【書評】“恋愛”の意味は“一時の精神異常”だった!?皮肉で答えるビアス著「悪魔の辞典」とは

言葉の壁―、それは世界を旅行するときや、外国作品に触れるとき、私たちが最初に直面するコミュニケーションのハードルです。この言葉の壁を乗り越えるために古くから親しまれている身近なツールと言えば辞典ではないでしょうか。言葉の意味や概念を手軽に説明してくれる便利な道具、今回はその中でも一風変わった「悪魔の辞典」という本を紹介したいと思います。
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あらすじ、構成、作者について

あらすじ、構成、作者について

画像/Amazon.co.jp

「悪魔の辞典」の著者は19世紀から20世紀にかけて登場したアンブローズ・ビアスというアメリカの男性作家です。
短編小説も出していますが、ビアスは風刺を得意とし、ジャーナリズム界で活躍しました。

本書の構成はユニークで、タイトル通り辞典の形式をとっています。
日本語への翻訳の段階で単語数は絞られたそうですが、それでも700を超えた単語が収録されており、50音順に並ぶ単語の意味は、知的であり屁理屈であり専ら辛辣です。

ビアス自身が理想の読者像を、「甘口の酒よりは辛口の酒を、感傷よりは思慮分別を、ユーモアより機知を、俗語よりは品のある英語を、むしろとろうとお考えになる賢明な方々」と語っているのですが、既にこの長すぎる表現が理屈っぽいですよね。

例えば“安心”という単語、一般的な辞典によれば、“心が落ち着いてやすらかなこと”(旺文社 標準国語辞典より)とありますが、「悪魔の辞典」ではどうなると思いますか。

“隣人が不安を覚えているさまを眺めることから生ずる心の状態”

なるほど。
皮肉ですが、妙に納得してしまうのも確かです。

さて、この“安心”という単語もそうですが、言葉の意味や風刺というものは、その時代、その国における文化や社会情勢が基盤となって生きてきます。
ですから、これから紹介する本辞典における単語は、私自身の知識を超えて複雑な意味や解釈が存在するはずです。
今回は、その前提を踏まえて、21世紀の日本で宗教や政治に特に関心のない方でも、充分にこの本を楽しめるということをお伝えできればと思います。

忙しい方にも本書をお勧めする理由

忙しい方にも本書をお勧めする理由

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本書の魅力の一つは、辞典という形式が示す通り、内容に連続性がない点だと言えるかも知れません。
小説とは異なりストーリーがありませんから、好きなところまで読んで、飽きたらいったん読むのをやめても差し支えありません。
また、1ページ目から順を追って通読する必要もありませんから、索引の中から好きな単語を選び、それをピンポイントで探すこともできます。

ちょうど個装されたお菓子を味わう感覚に近いかも知れません。
大きな袋の中には、お菓子が一つずつ独立した状態で内装されていますから、好きなだけ食べて残りは置いておけば良いのです。
一度空けたら最後という大容量パックとは違い、「一気に終えなければ湿気ってしまう」というプレッシャーはかかりませんし、終わった後に「食べ過ぎてしまった」と後悔することもありません。
好きな時に好きなだけ味わえるという自由は、忙しい人にとって、ありがたい要素となるのではないでしょうか。

また、個装されたお菓子は色々な味が楽しめることも魅力です。
本辞典は、宗教、政治、恋愛、人物、生物、道具まで、実に様々なタイプの単語が収められていますので、自分の好きな味を楽しむことができます。
政治や宗教はある程度の基礎知識がないと、風刺も理解できず、楽しみきれないという特徴がありますが、苦手な分野を敢えて読む必要はないのです。
読みたければ読めば良いし、飛ばしたければ飛ばしても良い、自分の趣味に合わせて気軽に楽しめるのが心地良いですよね。

悲壮的な恋愛観と極端過ぎて笑える女性観

さて、色々あるテーマの中で、まず押さえておきたいのが恋愛に関する単語。
政治や宗教に比べて、時代や国を問わず普遍的に共感できるのが恋愛ではないでしょうか。

本書の訳者西川正身によると、ビアス自身、その幼少期に親の愛情を充分に感じずに育ったのだそうです。
西川氏はそれを“ひがみ”ではないかと指摘していますが、ビアス自身が愛情に飢えていたことは確かで、自身の結婚生活も別居に終わっています。

そういった境遇も手伝ってか、ビアスの恋愛観はネガティブです。
例えば“恋愛”という単語には“一時の精神異常”と定義し、“結婚”は、“奴隷になること”と説明します。
とは言え、この感覚は珍しいものではなく、皮肉としても一般の範囲ですよね。
どうやら、ビアスの闇はとかく女性に向いている気がするのです。

“口軽なこと”という単語の意味は、“おんなの犯す罪”のいう一言で片付けられます。
一方、“控えめな・上品ぶった”という単語には、“真面目で、しとやか”という説明の後に、“とりわけ無遠慮なおんながそれ”と続けます。
女性に対する悪態は、さらっと非難するだけでなく、少し持ち上げてから一気に落とすパターンも用意しているようです。

そして極めつけは、“しとやかぶる女”という単語。
先ほどの“上品ぶった”も同じですが、意味や概念以前の問題で、単語のチョイス自体に女性への悪意が満ちていますよね!

確かにビアスの言葉は辛辣ですが、表現がストレート過ぎるので嫌みでなく、過激すぎて怒りを超越したところに、ユーモアで爽やかな笑いを生み出す、そういう不思議な生命力があります。
読者のマゾヒズムを上手く刺激する悪魔の手法は癖になりますよ。

食べ物にも及ぶ悪意の対象

さあ、ここからビアスの面白さは一気に加速。
悪意の矛先は女性だけなく、物にも向かいます。

例えば、“カスタード”という単語。
カスタードは、シュークリームの中身によく使われるクリームで、一般的に卵と牛乳と小麦粉と砂糖で作ります。
その“カスタード”の意味、一体何だと思いますか。

“雌鶏(めんどり)と牝牛(めうし)と料理人とが悪意をもって共謀し、それによって作り出した忌まわしい物質”

個人的には、ただの甘いクリームだと思っていたカスタード。
イライラした時には、その優しい糖分で心を癒してくれる存在でもありましたが、そのカスタードがまさか、忌まわしい物質だったとは。
なぜ、動物と人間が悪意を持って共謀する必要があったのか、その動機や目的が全く見えないのですが、それはつまり、ビアスにとっては全ての対象が敵になり得るということかも知れません。

全世界が悪意で満ちている精神状態、ビアスはどれだけ病んでいるのかと心配にもなりますが、そもそも「悪魔の辞典」なのだから、それはそうかと納得もします。

そして、納得したところで次の単語。
カ行は、“カスタード”の後に“火葬”へと続きます。

“人間の冷肉(コールドミート)を暖め直す操作”

なぜかしら、少しだけ、ビアスの心に温もりを感じてしまうのは私だけでしょうか。
カスタードの中身が悪意一色だったせいで、冷たくなった死体を“暖め直す”という行為に、一抹の優しさを見出してしまいました。
“カスタード”の後に“火葬”を持ってくる構成は、いわゆる“ツンデレ”の一種なのかと疑いもしますが、翻訳の段階で並び直されているので、ここはビアスのテクニックの範疇ではないようです。

悪意の揺さぶりテクニック

“女性”から“カスタード”まで、悪意の守備範囲が広すぎるビアスですが、実は本辞典には、特定の職業が多く収録されています。
例えば “歯医者”という単語の意味を紹介しましょう。

“あなたの口の中に金属を入れたかと思うと、あなたのポケットの中から何枚かの硬貨をつまみ出す手品師”

なるほど!という感じですが、似たところで“建築家”という単語もありました。

“あなたの家の設計図をかくと同時に、あなたの金を引き出す設計図をかく者”

歯医者にも当てはまりますが、職業に守銭奴的な要素を指摘する際、ビアスは対句法や比喩というレトリックを使い、機知に富んだ表現するのが得意のようです。

ここで最後に“商人”という職業を紹介します。

“商業関係の営みに従事する者。
商業関係の営みとは、その追求するものがドルである営みを指して言う”

何と表現すべきか、普通すぎて驚きました。
「はい、商人はそういう人です!」としか言いようがありません。
この単語も広義には資本主義経済を揶揄しているのかも知れませんが、悪魔的な破壊力が足りないと感じるのは私だけでしょうか。
挙句、対句法も比喩も駆使しない圧倒的な手抜き感。

このようにビアスは辛辣でレトリカルな皮肉と、そうでもない皮肉を織り交ぜて読者を揺さぶります。
そして、表現が生ぬるいと感じたとき、そこにはもっと冷酷でもっと巧妙な皮肉を乞うている自分がいます。
一種の中毒とも取れるこの渇望状態、果たして、読者を揺さぶる駆け引きも悪魔の所業の一つなのでしょうか。
是非、本辞典を手に取って、ビアスのテクニックに触れて下さい。

知識は不要!もう一つの楽しみ方とは

「悪魔の辞典」は19世紀から20世紀のアメリカを背景に書かれた辞典であり、キリスト教をはじめとする宗教、歴史や社会、政治や経済を知っているからこそ、単語の意味を深く味わい風刺を見出すことができるのだと思います。
ですが、本の楽しみ方は一つではないはずです。
この書評で伝えたかったことは、本辞典には政治や宗教などの基礎知識がなくとも読み込む行間が存分にあるのだということ。
是非、本書を手に取って、あなたらしい楽しみ方を探してみて下さい。
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