関東大震災後に建築された小学校たち・東京都に現存する「復興小学校」とは?

1923年(大正12年)に発生した未曽有の大災害「関東大震災」。この震災は関東地方を中心に10万5千人もの人々の命や多くの建築物が失われる大惨事になりましたが、そうした震災の復興事業では「同潤会アパート」や「聖橋(ひじりばし)」といった建築物が建築され、そうした建築物の一部は現在も街の「ランドマーク」として残されています。今回はそうした震災復興の過程で建設された建築物の中から、現在の東京都に残る「復興小学校」を見ていきましょう。

名小説家を輩出した「中央区立阪本小学校」


東京都中央区日本橋兜町にある「中央区立阪本小学校(ちゅうおうくりつ さかもとしょうがっこう)」は1873年(明治6年)に「第一大学区第一中学区第一番官立小学阪本学校」として開校。
学校のある場所はかつての熊本藩主・細川家の下屋敷があった場所とされており、1889年(明治22年)に建設された新校舎は1923年(大正12年)の「関東大震災」により全焼、現在の校舎は1928年(昭和3年)に完成したものです。

学校は歴史に名を残す有名人を多く輩出しており、明治から昭和にかけて『痴人の愛』などの名作を生み出した小説家・谷崎潤一郎、彼の弟である谷崎精二が主な卒業生。
校舎は平成に入っても現役の小学校として使用されてきましたが、老朽化により2017年(平成29年)度から解体を開始する予定。
校舎が見られるのはあとわずかなのです。
住所:東京都中央区日本橋兜町15−18

ツタが絡まる歴史的建築「中央区立泰明小学校」


中央区にある「中央区立泰明小学校(ちゅうおうくりつたいめいしょうがっこう)」は1878年(明治11年)に創立された学校。
校舎は1923年(大正12年)の大震災で焼失した木造校舎に代わり、1929年(昭和4年)に鉄筋コンクリート造りの3階建てで再建。
再建された校舎の壁は当時の学校建築より厚い22cm(当時の学校建築では15cmが一般的であった)もあり、その後の第2次世界大戦における「東京大空襲」時も爆撃に耐え破壊を免れることに。
震災対策が戦争を切り抜ける要因にもなったのです。

校舎の外観は3階の連なる半円形の窓、円形に張り出した講堂に「フランス門」と呼ばれる門扉などを設け、校舎の外壁にはツタが絡まるところも。
現在は「東京都選定歴史的建造物」及び「経済産業省近代化産業遺産」に指定される歴史的建築として評価されています。
校舎でありながら芸術作品にも見える「ミステリアス」なスポットですね。
住所:東京都中央区銀座5-1-13

戦争時の防空壕が健在「中央区立常盤小学校」


中央区日本橋にある「中央区立常盤小学校(ちゅうおうくりつ ときわしょうがっこう)」は1873年(明治6年)に「幼童学所」として創立。
現在の校舎は1929年(昭和4年)5月に竣工したもので、「東京都選定歴史的建造物」に指定。
学校は皇室と関係する出来事が多くあり、1886年(明治19年には当時の皇太子明宮殿下(のちの大正天皇)が行啓(ぎょうけい。
皇后・皇太子などが外出されること)、1933年(昭和8年)には当時の賀陽宮妃殿下本校がご視察。

歴史ある学校内には第2次世界大戦時に設けられた「防空壕(ぼうくうごう)」が残されており、戦争の爪痕は消さずに残されているのです。
また1895年(明治28年)3月には当時の学校では稀であった校歌を珍しい「洋式音楽」で制定。
校舎以外でも時代の先を行く先進的部分も見られますね。
住所:中央区日本橋本石町4-4-26

大空襲を乗り越え今も現役「早稲田小学校」


新宿区にある「早稲田小学校(わせだしょうがっこう)」の校舎は1928年(昭和3年)に完成した鉄筋コンクリート造りの小学校。
後者のデザインは銀座和光も手掛けた近代建築家・渡辺仁(わたなべじん)によるもので、天井を高く設定しているのは当時の建築様式でこうしたデザインが主流であったため。
その後第2次世界大戦時の「東京大空襲」において校舎全体の4分の3が焼け落ちる被害を受けますが、後者の骨組みが残されていたことから再建が可能に。
空襲を経て再建された校舎は現在も現役校舎として使用され、学区内は夏目漱石が生まれた場所、人生の終わりを迎えた場所でも知られています。
住所:東京都新宿区早稲田南町25

かつて奉安殿を設置「台東区立黒門小学校」


台東区にある「台東区立黒門小学校(たいとうくりつ くろもんしょうがっこう)」は1910年(明治43年)創立。
震災で校舎が焼失すると数年間の仮校舎生活を経て、1930年(昭和5年)に現在の鉄筋コンクリート製校舎が完成。
建物のデザインは玄関廻りにアールデコ調の装飾、3階の窓にはドイツ表現派のデザインが施されており、丸窓が連続して設けられているデザイン。

こうして完成した校舎は完成から80年以上経過した現在も使用されており、戦争時に造られた防空壕や二宮金次郎像も健在。
かつての体育館には御真影(ごしんえい。
戦前の日本において天皇の肖像写真・肖像画を敬って呼んだ用語)を安置していた奉安殿(ほうあんでん)が残されていたこともあります。
住所:東京都台東区上野1-16-20

2021年の移転で取り壊し予定「中央区立城東小学校」


東京都中央区八重洲にある「中央区立城東小学校(ちゅうおうくりつ じょうとうしょうがっこう)」は1928年(昭和3年)に建設され、現役校舎として使用されているアールデコ風の学校。
かつては「区立京橋昭和小学校」の校舎として使用され、1962年(昭和37年)4月1日に「区立日本橋城東小学校」と合併後は現在の学校校舎に。
もう一方の旧「日本橋城東小学校」はは取り壊されており、跡地は現在「日本橋プラザビル」に変わっています。

こうして残った歴史的校舎ですが、校舎がある八重洲再開発事業の一環で小学校は東京駅前に建築予定の高層ビルに移転・入居する予定に。
学校移転後に校舎は取り壊される予定とされており、時代の波とはいえ残念なことではありますね。
住所:東京都中央区八重洲2-2-2

デザイナーの支援施設に変身「旧小島小学校」


現在小学校として活用されていない校舎には、別の用途で利用されているところもあります。
台東区の「旧小島小学校」は1928年(昭和3年)に建設されたコンクリート製の校舎で、搭屋をはじめとして「アールデコ」の影響が強く感じられる建物。
小学校自体は児童数の減少などにより統廃合、2003年(平成15年)に閉校されますが校舎は残されることに。

残された校舎はリノベーションされることとなり、現在はファッション関連ビジネスでの起業を目指すデザイナー、起業したばかりのデザイナーを支援する「台東デザイナーズビレッジ」として再生。
使われなくなった廃校が「将来を担うデザイナー」を生む場所に変わったことは、地域の文化を守るためにも良いことですね。
住所:東京都台東区小島2-9-10

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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