アメリカが大勝利した独立戦争って、近代ヨーロッパにも大きく貢献した世界的な歴史なんです

フレンチ・インディアン戦争に勝利したイギリスは、アメリカ東部沿岸にイギリス領の13の植民地を作りました。イギリスの植民地への対応に、植民地の人は大反発し独立戦争へと発展しました。これが、「United State of America」という、共和国の誕生です。世界を牽引する、アメリカがどうやって作られたか興味が湧きませんか?今回は、アメリカ独立戦争の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

植民地に対するイギリスの横暴

植民地に対するイギリスの横暴

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「Boston Tra Party」という言葉を聞くと、ボストンで何らかのパーティが行われたのかって思いますよね。
このPartyは、華やかなパーティではなく、歴史を揺るがす大事件なんです。
この、大事件がイギリスの名誉革命とフランス革命と並ぶ三大市民革命と称されるほどの革命へと発展していきます。
18世紀ごろの、アメリカ大陸は、スペイン、フランス、オランダ、スウェーデンそしてイギリスに支配されていました。
この国々が自国の植民地を増やそうと、戦争が各地で勃発していたのです。

冒頭でお話しした通り、ほぼ全域を手中に収めたのはイギリスでした。
でもイギリスは戦争で多くのお金を使っており、植民地の税収を増やすことで補おうとしました。
1765年に印刷物全てに印紙を貼る印紙条例を発布したのです。
マスコミをはじめ大衆は激怒。
今でも強いですが、マスコミの力は当時から強かったんですね。
「代表なくして、課税なし」と主張したパトリック・ヘンリーをはじめ、植民地に住むイギリス人たちは、本国からの製品を一切買わないと、不買運動を起こしました。
これには当時、本土の議会に植民地の議員がおらず、発言の権利がないため本土の言うがままだったことによる反抗でした。

アメリカ独立戦争の起因となったボストン茶会事件

アメリカ独立戦争の起因となったボストン茶会事件

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イギリスもやむを得ず、印紙条例を撤廃しました。
ここで終わらなかったイギリスは、1767年にタウンゼンド諸法を13の植民地に強いたのです。
これは茶、紙、ガラス、塗料などの日常品に輸入税を掛けています。
ここでも民衆は強く反発し、翌年取り下げられました。
しかし、1773年には関税をお茶にかけないという茶法成るものが登場します。
東インド会社に独占販売権を与え、植民地はお茶を安く手に入れられるようになりました。
ウィンウィンの関係になったように見えますが、アメリカでお茶を販売していた人は大ダメージを受けたのです。

イギリスは先住民との対立を避けるために当初から、先住民がアパラチア山脈を越えることを禁止していました。
土地を増やしたい自営農民たちが山脈を越えて先住民領に侵入し対立していました。
この税金関係と先住民との土地問題の両方が植民地の人たちを突き動かし、1773年12月16日にボストン茶会事件が勃発しました。
これは、茶法に反発した植民地の住民がインディアンの格好をしてボストンで東インド会社の商船を襲撃し、船に積んであるお茶を海に投げ捨てたのです。
この行動に今度は本国が激怒。
自治の制限、駐屯地を設置し、その費用まで負担させるという制裁措置を取りました。
これが、アメリカ発祥の地とされるボストンで起こったボストン茶会事件です。

独立戦争の始まり

独立戦争の始まり

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この制裁措置が、植民地の住民の独立心に火を付けました。
1774年にイギリスへの対応に不満を持った植民地の住民が、フィラデルフィアに集結し「第1回大陸会議」を開きました。
この会議には、ジョージア州を除く、12の植民地の代表が集結し、イギリスに対して通商の断絶とこれまで課せられてきた課税を拒否すると、本国に対し抗議することを決めました。

1775年4月19日にはボストンの郊外で、イギリスとの武力衝突が起こり、これがレキシントンの戦いという、アメリカ独立戦争の始まりです。
イギリス軍は人数が不足しておりボストンに逃げ込みました。
反乱軍はボストンを包囲しました。
住民の雄姿を聞いた他の地方の住民たちが集まり、寄せ集めの植民地軍は1万2000人にまで膨れ上がります。

独立戦争に勝利する住民たち

独立戦争に勝利する住民たち

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同年5月26日に第2回大陸議会を開催し、ヴァージニア州出身の政治家「ジョージ=ワシントン」を総司令官に任命しました。
ワシントンは、独立革命の総司令官で、初代大統領として絶大な人気のある人物です。
フレンチ・インディアン戦争で最初の一発目をお見舞いしたのもこの人なんだとか。
銃や毛布もない状態の烏合の衆が、当時世界最強国だったイギリス軍に勝利することはかなり大変なことでした。
でも、彼らはやってのけました。
1776年3月17日にようやくイギリス軍が撤退することで、ボストンを中心にした戦争は終結。
独立宣言を同年7月4日に、アメリカ独立宣言を発布しました。
この独立宣言は、人権や革命権などヨーロッパの自然法思想をもとにして造られています。
ここから新しい国家を目標にイギリスとの戦いは続きます。

イギリスは凝りもせず、1777年9月に独立アメリカの首都を占領し軍事基地とします。
急行したワシントン軍は、極寒の中6ヶ月も野宿しながら一進一退の状態を続けます。
兵士は何人も死んでしまいましたが、これによりどんどん強くなったとか。
何度も、負けそうになりながらも決定的な敗北を回避しながら、地の利を生かした戦いを繰り広げました。







イギリスはどうして負けた?

イギリスはどうして負けた?

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この時のアメリカ独立は、東側の13の植民地を独立させただけです。
広大なアメリカ大陸には、たくさんの植民地が残されていました。
実は、イギリスはヨーロッパに嫌われていたんです。
1777年に、サラトガの戦いに勝利したことで、ワシントン軍の形成が一変します。
イギリスに反対するヨーロッパの国がアメリカに協力するようになっていきます。
しかも、イギリスはこれまでの戦いなどで、財政難に陥っていたのです。

イギリスと対立関係にあったフランスが1778年に、翌年にはスペインが、1780年にはオランダがワシントン軍に参戦します。
イギリスは四面楚歌状態になっていきます。
しかも、イギリスは兵の募集に苦しみました。
ドイツから傭兵を3万人アメリカに送り込むものの、独立を目指す植民地軍の士気は高く、雇われ兵とは気力が違います。
しかも、武器の開発はワシントン軍の方が勝っていたのです。
一進一退が続きましたが、1781年にヨークタウンの戦いでイギリス軍が負けたことでやっと終焉を迎えました。
1783年9月にパリ条約が結ばれています。
13州の独立とミシシッピ以東のルイジアナを割譲することで講和条約が締結しました。

アメリカの独立戦争時の問題

アメリカの独立戦争時の問題

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当時強国の一つだったイギリスが負け、植民地から脱出されたことは世界中にも大きな影響があったのです。
スペインやポルトガルの支配を受けていた中南米の人々も、独立への士気が高まりました。
アメリカ本土だけでなく、ヨーロッパにも影響がありました。
フランス革命の遠因になったことは有名な話ですね。

独立戦争はいいように聞こえますが、実はその前から住んでいた先住民に対しての白人の服従戦争という面も持っています。
先住民は、白人同士の戦争に巻き込まれてしまったのです。
土地を奪われた先住民はワシントン軍を恨んでいました。
彼らはイギリスに就いたのです。
だって、ワシントンは「先住民を根絶しろ」といったほどで、先住民に敵意を持ち絶滅を目指しています。
独立戦争は1783年に集結しますが、先住民との戦いはずっと続きました。
最終的には、1795年にグリーンヴィル条約により、広大な土地をアメリカに譲渡されてしまいました。

1803年にフランスより、ルイジアナを買収したことから領地の拡大が進みました。
1853年にメキシコからガズデンを買収、1867年にはロシア領だったアラスカがアメリカ領となりました。
わずかな年月で領土を増やしたアメリカは、現在世界を脅かすほどの強国へと成長しました。

日本と明るくフレンドリーな関係にあるアメリカには独立戦争を経て今の姿があるんです

改めてアメリカは、白人が再編成した国だということを実感しました。
独立宣言の陰では、先住民の涙があったということも決して忘れてはならないことだと思います。
トランプ政権に変わり、日本との関係もどのようになっていくか不透明ですが、今以上にお互いがいい関係を築けたらいいですね。
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