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続く赤い鳥居が見事な伏見稲荷大社とは?

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”外国人に人気の日本の観光スポットランキング”でも、堂々の1位を獲得しています。
鳥居が連なる参拝道を歩いていると、「これこそ日本の聖地」と感じられること間違いなしです。

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また、山頂には眺望はありませんが、稲荷大神様が鎮座したといわれる場所で、神々しい雰囲気を感じられます。
1周約2時間かかりますが、がんばって巡りたいものですね。
せっかくなら、稲荷山7神蹟を巡るコースに挑戦するのも醍醐味かも。
伏見稲荷大社のはじまり

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1000年を遥かに超える歴史を持つことだけは、はっきりしています。
御祭神の稲荷大社様が鎮座されたのは、奈良時代のこと。
御鎮座は和銅4年(711)2月初午の日だったと伝わっており、信仰の起源はさらに古いようです。
『神名帳頭註所引山城国(現在の京都府)風土記』によると、昔大金持ちだった秦氏の伊呂具が、自慢げに餅を的にして矢で射たところ、その餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去りました。
その鳥が舞い降りた、稲荷山三ヶ峰には、その年から稲が豊作となったという奇跡が起こっています。
これに感謝した、伊呂具は3つの峰に3柱の神を奉りました。
これがはじまりとされ、当初は「五穀豊穣の神様」が祀られています。
他にも説はありますが、すてきな神話ですね。
現在も2月初午の日には三ヶ峰に初めて鎮座になった日を偲び、初午大祭が行われています。
杉と椎の枝で作った青山飾りを、本殿以下摂末社に飾ってこの日を迎えています。
また、参拝者には、商売繁盛や家内安全のしるしとされる、「しるしの杉」が授与されています。
社殿が建った平安時代

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皆さん空海(弘法大師)という偉いお坊さんのことはご存知ですね。
実は、空海と伏見稲荷大社には、つながりがあったのです。
空海が50歳の時に嵯峨天皇から、東寺を賜りました。
その東寺の鎮守神をお願いするために、伏見稲荷に訪れました。

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弘仁14年(823)に五重塔建設に必要と、稲荷山の巨木を切り倒してしまいました。
それを知った稲荷大神が激怒したことを知り、伏見稲荷に訪れました。
天皇の病は、稲荷山の巨木が原因

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伏見大神を東寺の鎮守神としたことは瞬く間に民衆に広がり、伏見稲荷にスポットが当たりました。
でも、これだけではありません。
天長4年(827)には、淳和天皇が病に倒れてしまったのです。
占い師が診断した結果、東寺の五重塔を建てるために伏見稲荷の木を切り倒したことが原因といわれました。
慌てた天皇は、従五位下の神階を伏見稲荷に授け、伏見稲荷に赴き不躾を詫びた上で病が治るよう願いました。
空海というスター的な存在のお坊さんが訪れたり、天皇直々のお目見えもあった伏見稲荷は「徳の高い寺」として庶民にまで広まり、東南方向の福神として信仰を集めるようになりました。
「徳のあるお寺」と大評判

仁寿2年(852)に加茂神社と下鴨神社の松尾大師と共に山社のひとつとされました。
延喜8年(908)に藤原時平の寄進により、社殿が造営されました。
応和3年(963)に東南方向を鎮護する神社として定められています。
この頃、伊勢神宮は天皇以外の参拝が禁じられていたため、庶民たちはこぞって伏見稲荷大社に訪れるようになりました。
『今昔物語』や『枕草子』などに登場していることでも、伏見稲荷が絶大な人気を誇っていたことが分かります。