弘法大師 空海も住んでいた「乙訓寺」は必見!御朱印やアクセスは?観光ガイドまとめ

京都府観光なら「乙訓寺」は必見!という事で、乙訓寺をご紹介します。牡丹の寺として知られ、シーズンになると多くの観光客が訪れる乙訓寺、京都に数ある寺院の中では、比較的「地味」な印象なのですが、実は、聖徳太子、弘法大師空海、伝経大師最澄などが関わっている由緒ある寺院なんですよ!

【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】
京都観光の理想的な日帰りプラン5つ
殿堂入り!京都お土産ランキング BEST30

乙訓寺とは?

乙訓寺とは?

image by PIXTA / 10523665

京都府長岡京市にある「乙訓寺(おとくにでら)」は、牡丹の寺として知られる、真言宗豊山派の寺院です。

豊山派総本山である長谷寺から移植されたという2000株の牡丹の見ごろは、4月下旬~5月上旬。

牡丹の上には、日よけ、雨よけの為の日傘が…優雅に傘をさす、ご婦人の様ですね。

聖徳太子が建立

聖徳太子が建立

image by PIXTA / 7235000

乙訓寺の寺伝によると、創建に関しての正確な事実は不明ではあるが、推古天皇の勅命によって、聖徳太子が建立したと言われている由緒ある寺院で、境内から出土した瓦の年代から、長岡京(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にあった都城)が造られるよりも前の奈良時代に創建されたと推定されています。






image by PIXTA / 6265575

桓武天皇(かんむてんのう)が、長岡京を造営した翌年785年の9月23日に、建都の長官である藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が、暗殺されましたのですが、その暗殺事件の首謀者としての容疑をかけられた早良親王(さわらしんのう=桓武天皇の実弟)が、幽閉監禁されていたのも、ここ乙訓寺です。

弘法大師 空海も住んでいた

弘法大師 空海も住んでいた

image by PIXTA / 7170095

乙訓寺には、弘法大師「空海」が一時在住しており、空海に会うために、伝教大師である最澄が訪れたこともあるそうですよ。

image by PIXTA / 14050887

ちなみに、なぜ、空海が乙訓寺にいたのか、ですが、それは、乙訓寺に幽閉されていた、早良親王が、流罪処分となり、淡路島へと護送されている途中に亡くなった後、次々と皇族が亡くなる、疫病が広がる、天変地異が起こるなどの事態が発生し「早良親王の祟りである」と騒がれ、その祟りを鎮めるための祈祷を行う目的で訪れたようです。
現代の人々が、学校の授業で習った、聞いたことのある、そんな偉人がここ、乙訓寺で会っていた、その地に立っている、と思うと、実に感慨深い…
次のページでは『境内にある沢山の地蔵は』を掲載!
次のページを読む >>