「丸岡城」の観光前に知りたい!日本最古の天守閣・丸岡城の歴史と見どころ

丸岡城は、北陸地方である福井県坂井市丸岡町霞町にあります。別名霞ヶ城とも呼ばれており、現存残されている天守閣では日本最古の建築様式を持つお城。霞ヶ城という名前の通り、春のさくらの季節になると満開の桜の中に浮かぶ丸岡城の姿は、幻想的で美しいと人気の観光地となっています。今回は、北陸地方で唯一天守閣が残っている丸岡城の歴史と見どこるについてご紹介します。

現存する最古の天守閣である丸岡城とは?

現存する最古の天守閣である丸岡城とは?

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丸岡城は、福井県の平野丸岡市街地から東側にある小高い丘陵に築かれた平山城(平野にある山や丘などに築城された城)。
また、天守が現存する城は、日本国内に12城ありますが、丸岡城はそのうちで日本最古の現存天守とも言われており、北陸地方では唯一の天守となっており歴史的にも大変貴重な天守です。
(一説には、最古は犬山城との説もあります。)

1576年(天正4年)に有名な戦国武将である柴田勝家の甥にあたる柴田勝豊によって建てられました。
その後,織田信長や豊臣秀吉などの天下人から厚い信頼を寄せられていた丹羽長秀・徳川家康の次男である結城秀康の支城となります。
また、江戸時代には本多氏や有馬氏など有力大名の居城として受け継がれてていきます。
日本最古と伝えられる天守閣は、戦国時代につくられたと言われており,大変古い建築様式とで国の重要文化財に指定されています。
1934年(昭和9年)に一度は天守は国宝に指定されましたが、残念なことに1948年(昭和23年)の福井地震で倒壊してしまいました。
、1955年(昭和30年)に倒壊した材料を使用して元通り組み直して復元され、現在に残されています。

現在では、丸岡城周辺は、「霞ヶ城公園」という日本庭園式公園として整備されています。
歴史的・文化的資源を有効活用していることから、「日本の歴史公園百選」にも選ばれています。
また、丸岡城天守閣を囲うようにソメイヨシノ桜が植えられており、桜が満開の頃は、桜がが織り成す霞の中に丸岡城が浮かび、大変幻想的な風景を楽しむことができます。
そのため「日本さくら名所100選」にも選ばれており、夜間ライトアップなども開催されています。

北陸地方唯一の天守を持つ丸岡城の歴史

築城から明治維新まで

築城から明治維新まで

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丸岡城は、1576年(天正4年) に天下布武を目指した織田信長の重臣んお一人であった柴田勝家の甥である柴田勝豊(しばたかつとよ)によって築城されました。
そして、柴田勝豊はそれまでの豊原寺城から、丸岡城主として4万5,000石を領地として所有しました。
1582年(天正10年)の本能寺の変で織田信長が亡くなると清洲会議により、柴田勝豊は近江国長浜城に移動となります。
丸岡城には家臣である安井家清が留守を任されました。
その翌年、柴田勝豊が病死し、柴田勝家が賤ヶ岳の戦で敗北し、北ノ庄城で滅ぼされてしまいます。
この地は豊臣方の支配下に置かれ、丹羽長秀の所領となります。
そして、長岡城は4万6千石を拝領した青山宗勝(あおやまむねかつ)が城主となりました。

1600年(慶長5年)、丸岡城主であった青山宗勝とその息子である忠元は、関ヶ原の戦いで豊臣側である西軍についたため、勝者である徳川家康により改易(所領や城・屋敷を没収)されました。
徳川幕府の時代になると丸岡城がある越前国には、徳川家康の次男・結城秀康が土地を与えられ領地として収めることになり、丸岡城には結城秀康の家臣である今村盛次が入城しました。
しかし1612年(慶長17年)になると城主であった今村盛次は、越前藩の重臣同士が対立した大事件である越前騒動に連座して失脚してしまいます。
そして、江戸幕府より新たに本多成重が城主として迎えられました。
1624年(寛永元年)になると 福井藩2代目であった松平忠直が、豊後配流となり、福井藩に減封(所領や城・屋敷の一部を削減)などの処分が下されました。
それと同時に本多成重は、福井藩より丸岡藩として独立して大名となりました。
その後、約70年間は平穏でしたが、1695年(元禄8年)になると 4代目本多重益の時代になると、丸岡藩でお家騒動が起こり改易となってしまいます。
変わりに越後国糸魚川藩より有馬清純が5万石で入城します。
それ以後、有馬氏は丸岡藩8代の居城となり、明治維新を迎えることになります。

明治から現在へ

明治から現在へ

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明治維新を迎え、日本各地にあったお城は無用の長物となっていきます。
この丸岡城も1871年(明治4年)の 廃藩置県により廃城が決定し、天守以外全て解体されてしまいました。
1901年(明治34年)に残された天守は、地元の人々の力で丸岡町により買い戻されました。
そして、解体を免れた城跡は公園として生まれ変わることになります。

それでもやはり時代の流れには逆らえず、本丸を囲んでいたお堀は大正後期から昭和初期にかけて徐々に埋められてしまい、消滅してしまい城は縮小されていきました。
しかし、1934年(昭和9年)には、戦国時代から伝わる古式な二層三階の望楼型天守や北陸地方ならではの豪雪に耐えるための重い石瓦などが他の天守ではない特徴的で大変貴重なため国宝保存法(旧法)に基づく国宝に指定されます。
その後、残念なことに1948年(昭和23年)の福井地震のために天守は倒壊。
1955年(昭和30年)に当時の残された建材等を使って天守は、再建されました。
国宝ではなくなってしまいましたが、この丸岡城は、現存する最古の建築様式を有しているとされ、戦後に定められた「文化財保護法」で、国重要文化財の指定を受けています。
また、1990年(平成2年)には丸岡城周辺に「霞ヶ城公園」は日本さくら名所100選に選定され、約400本の桜が丸岡城を取り囲んでいます。
2006年(平成18年)には、日本100名城(36番)に選定されました。

丸岡城のみどころ

現存する最古の天守閣

現存する最古の天守閣

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丸岡城の一番の見どころはやはり天守です。
北陸地方で現存する唯一の天守で、大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せており、古式の外観が印象的。
現在私たちが見学できる天守は、昭和23年1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊した後に、修復再建されたものです。

天守の高さ12.6m石垣の高さ6mという小ぶりな二層三階の初期望楼型独立式天守。
石瓦が寒冷地であるという気候事情により葺かれているといわれおり、一枚の重さが20〜50キロあると言われている石製瓦が約6000枚も天守の屋根を覆っています。
この瓦は、福井産の緑色凝灰岩「笏谷石」(しゃくだにいし)を加工したもので、天守にかかっている重さは、なんと75トン〜120トンと推定されています。
軒下や壁面が白木造りとなっており、倒壊した後に再建されたとはいえ420余年の歳月を感じさせる風格のある作りとなっています。

天守の一階には「石落とし」と言われるという窓があり、石垣を登ってくる侵入者に向かって、石を投げ落としたり、弓をや鉄砲を撃ったりする時に用いました。
天守の最高階は、3階になり回廊付の望楼。
本丸からは約18m、城山の麓からだと約35mの高さとなります。
最高階は、四方の壁に大きな窓があり東西南北の景観を一望することができます。
特に西側は日本海・三国の海岸まで見渡すことができます。
お城を見学に行く際は、お城の入り口からの石段や天守へと続く階段もかなりの急勾配です。
特に2階から3回へと昇る階段は、60度以上の傾斜をロープを掴みながら登っていくので女性は、スカートよりスボンなどにしたほうがいいかも知れません。

人柱となった悲しいお静の伝説

人柱となった悲しいお静の伝説

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丸岡城の城内には、静慰霊碑という石碑が建っています。
これは、築城の際に人柱となったお静さんを偲んで建てらました。

丸岡城を柴田勝豊が1567年(天正4年)に築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れてしまうために、人柱をいれることが決定します。
当時、土木工事技術が未発達であり、柱の強化の目的で生きている人間を土中に埋めるということがなされていました。
神の心をやわらげて、 人間が持っている霊質が柱に乗り移ると信じられていたのです。
そしてその人柱として、選ばれたのが2人の子を育て、苦しい生活をしていた片目のお静さんでした。
お静さんは、子供の一人を侍にしてもらうことを条件として人柱になることを決意しますた。
そして、天守閣の中柱の下に人柱として埋めらたと言われています。
それからしばらくして、天守閣は無事に完成しました。
しかし、約束をした城主・柴田勝豊は他の地に移動となり、お静さんの子は侍にしてもらえませんでした。
お静さんの霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをや4月になると、春雨で堀には水を溢れさせたと言われています。
人々は、”お静の涙雨”と呼び、お城の側に小さな墓をたて霊を慰めました。
「ほりの藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられてます。

LUAN

Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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