熊野古道には鬼が棲む「鬼ヶ城」伝説

古来より「熊野三山(くまのさんざん)」にお詣りする人達は、天皇をはじめ庶民にいたるまでたくさんいました。山が信仰の対象になる「山岳信仰」というものですね。熊野三山とは「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」と「那智山青岸渡寺」で、そこへ登る「熊野古道(くまのこどう)」も含めて現在は世界遺産にもなっています。「蟻の熊野詣」というほど、絶え間なく参拝の人達が通ったといわれています。

その参道のひとつ「松本峠」を超えると、25㎞にわたっての「七里御浜(しちりおんはま)」と呼ばれるゆるやかな海岸線が続きます。その先に「鬼ヶ城」と呼ばれる天然記念物に指定されている素晴らしい造形岩があります。

なぜ「鬼」なのでしょうか?鬼のように人を圧倒するような岩の形からでしょうか?気になりますね。ちょっと調べてみましょう。


鬼の伝説

鬼の伝説

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「鬼ヶ城」は、大昔は「鬼の岩屋」と呼ばれていました。
名前がお城に変わったのは、戦国時代にお城ができたからといわれています。

鬼といえば、桃太郎伝説で有名な岡山の「鬼ヶ島」が有名ですが、この場所にも鬼が棲んでいたという伝説があるのです。

伝説も「にほん昔話」のように、長年の口伝えですので、伝言ゲームではありませんが若干変わっていきます。
その・いかにも・伝説と、記録に残っているものを紹介しましょう。

伝説その1・南紀むかし話

伝説その1・南紀むかし話

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鬼ケ城というところは断崖絶壁で陸伝いではなく海からしか近づけません。

するとここに「鬼神」が棲み着いて人々を苦しめていました。

「平城(へいぜい)天皇」の時、806~810年のいつかに、鈴鹿山の鬼神を退治したという、日本最初の「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」である「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」が話を聞きつけて「こいつも討伐してやる」と船で岩屋へ近づいたそうです。

鬼の大将「金平鹿(こんへいか)」は手下を集めて、うわさでは「観音様の御守護がある田村麻呂が来たのだから、自分たちの神通力が効かないかもしれない」と岩屋に閉じこもりました。
しっかりと籠城された鬼達に田村麻呂が手をこまねいていたところ、沖の島の上に菩薩の化身の童子が突然に現れて弓矢を渡しました。
童子は「私が舞うから、兵達も一緒に舞おう」と語り(なんだか映画「のぼうの城」のようですね)、船を並べた舞台の上で舞いはじめました。
その楽しそうな騒ぎに鬼の大将は石の戸を少し開けて顔を出してしまいました。

田村麻呂は「今だ!」と童子からもらった弓を引いて矢を撃つと、矢は金平鹿の左眼に命中しました。
その叫び声に岩屋の中から800人(昔は「たとえの800=たくさん」といわれています)もの手下の鬼たちが飛び出してきましたが、田村麻呂からの千の矢にすべて倒されてしまいました。
千手観音(これで矢が1000となるのですね)の化身だった童子は飛び去りました。
童子があらわれたと伝承されている島を「魔見るか」島(魔見ヶ島(まみるがしま・まぶりか)と呼ばれるのはこの語が語源だといわれています。

伝説その2・記録にも残っている鬼退治

伝説その2・記録にも残っている鬼退治

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「恒武天皇(かんむてんのう)」(すでにここから違う)の頃、海上交通をしていた船を襲ったり、熊野三山や伊勢神宮を参拝する人達を襲って困らせていた、鬼と呼ばれた海賊の「多娥丸(たがまる)」を征伐するために田村麻呂(ここは同じ)がつかわされました。

伊勢から熊野に入った田村麻呂が海から海賊の隠れ処を探していると、烏帽子山に「大馬権現」の化身の天女が現れ教えてくれました。
しかし岩が厳しくそびえいるし、波が激しくて近づくことができません。
そこに登場したのが、上記の魔見ケ島に出てきた千手観音の化身の童子!後は同じですが、童子が飛んでいった後を追いかけて行き着いた先に紫の雲がたなびき、いい香りの洞窟があったので、自分の守仏である千手観音を納め安置したといいます。
これが「泊観音」のもとになったともいわれています。

そして征伐した帰りに音楽を鳴らしてパレードしたので、松本峠の下にある橋の名は「笛吹橋」と呼ばれているそうです。
田村麻呂は多娥丸の首を埋め「大馬神社」を建立したといいます。
そのために祭神のひとつに田村麻呂の名前が入っています。

「なんで悪い人なのに、そんな人のために神社を?」と思われるかもしれませんが、昔は祟られると怖いので、その霊を諫めるために神社を作るというのはよくある話です。

伝説からはじまる遊歩道の名前

伝説からはじまる遊歩道の名前

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地図を見られるとわかるように鬼ヶ城は、伊勢神宮で有名な伊勢志摩から南にかけてリアス式海岸になっています。
ちょうど端にあるので、地震が多い場所でもありそれの地面の隆起や、熊野灘の荒波の力で侵食されたのでしょう、岸壁が約1.2kmほど続く大きさも色々な海蝕洞という息を呑むような景観をみせます。

どれも形状は先端が尖って、天井は蜂の巣みたいな風蝕跡、床面は波の力でまるで掃除したように板のようになった平面という自然の力の不思議を体感できます。
そしてその海蝕洞にはそれぞれ鬼にちなんだ名前がつけられていますので紹介します。

遊歩道の東口から西口へ

遊歩道の東口から西口へ

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東から順番にいきましょう。

〇千畳敷

これはみなさん行かれているようですね。
平らな岩場に自然の岩でできた高さが15メートルという天蓋があり、広さは約1500㎡もあるといいます。
鬼が集まって宴会とかしていたのでしょうか?今はイベント会場とかに使われているそうですね。

〇奥の木戸

岩の絶壁が海からそそり立っているような凄い所。
平成27年にきた台風の影響で、ここから通行禁止になっていたそうですが、平成29年に解除されたといいます。
これから切り立った絶壁に沿っての道が続きますので大工事だったのでしょうね。

〇猿戻り

猿ですら行くのを諦めて戻ってしまうというくらいの断崖絶壁。
高さが海から数十メートルとなっていて、本当に豪傑の男性でも足がすくむといわれています。

〇鬼の風呂場

岩の割れ目にかれることなく海水がたまっているので、そういう名前がついたそうですね。

〇犬戻り

亀裂の入った断崖絶壁を歩いていくと、この名前がついたところに着きます。
これは西から来た犬が猿同様に「この先は行けない」となるということでしょうか。
犬や猿はこのあたりで引き返すのなら会うことができませんね。

〇神楽岩

海に向かって飛び出している大きな岩があります。
その後ろ姿は「神楽(獅子舞)」の獅子の姿に似ているということからついた名前といわれています。

〇木喰岩

案内板によると、約300tの大岩(たぶん大きさから計算されたのでしょうか)が波の力で持ち上げられて、岩の下に大波ごとに流木が入れ替わって食い込むところから名付けられたとありました。

〇鰐岩

日本で鰐というのはサメのことだといわれています。
ちょうどサメが泳いでいるような形から名づけられたといわれています。

このあたりが中間地点となるようですね。

〇潮吹

そこにある岩の割れ目に潮が左右から入ってきて、まるで鯨の潮吹きのようだということからついたそうですね。
獣が吠えるような音がするといわれています。

〇飛渡り

深い割れ目があったので、橋ができる前は飛ばないと行けなかったのでつけられたと書かれていました。

〇鬼の見張り場

千畳敷より狭いですが、東西を見渡すことができるので、海賊としては獲物となる船が来ないかと見張っていたのではないかということからつけられたようですね。

〇水谷

山頂から絶えず水が流れてきたので、鬼が水くみをしたのではないかといわれています。

〇鬼の洗濯場

水谷からくんだ水で洗濯をしていたのでしょうか。
平地になっているところですが、遊歩道の上にあるとかで見つけられないみたいですね。

〇波切不動

ここの岩は「凝灰岩」なのだそうですが、ここだけ違う石があってお不動様に似ていたから名づけられたといわれています。

〇蜂の巣

いよいよ最後となりました。
岩の天蓋にたくさんの窪みがあって、蜂の巣のようだと名づけられたといわれています。

けっこう凄い道のりですが、1キロの距離と書かれていました。

鬼ヶ城誕生!

鬼ヶ城誕生!

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おとぎ話のような場所ですが、その山頂に戦国時代にお城を建てた人がいました。
名前は「有馬忠親(ありまただちか)」といいます。

有馬氏は熊野一帯をおさめていた「国衆(くにしゅう)」で、元は熊野を統括する「別当」の家柄でした。
弥生時代からある「産田神社(うぶたじんじゃ)」の神官だった榎本氏が、有馬一帯を支配したことから有馬氏と名乗ったといわれています。
水軍としても有名だったそうで、東は九鬼・行野、西は阿田和までかなりの勢力をもっていたといわれています。
この人の隠居場所として、鬼ヶ城はできたのでした。
そして岩屋から城と地名も変わったのです。

どんなお城だったのでしょうか

どんなお城だったのでしょうか

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有馬氏は熊野市有馬町に鎌倉時代からある「有馬本城」という市の史跡となっているお城がありました。

有馬忠親は子供がいませんでしたので、甥の「忠吉(ただよし)」を養子にして、1523年頃に鬼ヶ城を建設して隠居したといわれています。

形は南北にのびる連郭式山城で、標高153メートル・東西30メートル、南北330メートル、城廓が十数ヶという地方最大規模でした。
本丸から北は熊野古道の松本峠に達し、三条の堀切が設けられていたといわれています。
この断崖絶壁の上に作りましたので、かなりの景観だったと思われます。

悠々自適に隠居生活をしていた忠親ですが、隠居してから実子の「孫三郎」が授かりました。
あわてた忠親は、甥の忠吉にあらぬ罪をつけて自刃させてしまいます。
怒った家来達は軍を率いて鬼ヶ城を攻めました。
一旦は逃げたものの味方はどんどん降伏していってしまい、とうとう追いつめられた忠親は自刃してしまったのでした。

Writer:

3度のご飯より歴史が好きです。歴女というのが今メジャーなようですが、どちらかというと私は歴史ヲタクという泥臭い感じがします。

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