【書評】家族の中の「いい子」をやめる!摂食障害本「それでも吐き続けた私」(冨田香里著)

摂食障害という言葉は随分と有名になりました。具体的には拒食症や過食症などを指しますが、私自身この症状に15年以上苦しみ、関連する本を50冊は読んだと記憶しています。

本書は主に「過食嘔吐」という症状について書かれていますが、今回は他の本も参考にしながら、「摂食障害」だけでなく、「うつ」や「依存症」など心の病に潜む共通点を探ります。家庭に安らぎを求める人がいる一方で、その安らぎを守るために病んでいく人がいる―、そんな世界を紹介できればと思います。

あらすじ

95319:あらすじ

画像/Amazon.co.jp

本書は著者冨田香里が、摂食障害となった背景や15年間を経て克服するに至った経緯が細かく描かれています。
彼女は15歳(中学2年生)の時に先生から少し痩せるようにと指導を受けます。
155センチ55キロとありますので、少し太り気味といったところでしょうか。

当初ダイエットは成功したものの、リバウンドが来ます。
その時に母親から、吐けば良いという方法を提案されて以来、日常的に食べ吐きを繰り返すようになります。
最初はストレスを感じたときに、たまに食べ吐きする程度だったのが、高校、大学に進むにつれて頻繁になり、やがて毎日するように。
社会人になると朝晩2回、生活リズムに組み込まれていったそうです。

たくさん食べて吐くことを「過食嘔吐」と呼びます。
著者だけでなく、この行為を繰り返す摂食障害者の多くがそうだと思いますが、依存状態に陥っていきコントロール不能になります。
ただ自分が良くない行為をしているという罪悪感と羞恥心があるので、表面的には学生生活や社会生活を送っている場合も多いはず。

著者はこの症状と付き合いながら、留学したり、就職したり、結婚したり、離婚したりします。
その中で、医療機関でのカウンセリングやグループミーティング、海外でのワークショップなどを経験し、自分自身と向き合い、最終的には「いい子をやめる」という方法で、摂食障害を克服します。

家族の中の「いい子」

さて、「いい子をやめる」の「いい子」とはどういうことなのか、著者の家族に焦点を当てたいと思います。

著者は幼い頃に両親が別居し、母親側の実家と同居しますが、そこで父親の悪口を叩き込まれます。
再び両親が同居し、元の核家族に戻りますが、ぎこちなさは残ったのだとか。
「なんとも緊張した歪んだ愛憎が渦巻いている。
いわゆる機能不全家族なんだろう。」と書いています。

彼女は両親の不仲を前に「いい子」になって“かすがい”になろうとします。
さらに、別居を通し、自分も追い出されるかも知れない“拒絶される恐怖”が潜在意識にあったと分析。
その結果、強迫的に「いい子」でいようとして、その疲れを過食嘔吐で癒していたのだろうと振り返ります。

摂食障害のきっかけはダイエットである場合が多く、痩せたいという動機の元で自分の意志でやっていると捉えられがちです。
「過食嘔吐」という行為だけを見ると単なるわがままですが、一方で、家族や職場で「いい子(人)」を演じ、そのストレスのはけ口となっている場合も多いもの。
長期化すればアルコールと同じで依存症化します。

行為自体に自己嫌悪と罪悪感がありますから、うつ状態にもなることもあり、過食嘔吐のストレスを過食嘔吐で紛らわすという悪循環に陥ります。

家族の中の摂食障害

家族の中の摂食障害

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本書以外にも、摂食障害と親子関係について言及している本があります。

元アナウンサーの小島慶子は、著書「解縛」において摂食障害だったことを告白し、自分の理想を押し付け支配しようとする母親との間に葛藤を抱えていたと語ります。
母親は社会的ステイタスを重視し、娘がお嬢様学校へ進学することや玉の輿に乗ることを求めます。
小島氏は親子関係について振り返ります。

「私はあなたではない、あなたとは違う人間として認めて欲しいと訴える私と、なぜあなたは私が欲しいものを与えても喜ばないの?(中略)と苛立つ母」なのだとか。

また、「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」や「一人交換日記」という作品で有名になった漫画家永田カビも、うつ病、引きこもり、摂食障害、自傷行為の経験を書いています。
親に対する依存や反発には批判的な意見も目にしますが、「このマンガがすごい!2017年」という宝島社のランキングで3位となり、共感する人がいることもまた事実。

永田氏は幼い頃から母親に対する依存心があったことを認めます。
過干渉な親が重たいものの、それは親の愛だとする世間の風潮に抗えず、「嫌なことや窮屈なことこそが“家族に愛される”ことなんだと思っていた」と振り返ります。
そして、自分の気持ちを否定することで、自分を粗末に扱っていたことに気付いてゆきます。

この2つの例では、理想へ導こうとする親の善意が、子供にとっては価値観の強要となり、“本来の自分を認めてもらえない”という欲求不満につながる構図が描かれています。

家族の中の依存症

昨今の自伝だけではありません。
例えば、太宰治の「人間失格」でも同じように家族関係に悩み依存する姿が表現されます。
主人公の葉蔵は小さい頃から家族の顔色を窺い、家族が喜ぶようにふるまい、それを「道化」と呼んでいました。
家庭内で緊張状態にあった葉蔵は、他方でアルコールや薬物に依存します。

本書における冨田氏だけでなく、例に挙げた全ての人物に共通して言えることは、“自己評価の低さ”ではないでしょうか。
周りの期待に応えようと必死になるのは、そのままの自分には価値がないと思っているから。

私自身もそうでしたが、自分を犠牲してでも居場所を獲得したい、誰かに認めてもらいたいという“依存心”が強いと思います。
ですから、ダイエットという行為自体も、痩せを賛美する社会において承認を得る方法の一つに過ぎません。

従って、摂食障害は“過剰なダイエット”という表層的な問題の中に、強い自己否定と依存的な心性が潜んでおり、そちらに着目しないと解決できないのではないでしょうか。
そして、その点においては摂食障害者も人間失格の主人公も同じ問題を抱えていると言えそうです。







「いい子」のやめ方

では、自己否定や依存から脱却するにはどうすれば良いか、著者冨田氏は、「いい子」をやめて、自分の気持ちを自分の言葉で伝えることで一歩を踏み出しました。

冨田氏は自分を振り返ります。
「私が彼女(=母)の愚痴を聞きこそすれ、私の気持ちなんて言えない。
だってママが疲れて弱くなったのはパパのせい。
そして、パパと離婚できないのは、私のせい。
(中略)私さえいなければいい(中略)でも聞いてほしかった。
いいたかった。
本当の私の気持ち。
悲しかったこと、辛かったこと、怒ったこと」

恐らく、一般的に自分の気持ちを表現するのは日常会話なのでしょうが、それが簡単にできない人間も実はいます。
“嬉しい”“楽しい”というポジティブな感情表現は相手を喜ばせようと積極的にする一方、“悲しい”“辛い”“怒り”というネガティブな感情表現は相手の負担になるので隠し、抑え込みます。

その習性は幼いながらに家族を守ろうとした努力の結果なのだと思いますが、やはり“思い込み”以外に裏付けがありません。
実際に「愚痴を聞かないなら、あなたに存在価値はない。
出て行きなさい」と言われたわけではないのですから。
冨田氏が、母親の表情や言葉から察し、恐怖と不安を抱え自分を抑圧したという自己完結型の構図に他なりません。

実際のところ、娘が愚痴を聞いてくれて母親は救われたこともあったはず。
父親に反対し、自分の味方をするように仕向けた事実もあったはず。
でも、そこで「いい子」を演じたのは彼女。
ですから、「いい子」から抜け出す力を持っているのも彼女だけ。

親の価値観や理想と合わなくとも、自分はこうしたいと伝えること、“食べ物でなく言葉を吐くこと”が自立なのだと彼女は教えてくれます。

家族の誰も悪くない

もちろん、母親を責める意図はありません。
他方の母親は、夫や姑やその他の関係における調整役でもあるのですから。

先の漫画家である永田氏は、同居している姑のモラハラや、家庭内に敬意がないことに触れて、母親も被害者なのだと言います。
永田氏自身の生きづらさの加害者は母親だと思っていたが、視点を変えればその母親も被害者なのだと気付いたのです。
そして、かわいそうな母親を守ろうとする役割を捨て、最終的に自分の幸せのために居心地の悪い実家を出ようとします。

一方、元アナウンサーの小島氏は自分の誕生が家族の犠牲の上に成り立っていることを挙げて、家族が「その分の愛情を返せ」と欲する人たちだと分析。
小島氏自身が幼い頃から、家族に負担を掛けているという罪悪感を背負い、その思いに報いろというプレッシャーに苦しんだと気付き、然るべき距離を置こうとします。
そして同時に、「愛情を返せ」と言わない夫に救われ、立ち直っていったのだそうです。

小島氏も決して家族が悪いとは言いません。
「誰が悪者かを決められないのが家族のしんどいところだと思います」という彼女の言葉に、苦悩と葛藤が集約され、家族関係に悩む読者は共感するのではないでしょうか。

「いい子」をやめる勇気を!

心を病むと言っても、事情はそれぞれですので、家庭に問題のないケースもあるはずです。
一方、紹介した以外にも家族関係に言及する作品は多く、病気を問わず社会問題になっているのも又、事実。

大人に限って言えば、自分を救えるのは自分しかいません。
家族という呪縛も、「いい子」という虚像も、作り出したのは自分自身。
同じ経験を持つ仲間として、自分を解放する勇気を持ってほしいと切に願います。

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