【書評】天にしたがい、道を説く人――下村湖人『論語物語』

「子曰わく――」中学校の漢文の授業で習いませんでしたか?中国思想史の巨人・孔子の教えをまとめた『論語』。その中身を読んでみると、実際かなり難解。同じような名前の人物が何度も登場しますし、かたくるしい文体、時代背景もおさえなければ……。そんな『論語』の世界を生き生きと描きだす小説があります。『論語』の教えをかみ砕き、孔子の苦悩、弟子たちの煩悶や不満、そして〈道〉を求める希望を、作者・下村湖人は『論語』に忠実に小説化されています。〈道〉を求めての人生の旅路。人間を信じ、奇跡を起こさない聖人・孔子と、彼が愛した弟子たちの『論語物語』です。






あらすじ――下村湖人『論語物語』

94472:あらすじ――下村湖人『論語物語』

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ある日孔子の弟子・子貢(しこう)は昔の貧しかった時代を回想し、師・孔子の『富んで驕らないことより、貧乏で怨まないことのほうが難しい」という言葉を思い出します。
しかし「富んで驕らない」ことも大変であるということ、自分はきちんとそれを自律できているという自負を得ていました。
しかしそんな彼に孔子は教えます「へつらうまい、驕るまいと思うのは、まだ心のどこかにへつらいや驕る心が残っているからじゃ」そして師の言う「貧富の超越」とは。
(「富める子貢」)

このように孔子は弟子たちとの対話を通じて教えを確立し、君子の政治を志しますが、有能すぎる孔子はどこの国でも疎まれます。
孔子はついに真の君子と道の実現の政治を求めて、諸国放浪の旅に出るのです。
その先に見出したものとは。

「孝を問う」「泰山に立ちて」ほか『論語』内の様々なエピソードを28編の短編として小説化。
人間を信じ道を説きつづけた、奇跡を起こさない聖人・孔子と、孔子を慕い道を求めた弟子たちの、探究の物語。

「天」に従い「道」を求めた孔子の人生

「天」に従い「道」を求めた孔子の人生

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孔子は「道」の実現に生涯を捧げます。
「小人」になるな「君子」たるべし、と教えます。

「道」とは何でしょう?弟子たちは常にこの言葉に頭を悩ませます。
「言説よりも実行」とも子は言いますまた「天」という言葉も出てきます。
実に漠然として、大きく、とらえどころのない単語です。

この「天」をあらわす象徴のような物語が『伯牛疾あり』のエピソード。
癩病(ハンセン病)にかかり、体が病み崩れて二目と見られない姿になってしまった、弟子の伯牛(はくぎゅう)。
彼は憂い悩みます。
周囲は自分を腫れ物に触るかのようにあつかい、見舞いに訪れてくれる師・孔子も内心は、嫌々自分のところへ来るのではないだろうか。
そもそもこの程度の苦難で、道がわからなくなる自分とは何なのだろう……。

鬱々としていたそこに、孔子が見舞いにやってきました。
孔子はただれた伯牛の手を強く握って、こう言いました「お前の病気は天命じゃ。
天命は天命のままに受け取って、しずかに忍従するところに道がある」つまり病は道に到達するための尊い苦難だというのです。
自分の病は天の意思であり、その意思のただ中でどのように君子たるべきか考えればよい……そう悟って彼は苦痛を受けいれます。
そうしてようやく心が安らぐのです。
孔子の説くものはかくも大きなものでした。

妬みや不満、泣いて笑ってともにいる弟子たち

孔子の弟子たちは聖人君子ばかりではありません。
権力におもねることを決してしない孔子を批判し、不満を抱き、ときに孔子の教えを疑いすらします。
とくに子路(しろ)と子貢(しこう)のやんちゃコンビ。
子路・子貢ともに、短気ですぐに不満をぶつけます。
一方、とても純粋で、自分の誤ちがわかったらこれでもかと猛省する、だからこそ孔子が愛でた高弟です。

その最たるものが『陳さいの野』の章において描かれています。
孔子と弟子の一行は旅の途中、彼を疎んじた諸侯のの軍隊に包囲されてしまい、飢え乾いた弟子たちの不満が爆発します。
なぜこうまでなって、権力に身をすりよせることをしないのか。
少しは妥協をして、世間に受け容れられるようにしないのか。
そこで孔子は顔回に意見を求めます。
顔回は孔子がこよなく愛した最高の弟子です。
彼は言いました「容れられないのを憂うる必要は断じてありません。
かえって容れられないところに、君子の君子たる価値が発揮されて行くのです。」

わからず屋で、きかん気にあふれ、無理解な弟子たち。
一方彼らがいなければ、孔子も旅にたえきれなかったに違いありません。
その絆を読んでいくのもこの作品の楽しみです。

指し示される道、高められていく精神

『論語物語』は、そこに書かれている人物と、読み手の私たちが対話するような読み方をする、ちょっと変わった作品です。
弟子たちは道を求め、孔子の門下にいるわけですが、実際の彼らは煩悩だらけのわからず屋ばかり。
士官の道を求めるため、出世の方便として門下に入った弟子もいます。
君子?道?中庸?孔子の教えは彼らの心を打ちますが、チンプンカンプンでもあるのです。

『異聞を探る』は、こんなお話。
新しい門下生・陳こうは孔子の息子・伯魚(はくぎょ)を利用して孔子に直に接しようと策略をめぐらせます。
幸運にして孔子と言葉をかわすことができた陳こう。
伯魚は特別なことを父から教わったことはなく「礼と楽を学べ」と叱られたことだけを陳こうに話します。
そこに孔子がやってきて、陳こうは孔子と言葉を交わすことに。
二人を見て「君子は広く天を友とするが、小人は好悪や打算で交わる」と言う孔子。
陳こうはドキリとします。

その弟子たちの驕り、多欲、雑念の中に、読者自身の「私」が重なります。
私たちは弟子たちと同じように、打算で友と交わり、言葉だけが立派で実行に移さない、ということはありはしないでしょうか?私は毎回この作品を読むたび、私は身につまされる思いです。
そして読んでいるだけで気が引き締まり、高められていく心地がします。







旅路の果てにたどり着き、後世に託したもの

自分を省みて内心を見つめ、孔子や弟子たちとともに旅をしてきた読者はついに、孔子の旅の終着点に行き着きます。
最終章『泰山に立つ』はこの作品で最も美しく崇高で、心を打つ章です。

〈泰山(たいざん)〉という山は中国で古来から神聖な山とされてきました。
ここで孔子は有名な「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」と語ります。
一番弟子にして後継者に擬していた顔回、妻や一人息子の伯魚、大切な人びとに先立たれた孔子は、泰山で弟子たちにむけて自分の人生を回顧します。
彼は古人の道に到達すべく、一つ一つの学問や詩書礼楽を極め、君子の道を実行に移してきました。
その人生の旅路を振り返り、この聖人は言うのです「わしは、しかし、誰にもわかってもらえないのじゃ」自分が理解されないと苦悩し、君子の政道を行わない為政者に憂いた日々。
それでも彼は天を怨むことはしません。
ただ上をめざして道を歩むのみです。

聖人・孔子はその人生でついに、奇跡を起こすことをしませんでした。
弟子たちに伝えられるかぎりを教え愛した孔子。
74歳で亡くなります。

あきらめない、天と人間を信じて、道をゆく

人間を信じつづけ、たとえ何があろうと天を怨まず人をとがめず、教えを説き続けてきた孔子。
『論語』の言葉とエピソードからつむぎだされたこの小説は、とてもドラマティックです。
作者・下村湖人はこの小説でもって『論語』、そして孔子と弟子の姿を私たちの目の前によみがえらせ、現代において尊い言葉を読む私たちに「道」の教えをバトンタッチしてくれます。
孔子と弟子の姿に読者自身が高められていく読書。
『論語』に興味がある方、人間としてレベルアップしたい方、必読です。
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Writer:

文学少女が世界文学の時代背景に興味を持ち、調べていたら大学では文学部じゃなくて歴史学部に入ることになっちゃった。生粋の文学好き美術好きの27歳です。現在はライターとして活動中。夢はロシアのサンクトペテルブルクでドストエフスキー「罪と罰」ごっこをすること。楽しくおもしろい歴史と本の世界を少しでも伝えられれば幸いです。

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