幕末に散った「会津若松城」は忠義の城

「会津若松城(あいづわかまつじょう)」は、福島県の会津若松市にあるお城で、地元では「鶴ヶ城(つるがじょう)」といいますが、同じ名前のお城があるので「会津若松城」と一般では呼ばれています。または古くからいわれていた「黒川城」や、略して「会津城」といったりします。国の史跡には「若松城跡」で登録されています。

ここは歴史的に、東北と関東の真ん中にあり、戦国時代はこの地ををめぐって色々な戦いがあり、幕末の「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」では「最大の悲劇」の舞台となりました。

なぜここを大名達は欲しがったのでしょう、なぜ幕末の悲劇が起きたのでしょうか。歴史を追ってこの城の悲劇を探ってみましょう。


会津をめぐる大名達の戦い

会津をめぐる大名達の戦い

image by PIXTA / 33206498

関東から東北の中心にあるともいえる現在の会津若松市は、福島県西部にあり、西は越後山脈、東は奥羽山脈にという山脈の中心にある、広大な福島県の中で日本海側に近い場所です。
盆地ですので夏冬の温度差どころか一日のなかの温度差も激しく、豪雪地帯に指定されています。

南北朝時代の1384年に蘆名氏7代目の「蘆名直盛(あしななおもり)」が「小田垣の館」または「東黒川館」と呼ばれる館を造ったのが、会津若松城のはじまりといわれています。
しかし色々と説があるようで、15世紀半ばには、その時の会津は黒川と呼ばれてましたので「黒川城(くろかわじょう・または小高木城)」と城下町が成立していたという記録が、一番信憑性がありますね。

それ以降ずっと蘆名氏の城として戦国時代まで続きます。

戦国時代に勢力広大する会津

戦国時代に勢力広大する会津

image by PIXTA / 14358576

蘆名氏16代目「蘆名盛氏(あしなもりうじ)」は、1542年会津郡に勢力を持っていた「山内氏」と対立の末に勝ち、山内氏は家臣となり代々仕えることになりました。

その勢いで会津における勢力を広げていこうとした時に「陸奥守護職」だった「伊達氏」の父子の間に起きた「天文の乱(てんぶんのらん)」に巻き込まれ、最初は父方についていましたが、福島県の「中通り(福島県は会津・中通り・浜通りと分かれている)」を支配していた「田村隆顕(たむらたかあき)」と衝突したので、息子につくことにしました。

この戦いは息子が勝利して、中通りを手中にしようと田村隆顕と本格的に戦闘に入りましたが「常陸(茨城県)」の「佐竹氏(さたけし)」が田村隆顕の援護をしたために、佐竹氏と敵対状態になっている「北条氏康(ほうじょううじやす)」「武田信玄(たけだしんげん)」と同盟を結んで戦います。

その後も1578年の「上杉謙信(うえすぎけんしん)」の死後に起きた家督争いの「御館の乱(おたてのらん)」に乗じて越後に出兵したり精力的に領土を広げようとしました。

なんだか戦ってばかりいるように思える盛氏ですが、金山開発に力を入れたり、商人達が集まって国が潤うように流通の整備など内政にもがんばってます。

戦国時代の混乱

戦国時代の混乱

image by PIXTA / 15772986

盛氏の死後、男子がいなかったために娘婿となった「二階堂盛義(にかいどうもりよし)」の長男で人質としていた「蘆名盛隆(あしなもりたか」が跡を継ぎました。
この人は母が伊達氏の出で、当主「伊達輝宗(だててるむね)」は叔父にあたります。
その叔父と共に越後を責め立てて「上杉景勝(うえすぎかげかつ)」を苦しめます。

そんな時に「織田信長(おだのぶなが)」が越後を狙って進撃してきました。
盛義と景勝はお互いの領地を守るために手を組みますが、1581年には織田信長と手を組み越後に介入しだしました。

1584年10月6日、盛隆は城内で家臣だった「大庭三左衛門」に襲われて、23の若さで亡くなりました。
一説には男色のもつれという話があるそうです。
跡継ぎは生後1ヶ月の息子である「亀王丸」しかいません。
「伊達輝宗(だててりむね)」が後見するという話になり、これを機会に輝宗は隠居し「伊達政宗(だてまさむね)」が伊達家の当主となりました。

1589年亀王丸が3歳で死に、その跡継ぎに伊達家から養子を迎えるという話が頓挫し、家臣達の協議の結果後を継いだ「佐竹義重」の子「蘆名義広(あしなよしひろ)」に対して、東北の統一を目指していた政宗は同盟を一方的に破棄して攻め込み、会津を手に入れました。

豊臣政権から徳川幕府までの会津

豊臣政権から徳川幕府までの会津

image by PIXTA / 33301789

「豊臣秀吉」から再三「上洛して家来になれ」という通達を無視して、伊達政宗は会津攻めをしていました。
ちょうどその頃は「北条氏」を討ち滅ぼすために総攻めしていた「小田原合戦」の真っ最中。
遅参した政宗は白装束(死に装束)という姿で秀吉の前に座り事なきを得ました。
しかし秀吉の、大名達が勝手に戦をしてはならないという「惣無事令(そうぶじれい)」違反をしたということで没収されてしまいました。

会津若松城の完成

会津若松城の完成

image by PIXTA / 33301784

政宗にかわって黒川城に入ったのは、信長にも秀吉にも大変信頼されていた「蒲生氏郷(がもううじさと)」でした。

1592年、並の大名ではない大名の自分に相応しい城をと、会津を近世的な城郭に改造しはじめます。

まず町の名前を従来の黒川から「若松」へと改めます。
若松の名前の由来は、出身地の「馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡にある蒲生氏の氏神神社)」の参道の「若松の杜」に由来しているといわれます。
また前の領地であった今の三重県の松坂の「松」という一文字もこの松に由来するといいます。
もし松坂になっていなかったら「松阪牛」はどんな名前になっていたのでしょうか?

1593年、5重5階地下2階ともいわれる「望楼型7重」の天守閣が竣工しました。
そして名前を「黒川城」から「鶴ヶ城」に改めます。
発掘調査では蒲生時代の石垣の基底部が見つかり「鐙瓦(軒丸瓦)」「宇瓦(軒平瓦)」「鬼瓦の」に金箔が貼られたものが出てきたそうです。

城下町には、松坂から商人達を呼び寄せて楽市楽座を開いて賑わかせて、江戸時代の会津の繁栄の基礎を築いたといわれています。

しかし1598年氏郷の子で後を継いだ「蒲生秀行(がもうひでゆき)」は、父親に比べて力量がないと家来達から批判されて騒動が起きたために「下野国宇都宮」に石高をかなり下げられて左遷されてしまいました。

上杉景勝と関ヶ原の合戦

上杉景勝と関ヶ原の合戦

image by PIXTA / 27068918

秀吉の命令で、上杉景勝が越後よりやってきました。
その思惑は、北の伊達政宗と最上氏を牽制し、江戸に置いた「徳川家康」の動きを監視するためでした。
しかし、移動してまもなく豊臣秀吉は亡くなってしまったのでした。

それに伴って、次の覇者は自分だと「徳川家康」が台頭してきました。
景勝は秀吉の定めた「五大老・五奉行」の大老の1人でしたが、家康とあわず会津に引きこもってしまいました。
そこへ家康を牽制しようと、秀吉の遺児である「豊臣秀頼(とよとみひでより)」を守るために、五奉行の「石田三成(いしだみつなり)」が景勝の家老である「直江兼続(なおえかねつぐ)」と接触し、家康を東西から挟み撃ちにしようと画策しました。

しかしそれは家康の思うつぼで「上杉討伐」と銘打って軍を率いながら、石田軍が動き出したら大阪へ引き返します。
景勝は伊達と最上に押さえられて追撃しようにも動けず、関ヶ原で石田軍は大敗し、景勝は命は許されたものの米沢へ移封されてしまいました。

会津地震と会津若松の復興事業

会津地震と会津若松の復興事業

image by PIXTA / 14615859

再び蒲生秀行が、相変わらず家来達とは仲が悪いまま帰ってきました。

1611年8月21日、マグニチュード7ともいわれる地震が起きました。
記録によると城内では「石垣崩れ」「天守傾き」、城下町では「2万戸余倒壊」「死者3700名余」、里では「山崩れのために23の村がなくなる」という大被害でした。
これらの心労で秀行は30歳の若さで亡くなってしまいました。
息子が継ぎましたがそこには子供がいなかったために改易となります。

1627年、東北を任せられるのに信頼に足る人物をと幕府が選んだのは、秀吉子飼いの「7本槍」の1人と呼ばれた「加藤嘉明(かとうよしあきら)」でした。
暖かい伊予(愛媛県松山市)から豪雪地帯の会津への移封は嬉しくなかったようですが、「地震復興」のために街道を整備したり村の復興などの途中で亡くなってしまいました。

後を継いだのは息子の「加藤明成(かとうあきなり)」。
この人は地震以後傾いたままの天守閣を「5層塔型天守」に改築工事をはじめます。
ついで「西出丸」「北出丸」なども造築しました。

ここまではいいのですが事業のために財政が厳しくなってきたので増税をします。
それがかなり厳しかったために家来が反乱を起こしたり、逃げ出したなど事件相次いで左遷されました。

Writer:

3度のご飯より歴史が好きです。歴女というのが今メジャーなようですが、どちらかというと私は歴史ヲタクという泥臭い感じがします。

この記事のカテゴリ

国内
建築
東北
歴史
福島県
関東

関連記事を見る

国内の記事を見る

京都観光前に知りたい「知恩院」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
豊臣秀吉も認めた名武将・鍋島直茂と「鍋島化け猫騒動」
安曇野で行きたい観光スポットはココ!定番から地元で人気のお洒落カフェ、穴場まで【長野県】
京都観光前に知りたい「天龍寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
石田三成に過ぎたるものといわれた「佐和山城」ってどんなところ?
京都観光前に知りたい「高台寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
豪華すぎる!麗しの宮殿・赤坂迎賓館の歴史と成り立ちについて
戦うお坊さんは大名よりも強し!信長を手こずらせた顕如と石山本願寺のハンパない強さ
伏見城の今と昔を辿る。豊臣が築き家康が再興した幻の城
京都観光前に知りたい「仁和寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
静岡県は名所・旧跡の宝庫!オススメの歴史的スポットは?
京都観光前に知りたい「銀閣寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?