

存在していい理由は、「勉強ができるから」

存在していい理由は、「勉強ができるから」

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この本は、優等生タイプで聞き分けがよく、物事の飲み込みもよい「いい子」たちに、またすべての「親世代」に読んでいただきたい本です。
かくいう筆者も「いい子」と呼ばれることが生きがいの優等生タイプでした。
アイデンティティが揺らいだ10代のあやうい時期に、この『車輪の下』に出会い、今にいたるまで何十回も読み返しています。
あなたが「いい子」なら「この本に書かれているのは私だ」と思うことでしょう。

ハンスは非常に頭がいい秀才です。
彼につきまとうのは「将来のため」という一語。
そのために遊ぶ時間を奪われ、猛烈な試験勉強に打ちこみます。
試験が終わってからも、大人たちは「学校で遅れるといけないから」といって、毎日のようにハンスを勉強に駆り立てます。
ハンスはそれを好意的に受け止め、たしかに楽しみも覚えるのですが、この頃から衰弱していくのです。
子どもの善意や理解につけこんで、「将来のため」という建前を使い、自分たちの希望通りになってほしいという野望を、親切という形で押しつける、大人たち。
「いい子」はこんな苦しい世界に生きているのです。

どんな大人になりたかったの?

ハンスはずば抜けた成績で神学校に進学します。
神学校、すなわち神に仕える牧師になるための学校です。
ここで子どもたちは聖書をはじめとした様々な素養を身につけます。
いずれは教会で人びとを教え導く立場になることが使命です。

フライク親方という人物が作中で登場します。
信仰篤い靴屋の親方で、ハンスが神学校に行くにあたっても力強い祈りの言葉でハンスを励ました大人です。
人生のうちに練達された彼の信仰は、若いハンスにはうまく理解できません。
彼は、自分にギリシャ語やヘブライ語を教えてくれる町の牧師さん――信仰よりも聖書の分析や、キリストを歴史上の人物として捉える研究に向かう学者的人物なのですが、そちらのほうが「偉い」と見てとります。

しかしはたしてハンスに、牧師の資格があったかと訊かれると、首をかしげざるをえません。
そもそもハンスはどんな大人になりたかったのでしょう?読んでいくとき、それらを少し頭に置きながら読んでみてください。
驚くべき事実に、愕然とするはずです。

不安定な友情と、守る人のいない学校生活

ハンスは神学校でも苦しみます。
目指していた神学校での生活は、集団生活を強いられながら激しい勉強をこなすものでした。
ここで登場する重要人物が、親友となるハイルナー。
詩人で問題児のハイルナーはハンスに接近し、自分の「なぐさめ役」に設定します。
情緒不安定気味の親友の愚痴を延々と聞かされる関係になったハンスですが、自分によりそってくれる彼との関係に依存していきます。

ハンスを悲劇的結末に持っていく要因はいくつも存在しますが、何よりも大きいのは、守ってくれる人がいなかったから。
俗物的な彼の父親はハンスの結果だけを見ます。
ハンスの母親はとっくの昔に死んでいました。
また学校の先生たちもハンスの成績だけを見、彼が落第するや一気に冷たい態度に出ます。
彼には思いやりも、愛情をくれる人もありませんでした。
そんな中でがんばりつづけるハンスの姿は、健気以外の何者でもありません。

ハンスの様子を見ながらどうか、考えてみてください。
「自分は子どもに寄りそえているのだろうか?」と。
「よりそうというのは、そもそもどういうことなのだろうか?」と。







生活に生きようとして……

病気で神学校からドロップアウトしたハンス。
故郷の光景を愛し、自然を愛でることを知っていたハンスはすんでのところで自殺を思いとどまります。
『車輪の下』で白眉なのは、その情景描写の美しさです。
故郷・南ドイツのカルプをこよなく愛した作者・ヘッセ。
詩人の面目躍如といえましょう。
この世界の美しさに惹かれて、ハンスは生きることをあきらめることはしませんでした。

そんななかでもハンスは将来のことを考えなければなりません。
父親は機械工の見習いとして働くようハンスに言いました。
小学校時代の友人がいる工房に入ったハンス。
しかし、もとより頭のいいハンスは、本当にここでなじめるのでしょうか?

ここにはドロップアウトした子どもの痛々しさも描かれています。
あれほど彼を応援していた校長先生や牧師さんは、ちっともハンスに触れようとはしませんでした。
父親はもちろんなぐさめを与えません。
それでも一生懸命に生きようとするハンス。
けれどもあいかわらず周囲は、彼の「結果」しか見ようとしません……

「あなたの夢は、何ですか?」

大人は子どもに「夢を持ちなさい」といいます。
なぜでしょう?ハンスには「ひとよりも立派になる」こと以外、夢がありませんでした。
一方で、ハンスの親友ハイルナーは「詩人になる」という夢を持っていたがゆえに、ある種の自信を持ち、自我を保っていたのです。
しかしハンスには、周囲からの評価以外、何のありませんでした。
そして彼自身もその評価に依存していたのです。

『車輪の下』は作者ヘッセの自伝的小説。
ヘッセは自身を、ハンスとハイルナーという2人の少年に分散させて描きだしました。
「詩人か、でなければ何にもなりたくない」と言い放って学校を飛び出し、職を転々としたのちに、詩人そして小説家に大成したヘッセ。
彼は自分の少年時代の苦痛をこの作品で昇華しています。
一方の人物は救われ、もう一方の人物は悲劇的結末をたどることになります。

これからこの本を読む若い方に、質問です。
「あなたの夢は、なんですか?」この問の答えはきっと、あなたの将来の支えになることでしょう。
その理由は本書を読むにつれてわかってくるはずです。

その子がほめられる理由は、何ですか?

子どもを取り巻く環境はさらに劣悪化してきています。
いじめ、学級崩壊、さまざまな危険……『車輪の下』は10代の子ども、それも「優等生」で何のあやうさもないはずだった子どもの、精神的な危機を描いて私たちに提示してみせます。
作品が書かれたのは1906年、100年近く昔の話です。
しかしこの作品は現代日本の私たちに、何よりも子どもや親、先生たちに問を投げかけ続けます。
『車輪の下』を読み終えてもう一度、自分に問うてみてください。
「その子がほめられる理由は、一体何ですか?」と。
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