「兼六園」はどうやって作られたの?兼六園の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は金沢「兼六園の歴史」をご紹介します。


兼六園ってこんなところ

兼六園ってこんなところ

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金沢にある兼六園は、水戸の偕楽園(かいらくえん)と岡山の後楽園(こうらくえん)と並ぶ日本三大名園の一つとして有名ですね!この国の特別名勝にも指定され、実はミシュランで三つ星を獲得しグリーンガイドにも掲載されているんです。
総面積11万4000平方メートル以上もありますが、数多くの池と池を作った時に出た土で築かれた山や御亭から成る、「築山・林泉・廻遊式庭園」をゆっくり味わいながらの散策は、自然と庭園美という日本文化に触れる心安らぐ観光を楽しめちゃいますよ。

金沢の冬の風物詩である「雪吊り」を見るなら1月下旬がおすすめ。
2月からは金沢城と兼六園がライトアップされ幻想的な雰囲気を味わえます。
また、4月上旬のお花見の時期と6月1~3日の百万石まつり、9月中旬にも、季節ごとのライトアップを見ることができます。
兼六園のシンボルともいえる足の長さが異なるアンバランスさが美しい徽軫灯籠ともみじの古木と虹橋を一枚の写真に収めるのも兼六園での魅力の一つです。
今回は、歴代の加賀百万石の藩主が造り上げた“大名庭園” 兼六園の180年に亘る歴史について少しだけ触れてみたいと思います。

兼六園はこうやって造られた

兼六園はこうやって造られた

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延宝4年(1676)に5代目藩主の前田綱紀(つなのり)が、金沢城に面した傾斜地に別荘を建て、その周辺を庭園にしたのが始まりといわれています。
ここから長い年月をかけて現在のような一大庭園となっていきます。
兼六園の発祥の地は瓢池で瓢箪の形が印象的です。
当時は、この辺りには蓮の美しい花が咲いていたことから、「蓮池庭(れんちてい)」と呼ばれました。
来潘した客人や重臣たちへの接待のために作られたようです。
茶室や泉水、馬場、花畑などがあり、歴代藩主たちが優雅な時を過ごしていたとされています。

宝暦9年(1759)に起こった金沢城下の大火により、庭園のほとんどが焼失。
金沢城が全焼するほどの大火事でした。
安永3年(1774)に11代藩主の治脩(はるなが)によって再建が始まり、翠滝と夕顔亭が、安永5年には内橋亭が増設されました。
趣ある瓢箪池は、治脩が翠滝の滝壺を岩で埋め水が岩に当たるように工夫し、水音を楽しめるような工夫が凝らされています。

藩主の志向により造り替えられる兼六園

藩主の志向により造り替えられる兼六園

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治脩は蓮池庭の上部にある平地の「千歳台(ちとせだい)」に、藩校である「明倫堂(めいりんどう)」と「経武館(けいぶかん)」を創設しました。
この千歳台は藩主の好みによりいろいろな使い方がされ、さまざまな形に造りかえられた場所でもあります。
次に、このエリアに手を加えたのが37歳で引退を表明した、第12代藩主の斉広(なりなが)です。
治脩が開校した2つの藩校を移動させ、跡地に隠居所の「竹沢御殿」を造営したのは文政5年(1822)のことです。

竹沢御殿は建坪4000坪に200を超える部屋と2つの能舞台を壮観な御殿でした。
こんなに大きな隠居所を建てるなんて、加賀大名ってどれだけお金持ち?この年に、今の名前の「兼六園」と命名されています。
この時に御殿からの美しい眺望を考えた設計がされたのです。
1632年に金沢城の防火用水として造られた辰巳用水を引き込んだ曲水や雪見橋、雁行橋、座敷正面には七福神山を築いています。
大奥は御殿と3本の廊下で繋がり、長さ75mもの間に20の部屋が設けられていました。

竹沢御殿は文政7年7月10日に斉広が亡くなった後、第13代斉泰(なりやす)によって壊されました。
彼は、霞ヶ池を広げ、美しい風貌の木を植え、更に美しい庭へと造りかえました。
万延元年(1860)には蓮池庭と千歳台の間にあった門と塀を壊し、一大庭園としたのも斉泰でした。
文久3年(1863)には更に、母真龍院の隠居所として巽御殿(たつみごてん)を建てました。
この巽御殿は現在の成巽閣で女性らしさを感じる佇まいと謁見の間の豪華さが見ものです。
特に一枚板に描かれた花鳥の透かし彫りが施された欄間は必見です。

地形も名園としての魅力のひとつ

地形も名園としての魅力のひとつ

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「蓮池庭」とこの「千歳台」は兼六園で2つに分けられます。
傾斜のエリアには1600年代に作庭された「蓮池庭」があり、ここには木々が鬱蒼と生い茂り、滝音と文久元年(1861)第13代藩主の斉泰(なりやす)が造った噴水が奥ゆかしさと静寂の“幽邃”を醸し出し、自然のままの風景も残る“蒼古”も体感できます。

1800年代に手を加えられたのは、主に「千歳台」エリアでした。
特に魅力的なのは小立野台地の辰巳用水から引かれた水が、曲がりくねった小川となって霞ヶ池に注ぎ込まれる風景です。
13代藩主の斉泰が3度に亘って霞ヶ池を堀り広げた際に出た土で作ったとの逸話が残る巻き貝の殻のように昇る栄螺山も必見。
他にも、花見橋、雪見橋、月見橋、雁行橋、虹橋など、情緒ある橋があり、綺麗な花々も咲き乱れています。
「水泉」とゆっくりとした水の流れに優雅なひとときを満喫するのもおすすめです。

6つの景勝を持つ兼六園の名前の由来

6つの景勝を持つ兼六園の名前の由来

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先程お話しした「蓮池庭」から「兼六園」と名前が変わったのは、文政5年(1822)です。
詳しいことは分かっていませんが、一説によると、12代藩主の前田斉広(のりなが)の依頼により奥州平泉の藩主で幕府の老中だった松平定信が金沢を訪れた時に名付けたようです。
その時に庭園の門に掲げる扁額に『兼六園』と書いたという記録が残されています。

この名前には庭園内にある「六勝」がかかわっており、「六勝を兼ねる」という意味から兼六園と名付けられました。
この六勝とは、広々として明るく開放的な「宏大」と物静かで趣深い山峡のような「幽邃」、人の手が加わっていることを表す「人力」と寂びた趣ある自然のままの風景「蒼古」、見晴らしがよい「眺望」と庭園を流れる小川や池、滝などの水辺「水泉」の6つの景勝から成っています。
兼六園には通常なら一つの庭園には絶対に存在しない、相対する優れた景観が創り出されているのも魅力です。

また、江戸時代にできた庭園だけあり、作庭当初はまだ金沢城の防衛の役割を担っていたようです。
金沢城最大の弱点だった、小立野大地からの攻撃に対処するために建てられたとの説もあるようです。
このような時代背景を垣間見るのも、兼六園における魅力なのかもしれませんね。

明治以降の兼六園

明治以降の兼六園

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明治7年(1874)には、兼六園は全面的に市民へ解放されるようになります。
それに伴い園内には、蓮池庭にあった建物を霞ヶ池のほとりに移築した内橋邸など多くの茶店が経ちました。
明治13年(1880)には、西南戦争における戦死者の霊を悼む「明治紀念之標」も建立されています。

大正11年(1922)には国の名勝に指定されました。
その後、昭和60年(1985)からは名勝から特別名勝へと格上げされています。
平成12年(2000)には新庭園が造られ、ここには明治初頭に壊された「時雨亭」と「舟之御亭(ふなのおちん)」が再建されました。
内橋亭と共にかつての風情ある建物の中で侘び寂びを感じながら和菓子付きのお抹茶で一服するのも旅の醍醐味かも。
また、庭園も整備されており一段と美しくなった兼六園にぜひ、足を運んでみてくださいね!

百万石のお殿様になった気分で、美しい庭園を巡ってみませんか?

名勝から特別名勝へと格上げされ、庭園の国宝といっても過言ではない最高の位置にまで達した兼六園の魅力を存分に味わってみてくださいね。
また、金沢城公園と成巽閣と合わせて訪れるともっと歴史に重みを感じることができそうですね!
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