人種差別だけじゃない!「GO」(金城一紀著)が描く容姿差別

「ロミオとジュリエット」の有名な引用で始まる本書は、第123回直木賞に選ばれました。在日韓国人の男子高生と日本人の女子高生による、差別と偏見と受容を描いた恋愛小説で、著者はドラマ「SP」の脚本家としても知られる金城一紀。

ひょっとすると、若年世代にとっては人種差別という言葉がピンと来ないかも知れませんが、読み方によっては“美人ばかりが選ばれる社会”という身近な容姿差別問題を扱った若者向けの本なのですよ。

あらすじ

主人公である在日韓国人の高校生「杉原」は、中学までを民族学校で過ごし、高校から日本の学校に進学。
3年生の時に他の高校に通う「桜井」と出会い、互いに惹かれあいます。

杉原は幼い頃から「在日」という理由で様々な差別を受けていました。
日本の法律に窮屈に縛られ、周囲の人間に見下される中、杉原はそれに暴力で応えます。

元ボクサーの父親に鍛えられた強靭な肉体で、無知に差別をする日本人を徹底的に倒してきた杉原ですが、桜井に対しては臆病で、日本人でないことを打ち明けられません。
理不尽だとは言え、嫌われるのが怖いのです。
杉原はまた、本を読み漁り、人種というカテゴライズがいかに無意味なものなかを考え、理論武装も固めようとします。

さて、そんな杉原には「正一」という民族学校時代の親友がいました。
永年の差別で在日韓国人は卑屈になりがちですが、正一は知的で正義感の強い人でした。
ある日、正一は朝鮮学校の制服を着た女学生を助けようとして、不運にも日本の男子高生に殺害されます。

葬式の後、喪失感から悲しみに暮れる杉原は桜井と会うことにします。
そこで遂に自分の国籍を告白。
しかし、桜井の父親が韓国人に偏見を持っており、それを桜井自身に教育していたことが明らかになるのです。

暴力と理論で差別と闘ってきた杉原が直面した初めての挫折。
親友の死と恋人からの拒絶というダブルパンチからどう這い上がるのか、ラストには大どんでん返しも待っていますよ。

著書は純文学性、エンターテイメント性、社会性を全て網羅し、若い世代にも伝わりやすい文章で書かれた秀逸な作品です。
2000年に初版され、翌年には行定勲監督により映画化もされ話題になりました。

差別撤廃!ではない ~差別する側<差別される側へ~

差別撤廃!ではない ~差別する側<差別される側へ~

image by iStockphoto

現代社会では「差別をしてはいけない」と教育されます。
ただし、「人間の命は平等に尊い」と説く一方で、教育者自身が露骨に差別する姿は珍しくありません。
優等生で素直な生徒好み、劣等生を避ける先生を私自身も見てきました。

著書自身がコリアン・ジャパニーズだと公表してしますが、本書は「差別反対、差別撤廃」と啓蒙するのではなく、「差別を受ける中でどうやってサバイブするのか」を考えさせます。
迎合はしませんが、色々な人間がいる以上、差別のない社会を実現するのは困難です。

ところで、この小説には絶対なる悪人が出てきません。
例えば正一を殺害した男子高生。
彼は一目惚れした朝鮮学校の女学生に声を掛けようとしたところ、正一が「在日をからかう日本人」だと勘違いして揉み合い、過失により殺します。
彼は罪悪感とショックで自殺しますが、悪人どころかただの気の弱い青年でした。

韓国人に偏見を持つ桜井の父も同じこと。
単なる人種差別主義者ではなく、勤勉なエリートで優しく穏やかに家族を守る、良き父親でもあるのです。

つまり、悪の要素は人間の一面に過ぎないし、それらが偶然悪い方へ転んだ結果、皮肉にも悲劇は起こってしまうのかも知れません。
先ほど例に挙げた教育者も、差別された生徒にとっては悪で悲劇ですが、他方では家族のために働く父親や母親かも知れませんし、その姿は家族にとって正義でしょう。

本書は絶対悪を作らないキャラクター設定で差別する側を否定しようとはしません。
差別する側でなく、される側に焦点を当て、社会でどう生き抜くのかを問います。
「差別撤廃」という楽観的なスローガンのない所にリアリティーがあり、読者にとって共感と見本になるのではないでしょうか。

キャラクターの美人設定 ~マネてはいけない恋愛テク~

さて、現実性に富んでいる本書にも、実は一点だけリアリティーに欠ける部分があるので紹介します。
それは、“ヒロインが美人であるという設定”です。

桜井という名前のヒロイン、実は誰もが振り返るほどの美人なのだとか。
有名進学校に通う才女で、文学、音楽、映画を観賞するバランスの良い趣味を持つ大和撫子です。
そして、優等生の素質を存分に兼ね備えた桜井は、それを感じさせない天真爛漫さで杉原を翻弄します。

正直言って、このキャラクター設定が恐ろしく非現実的ですよね。
高3の時点で、ここまで上手くギャップを演出する女子は実在しますか。
その上、東大卒の父親に影響を受けつつも、素行、偏差値共に底辺の高校に通う杉原を、そうと知った上で好きになるという、見栄のない自立した恋愛観。

ところで、桜井が杉原をリードするシーンが多々ありますが、美人でなければ成り立たないテクニックが目立つので紹介します。
まず、2人が初めて会話をした時、桜井はサイコメトリングだと言って、杉原の手の甲に自分の手を重ねるという強引な駆け引きに出ます。

物語では美しい桜井による突然のボディタッチで杉原を動揺させることに成功しますが、この行為、場合によってはただのセクハラです。
また、サイコメトリングで相手の情報を手から読み取るという遊びも、美人だからミステリアスですが、そうでなければデンジャラスなだけ。

恋愛小説だとは言え、このヒロインの恋愛テクニックを安易にまねることは絶対に避けましょう!

キャラクターの美人設定 ~それは容姿差別か~

実は他にもあります。
美人だから許されるアプローチが。

桜井は知り合った当日に、杉原に恋人の有無を確認します。
そのシーンは行間のある洒落たやり取りなのですが、会話の魅力を凌駕するほど桜井のセリフが美人過ぎて手に負えません。

(桜井)「次の日曜日は何をしてるの?」

(杉原)「友達と会う」

(桜井)「もしかして、つきあってる人がいるの?」

(杉原)「ただの男友達だよ」

(桜井)「わたし、嘘、嫌いだからね」

(原作は会話の間に描写が入り、()のような名前の記述はありません。)

さて、桜井の最後のセリフに注目して下さい。
付き合ってもいない男性に対して「わたし、嘘、嫌いだからね」と言いきる唐突さ、大胆さ、傲慢さに驚きませんか。
質問している側の桜井がなぜ偉そうなのか―、美人の世界はかくも目線を上に置く必要があるのかと思い知らされました。
これは、強気な姿勢により美人の説得力が増し、美人に拍車がかかる法則ですね。

私としては、この状況で「己の好き嫌いなど聞いていない!」と突っ込まれる心配のない人生が羨ましくてなりませんが、実は羨望の相手は桜井だけではないようです。
他に登場する女性は数人いますが、なんと、みなさん漏れなく美人でした。

杉原の母親は描写によって美人だと窺えますし、母親の友人(ナオミさん)は元モデルだとか。
正一が助けようとした朝鮮学校の女学生も美少女で、小説内を必死に捜索しましたが、美人でない女性は最後まで現れませんでした。

ここで、考えてみましょう。
美人以外を徹底的に排除した本書の設定は、ある意味で“容姿差別”なのではないのでしょうか。

キャラクターの美人設定 ~差別する側<差別される側へ~

杉原が桜井に恋愛感情を持ったのは、美人だった上に、美人とギャップのある性格に魅了されたからだと思われます。
正一が殺害された事件のきっかけとなった美少女も、美少女だったからこそ。

つまり、本書は“女性の容姿が美しい”という大前提に支えられているのです。
そう考えると、命をかけた正一の正義感も、差別を受け入れようとする杉原の葛藤も、「相手が美人だからでは?」と考えてしまう卑屈な人間は私だけでしょうか。

ここで、先ほどの内容を思い出しましょう。
本書は差別する側への否定でなく、差別される側の生き方がテーマとなっていました。
だとすれば、容姿差別も同じこと。
「人を見た目で判断するな!」と、男性を啓蒙するのではなく、“美人が有利な世界をどう生きるのか”自己啓発するのです。

確か、杉原も杉原の父親も生粋の面食いなのですが、例えば美人を尊ぶ男性の評価に一喜一憂しないで、「究極、肉より魚が好き」のレベルだと解釈して受け流す女性側の度量も、身を守るサバイバル方法の一つではないでしょうか。

そして面食いという特徴は、本書に絶対悪がないことと同様に、絶対正義も存在しないことを示唆します。
果敢に人種差別と闘う親子は、容姿で簡単に人を判断する低俗な親子でもあるのですから。

現実には国籍や偏差値や容姿で評価され傷付くこともありますが、それは自分の持つアイデンティティーの一部に過ぎません。
勇気を出して外に出れば、日本人でなくとも、偏差値が低くとも、美人でなくとも、認めてくれる人は必ずいる―、杉原の生き方はポジティブな予見を読者に残してくれます。

広い世界を見るのだ!

多かれ少なかれ、人は差別したり差別されたりしながら生きているのだと思います。
差別と区別は違うと言いますが、それは飽くまで差別(区別)された側が判断すること。
発する側の議論ではありませんし、他人を傷付けて良い理由にはなりません。

しかし、差別と嗜好(好き嫌い)は紙一重。
差別心の根は誰もが持っています。
「広い世界を見るのだ」という杉原のセリフがありますが、狭い世間の評価に一喜一憂しないことも大切です。

コンプレックスを持つようなダメな人間も立派な人間もこの世にはいないのだと、この本は教えてくれますよ。
photo by iStock

関連記事を見る

書評の記事を見る

【書評】村上春樹“ノルウェイの森” 死とセックスと「やれやれ」と
【書評】カフカ著「変身」から見る“さとり(ゆとり)世代”のコスパ感覚
【書評】待て、しかして希望せよ!復讐の末の希望――デュマ『モンテ・クリスト伯』
【書評】自由をむしり取られた先の「楽園」――ジョージ・オーウェル『一九八四年』
【書評】恋の教え、結婚の教え、人生の教え――紫式部『源氏物語』
【書評】美しい過去をすてて生活へ!――チェーホフ『桜の園』
【書評】家族の中の「いい子」をやめる!摂食障害本「それでも吐き続けた私」(冨田香里著)
【書評】「もやしもん」~主人公はもしかしたら菌? 石川 雅之著
【書評】天にしたがい、道を説く人――下村湖人『論語物語』
【書評】イギリスの新米獣医「ヘリオット先生奮闘記」/ジェイムズ・ヘリオット 著
【書評】考古学学会では無視される壮大なロマン「神々の指紋」/グラハム・ハンコック著
【書評】「記憶に自信のなかった私が世界記憶力選手権で8回優勝した最強のテクニック」 /ドミニク・オブライエン 著