秀吉vs勝家!決戦の地・賤ヶ岳古戦場の歴史を辿る旅

賤ヶ岳の戦い・その後

賤ヶ岳の戦い・その後

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天正11年4月23日、柴田勝家は北ノ庄城にて、皮肉にも前田利家率いる秀吉軍に包囲されてしまいます。
城には勝家の妻で織田信長の妹にあたるお市の方が。
翌日、勝家はお市の方と共に自害して果て、賤ヶ岳の戦いは終わりを遂げます。
両者の戦いは双方の調略も含めて長期戦に入るかと思いきや、佐久間盛政の勇み足、、前田利家の戦線離脱、そして秀吉の型に捉われない大胆な戦術など、様々な要因が絡まって、織田家を長く支えてきた名将・柴田勝家はここで姿を消すこととなりました。

この戦いは、羽柴秀吉が柴田勝家を討った、というだけではなく、他の名だたる大名たちにも大きな影響を与えていきます。
戦いの後、徳川家康や上杉景勝、毛利輝元、大友義統など、それまでやや中立または敵対の姿勢を取っていた武将たちが次々と秀吉に接近。
織田信長が苦労して押さえつけようとしていた大名たちを、腹の中はどうであれ従わせることに成功した秀吉。
こうして、織田信長が築いた強大な権力と天下統一の道は、羽柴秀吉の手に受け継がれていくことになったのです。

また、この戦いで大きな功績を上げた脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明は後の世で「賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)」と呼ばれ、名を残していきます。
実際にはこれ以外にも、後々豊臣家を盛り立てていくこととなる石田三成や大谷吉継といった若い武将たちも功績を挙げているのですが、”七本槍”という言葉の響きがかっこよかったからこういう言い方をするようになった、とも見られています。

現在の賤ヶ岳古戦場と見どころ

賤ヶ岳の”賤”ってどういう意味?

賤ヶ岳の”賤”ってどういう意味?

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賤ヶ岳の”賤”という字は”せん”とも読み、”賎”とも書きます。
これは卑しいとか身分が低いといった意味を持つ字。
地名としてはあまりいい文字ではないようにも思われますが、”賤”という字を持つ地名、全国的に見るとあちこちにあります。
中には、近代に入ってから”静”とか”志津”といった字に変えた地域もあるそうです。
なぜこのような文字が使われたのか、地域にごとに諸説あるようですが、中には、険しい山だったりぬかるんだ谷だったり、地元の人々にとって難儀な存在の山や谷に、あえて”賤”などという字をあてて呼んでいたのかもしれません。

賤ヶ岳の名前の由来についても諸説あるようですが、山中にある説明書きによれば、弘法大師がこの地に立ち寄ったとき地元の女性から「西の方に高い山には賎が住んでます」と言われたことから、この山を「賎ヶ嶽」と呼ぶようになった、とあります。
これが、弘法大師様よりは身分の低い者たちが住んでますよ、という意味だったのか、あるいは山賊とか怪しい輩が住み着いて悪さをしてるので近づかないほうがいいですよ、という意味だったのか、単に高い山で険しいから危ないですよ、という意味だったのか、いろいろな読み取り方ができそう。
古来、「天狗が出る」とか「鬼が出る」と呼ばれた場所はたくさんありましたので、険しく近寄りがたい山として長く言い伝えられてきた場所だった、ということなのかもしれません。

地元の農民たちにとっては近づく必要などない山でも、戦国武将たちにとっては敵を迎え撃つのに格好の砦。
天然の要害です。
険しい山を見て「ここを落とせば我らの勝利!」と思ったのか、引き返すことなく突進していった佐久間盛政の心情はどんなものだったのでしょうか。







現在の賤ヶ岳山頂へはリフトで

現在の賤ヶ岳山頂へはリフトで

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現在の賤ヶ岳は、琵琶湖や余呉湖を見下ろすことができる景勝地として、ハイキングコースなども数多く設けられ、豊かな自然や眺望を目当てに山頂を目指す人が多い滋賀県の観光スポットとなっています。
標高420mといってもかなり険しい山。
山頂の少し手前までリフトが動いているので、斜面の様子などを見ながら5~6分で山頂近くまで上がることができます。

見ごたえがあるのはやはり春先。
4月から5月頃にかけて、ジャガという小さなアヤメのような花が咲き乱れ、山が一面、薄紫色に。
リフトはこのジャガの群生の上をゆっくりと、まるで雲の上を飛んでいるかのように移動していきます。
この光景だけでも一見の価値あり。
リフトは片道だけにして、下りはジャガの花をもっと間近で見ながら登山道を下る、という人も少なくないようです。
もちろん、ジャガの季節以外でも、周囲の深い緑は目見麗しく、空中遊覧を楽しむことができます。
足元をよく見ていると、何度か登山道と交差。
山道はかなりうねうねと入り組んでいるようです。
400年前はもしかしたらまだ、それほど木々が生い茂っていなかったのかもしれませんが、それでも確かに、深く険しい山であることには違いありません。

リフトを降りて、10分ほど、時折琵琶湖を見ながら登山道を上がって、賤ヶ岳山頂を目指します。
それほど急な道ではなく、きれいに整備されていますが、それでも山道は山道。
歩きやすい靴でないと、かなりしんどいかもしれません。

賤ヶ岳山頂・抜群の眺望!

賤ヶ岳山頂・抜群の眺望!

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賤ヶ岳山頂付近は全方向360度視界が開けていて、眺望は抜群です。
見渡してみると、田んぼ、道、集落、山のコントラストがはっきりと分かれていて、琵琶湖北側の地形をしっかり確認することができます。
昔は、航空写真はおろか俯瞰で地形を捕らえる術はほとんどありませんでしたから、こういう小高い場所を見つけて周囲の地形を確認することは、戦国武将たちにとって重要なことだったに違いありません。

山頂には、賤ヶ岳七本槍の武将たちの名前が書かれたのぼりが風にはためいていて、賤ヶ岳の戦い当時の様子を記した説明板や石碑などがたくさん立てられています。
注目したいのが賤ヶ岳砦跡の様子を記した図。
山の形は昔とそれほど変わってはいないはずなので、現在の地形と比べながら、どこにどんな設備が置かれていたのか知ることができます。

山頂は細長い地形になっていて、東西南北どこからの眺めも抜群。
建物など当時の遺構が残っているわけではないので、砦としての位置づけや眺望を見るための場所、ということになりますが、周囲の風景だけでもかなり見ごたえがあります。
ここから見える琵琶湖はいわゆる「奥琵琶湖」と呼ばれる、琵琶湖の北側のちょっと突き出た部分。
入り江のようになっていて、南側の大津や近江八幡とはまた違った趣。
賤ヶ岳は、琵琶湖の勇壮な姿を見ることができる貴重なスポットでもあるのです。

天下分け目の決戦地・賤ヶ岳古戦場を訪ねて

琵琶湖の周囲には、戦国時代の名所旧跡がたくさん。
現在では「賤ヶ岳の戦い」と呼ばれていますが、戦いの流れを見てみると、余呉湖のまわりに築かれた砦や陣も、この戦いに深く関わっていたことがわかります。
奥琵琶湖方面や長浜へ行く機会があったら是非、賤ヶ岳古戦場へ足を運んでみてください。
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