観光前に知りたい!風光明媚な京都「嵯峨野」の歴史と見どころについて。

嵯峨野。京都府京都市右京区にあり、京都を代表する観光地として広く知られています。春夏秋冬を通して、様々に色彩を変える景勝地として、大変人気が高くいつ訪れても沢山の人々で賑わっています。平安の昔から、多くの人々に愛された風光明媚な地で貴族の別荘などがありました。そのため、寺院なども多く現在でも様々な観光スポットがあります。今回は、嵯峨野の歴史と人気の観光スポットを詳しくご紹介します。

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嵯峨野とは

嵯峨野とは

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嵯峨野は、京都市右京区の大堰川の下流である保津川が、京都盆地に流れ出て桂川と名前を変えた土地の左岸一帯を指します。
東には太秦・西には小倉山の山麓・北には丹波高地があり山地と平地との境界部に位置しています。
7世紀頃、太秦を拠点としていた渡来系豪族の秦氏によって開発が進められたと伝わっています。
平安時代以降は、天皇や貴族たちが風光明媚なこの地で遊猟や遊楽を楽しんだとされ、嵯峨天皇の離宮嵯峨院(現在の大覚寺)・後嵯峨上皇の亀山殿(現在の天竜寺)・藤原定家の山荘などが建てられました。

文学の世界でも重要な地とされ、藤原定家がこの地に小倉山荘を造営し、ここで私たちもよく知る小倉百人一首の選定をしたと伝えられています。
また、清少納言の随筆『枕草子』には「野は嵯峨野、さらなり」とあり、いうまでもなく野は、嵯峨野が一番と書かれています。

この嵯峨野の付近一帯は、天竜寺や大覚寺をはじめとして、『源氏物語』にも記されている野宮神社、『平家物語』に縁の深い祇王寺、俳人向井去来が住んでいたといわれる落柿舎、浄土宗の開祖といわれる法然上人の住んだ二尊院、広沢池や大沢池、清凉寺や風葬の地として知られる化野念仏寺などの旧跡が随所にあり、全国から一年を通して訪れる人が絶えません。

嵯峨野の見どころ

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

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清涼時は、嵯峨野を代表する浄土宗の寺院。
現在の中国である宋から持ち帰られた釈迦如来立像が安置されていることから別名、嵯峨釈迦堂とも呼ばれています。
平安時代初期に建立された古い歴史ある寺院で、国宝や重要文化財を所蔵していることでも有名です。

清涼寺は、平安時代の貴族である源融の別荘で阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかんじ)と釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院から成り立っています。
元は、平安時代の嵯峨天皇の皇子である源融の別荘・栖霞観があり、そこに阿弥陀三尊像を源融の息子が安置し、阿弥陀堂、棲霞寺としました。
棲霞寺建立から数十年経った後、当時の中国の宋に渡り、五台山(別名・清凉山)を巡礼した東大寺出身の僧であった奝然(ちょうねん)が宋で1体の釈迦如来像を作らせました。
日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山と見立てて、この釈迦如来立像を安置する寺を建立しようとします。
しかし、延暦寺が強く反対し、寺院建立を果たせぬまま奝然は亡くなります。
しかし、かれの遺志を継いだ弟子の盛算が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺の始まりです。

平安末期から鎌倉時代にかけて、奝然が日本に持ち帰った釈迦如来立像は沢山の人々の信仰を集めることになります。
浄土宗の法然上人も、釈迦如来立像をお祀りするこの地で修業をしたことが記録されています。
釈迦如来立像は仏教の宗派を超えて厚く信仰を集め、様々な宗派の僧が清凉寺に修行に訪れました。
室町時代になり、応仁の乱の戦火により二寺院の伽藍はすべて焼失してしまいます。
その後も豊臣秀頼の寄進により再建されますが、天災や火災により伽藍は焼失と再建を繰り返すことになります。
江戸時代になると徳川家康が浄土宗に帰依していたことから、清凉寺は浄土宗の寺院と清正式になります。
現在、二つの寺院は清凉寺と呼ばれ、別名嵯峨釈迦堂として多くの人々の信仰を集める人気の寺院となっています。

この清涼寺の見どころは、国宝に指定されている木造釈迦如来立像です。
昔インドに、37歳のお釈迦様の姿をかたどったとされる仏像がありました。
その仏像がインドからヒマラヤ山脈を越えて宋へと渡ったと伝えられています。
そして、その姿を摸刻したものを東大寺の僧であった奝然が日本に持ち帰ったのがこの清凉寺の本尊・釈迦如来像と言われています。
インドから中国に渡り、日本に伝わったので「三国伝来の釈迦如来像」と呼ばれています。
本堂内に安置されており、仏像の高さは162cm。
特徴としては、大きく渦を巻く頭髪でガンダーラ様式と呼ばれる頭、両肩を包み体に張り付くようなインドグプタ様式と呼ばれる衣、三段に重なった裾などで、私たちがよく見る日本の釈迦如来像とはかけ離れたお姿をしています。
また、この仏像の胎内には1954年(昭和29年)に像の内から中国尼僧が絹で作ったと思われる五臓六腑が発見されています。
内蔵を持って大変珍しい仏様なのです。
毎月8日(11時以降)と、春と秋に本堂にて特別公開されます。
その他にも嵯峨野の顔共言われている仁王門・棲霞寺の面影を残す阿弥陀堂・秋の紅葉が美しい池の中に建つ弁天堂など見どころが沢山ありますので、ぜひ一度足を運んでみて下さいね。

大覚寺(旧嵯峨御所)

大覚寺(旧嵯峨御所)

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大覚寺は、正式名旧嵯峨御所大覚寺門跡といいます。
嵯峨野にある寺院の中でも古くは、1200年の歴史を誇ります。
弘法大師空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山であり、正式名称の旧嵯峨御所とあるように、明治時代初頭まで、天皇や皇族が住職を務めた皇室ゆかりの門跡寺院でもあります。

嵯峨野の北東に位置する大覚寺は、平安時代初期の第52代嵯峨天皇の離宮がありました。
嵯峨天皇の信頼を得ていた真言宗の開祖空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建てたのが、寺院の起源とされています。
嵯峨天皇が崩御してから30数年後の876年(貞観18年)に皇女の正子内親王が離宮を寺に改めたのが大覚寺です。

一時衰退しますが、鎌倉時代の第91代後宇多法皇が大覚寺を再興します。
後宇多法皇は伽藍の整備に力を尽くし、大覚寺の「中興の祖」と称されています。
また、ここで政治を行ったため嵯峨御所とも呼ばれました。
その後も皇室ゆかりの寺院として代々法親王が住職となった門跡寺院でした。
現在でも御所風の雰囲気が漂う優雅な寺院となっています。

広大な敷地面積を持つ大覚寺は、境内全域が国指定史跡です。
見どころとしては、まずは、重要文化財に指定されている宸殿(しんでん)。
江戸時代に第108代後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物です。
後水尾天皇に入内した2代将軍徳川秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたものと伝わっています。
妻飾り・破風板・天井などに細かい装飾がこらされており、内部は大きく4室あり、南正面の西側に33畳の「牡丹の間」・東側に18畳の「柳松の間」(18畳)、奥の西側に22畳の「紅梅の間」・東側に12畳「鶴の間」があります。
各室には襖絵があり、「牡丹の間」の牡丹図と「紅梅の間」の紅梅図の襖絵は狩野山楽の作で大変有名です。
前庭には一面に白砂が敷き詰められ、右近の橘と左近の梅がありとても優雅な造りとなっています。
同じく重要文化財に指定されている正寝殿(しょうしんでん)も見応えがあります。
12もの部屋がある書院造りです。
南北に3列の部屋が配置されており、東列には「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」・中央列には、「雪の間」「鷹の間」・西列には「山水の間」「聖人の間」が配置されており、その南と東に狭屋の間があります。
上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋と伝えられており、執務の際は御冠を傍らに置いたとされ、「御冠の間」と呼ばれています。
また、大覚寺の東には周囲約1kmの日本最古の人工の林や泉水などのある庭園があり大沢池があります。
嵯峨天皇が離宮である嵯峨院を造営する際に、今の中国である唐の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれています。
この大沢池は、奈良の猿沢池や滋賀の石山寺池と合わせて三大名月観賞池と称されており、中秋の名月を鑑賞する行事である「観月の夕べ」が9月に行われます。
「観月の夕べ」は、嵯峨天皇が文化人を呼んでこの池に船を浮かべて月を共に楽しんでいたことがはじまりとされ、この行事の期間中は、大陸風の龍頭船と中国の想像上の水鳥である鷁(げき)の頭をつけた鷁首船が浮かべられます。
その船に乗りながら、琴の演奏や御茶席を楽しみ、水面に浮かぶ名月を鑑賞することができます。
期間中は満月法会が行われたり、ミニコンサートや模擬店なども催され、大勢の人が訪れ楽しみます。







二尊院(にそんいん)

二尊院(にそんいん)

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二尊院は、嵯峨野にある天台宗の寺院です。
山号は小倉山で正式名称は、小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)と言います。
二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と呼ばれる釈迦如来と「来迎の阿弥陀」と呼ばれる阿弥陀尿来の二尊を祀るため二尊院と呼ばれたと伝えられています。

境内は、伏見城の薬医門を移した総門や堂々とした建物がいくつも建ち並びます。
また、角倉了以・伊藤仁斎など文人や学者のお墓も数多くあります。
広い参道や石段、築地塀などは春には新緑、秋には紅葉で染まります。
特に総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られており、秋には沢山の観光客が訪れます。
また、ここは「小倉あんの発祥の地」とも言われており、809年頃に、空海が小豆の種を中国から持ち帰った際に、この小倉山で栽培し、菓子職人であった和三郎がその栽培した小豆であんを作り、御所に献上したと伝わっています。

野宮神社(ののみやじんじゃ)

野宮神社(ののみやじんじゃ)

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野宮神社は、嵯峨野の竹林の中にある神社です。
名前を聞いた事がある方も多いのではないでしょうか?かの有名な『源氏物語』にも登場する神社としても有名ですね。

この野宮神社は、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢にむかう前に身を清める場所とされており、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで建てられたと伝えられています。

野宮の場所は、天皇が即位するたびに変わっていましたが、平安時代の嵯峨天皇の皇女仁子内親王がこの場所を最初に野宮としたと言われています。
斎王制度は、鎌倉時代後期の後醍醐天皇で廃絶しました。
その後はこの地は神社として存続し、勅祭が執行されていました。
その後、長い間衰退していましたが、後に後奈良天皇、中御門天皇らにより再興され、現在まで野宮神社は皇室からの厚い崇敬を受けています。
最近では1994年(平成6年)に秋篠宮文仁親王殿下並びに同妃殿下が御参拝されました。

御本殿には、野宮大神(天照皇大神)をお祀りしています。
また、境内社には、白福稲荷大明神・愛宕大神・白峰弁財天・大山弁財天・野宮大黒天・をお祀りしており、鎮火勝運・芸能上達・子宝安産・商売繁盛交通安全・財運向上・良縁結婚などのご利益があるとされています。
特に縁結びのご利益が高いとされ、縁結びのお守りが大変人気です。

嵯峨野の楽しみ方

次のページでは『竹林の道』を掲載!
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Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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