予約をしてでも行きたい!苔寺の名前で知られる西芳寺はこんな歴史を持っていた

世界文化遺産に登録されている西芳寺(苔寺)は、一般観光ができない予約が必要なことで有名なお寺です。世界文化遺産17ヶ所を観光するだけでもハードルが高い西芳寺の歴史ってちょっと興味が湧きませんか?今回は、西芳寺の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

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西芳寺ってどんなお寺?

西芳寺ってどんなお寺?

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西芳寺(さいほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院です。
1994年に世界遺産として登録された、「古都京都の文化財」17ヶ所の一つとして登録されており、国の特別名勝として指定されています。
苔むした美しい庭に定評があり、120種類の苔が覆いまるで緑の絨毯を敷き詰めたようで、眩ゆいぐらいに輝いているんです。
このことから西芳寺は通称「苔寺」と呼ばれるようになりました。
約3万平方メートルに及ぶ庭園は、上段が枯山水の前庭となっており、下段には黄金池を中心に4つの島と8つの橋を持つ池泉回遊式庭園で構成されています。

実は、この西芳寺はアップルの創業者「スティーブ・ジョブズ氏」が家族と共にお忍びで訪れていたといわれています。
拝観料は3000円とちょっと高めで、一般観光客は見学できないので1週間以上前に往復はがきで事前予約をして出かけることが必須です。
しかも、見学する前に読経と写経が参加条件になっています。
西芳寺は、予約してでも訪れたいほど魅力的なお寺なんですよ。
ぜひ、西芳寺の歴史を通してこのお寺の魅力を体感してくださいね。

西芳寺(苔寺)の始まり

西芳寺(苔寺)の始まり

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西芳寺の始まりには、諸説あり実は詳しくは分かっていません。
聖徳太子の別邸だったという説が有力です。
飛鳥時代に創建され、第31代の用明天皇の皇子だった聖徳太子の別荘で、聖徳太子が造ったとされる阿弥陀如来像が祀られていたという説があります。
また、奈良時代の僧で、日本で初めて大僧正の位を授けられたことで有名な行基が創建したという説もあります。

しかし、この説は、聖徳太子の別荘を第45代の聖武天皇の勅願を得て行基が、別荘から寺に造りかえたともいわれています。
この時に法相宗寺院として開山し、「西方寺」と称されました。
西方極楽浄土の教主の阿弥陀如来を本尊として祀り、観音菩薩と勢至菩薩を脇侍としています。
平安時代の806年には第51代平城天皇皇子である真如法親王が草庵を結び修行を行ったとか。
また、真言宗開祖だった空海が入山したときに、黄金池にて放生会を催したようです。

浄土真宗へと改修され、戦争によって廃れる西芳寺

浄土真宗へと改修され、戦争によって廃れる西芳寺

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建久年間(1190~1199年)後に、鎌倉幕府の評定衆を務めた中原師員が再建しています。
この時、本寺を西方と穢土の二つに分けました。
これにより法然上人が招請されています。
法然上人が招かれたことによって、浄土宗に改宗され、本尊は金泥にされてしまいました。
この後に親鸞が愚禿堂を建立しており、西方寺に滞在しています。

この間、第5代執権北条時頼によって桜堂が建立されているんですよ。
建武年間(1344~1336年)に起こった兵乱により荒廃しています。

荒廃した西方寺を再建

荒廃した西方寺を再建

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この荒廃した西方寺は室町時代に、近くにある松尾大社の宮司藤原親秀(ふじわらちかひで)によって再建されました。
藤原親秀はこの再建のために、暦応2年に夢窓疎石を招いています。
疎石は、高僧で作庭の名人とされている人物です。
以前の西方寺の再建の時に浄土宗と改宗されていましたが、禅宗(臨済宗)として再興しました。
建久年間に分けられた2つのお寺も元通り1つに統合されます。

寺の名前も西方寺から現在の「西芳寺」と改称されたのです。
この西芳という名は、禅宗の初祖だるまに関する「祖師西来」と「五葉聯芳」という句が由来しています。
仏殿は本尊の阿弥陀如来に因んで、「西来堂」と名付けられました。
2層の楼閣もあり、上層は「無縫塔」と下層を「瑠璃殿」と呼んでいます。
現在の西芳寺の基礎はこの頃にほとんどが整いました。
疎石は、もちろん庭も造っています。
上下二段に分け、上段は枯山水式、下段には「心」の字を描く黄金池を中心に池泉廻遊式庭に造りかえられました。
この美しい庭園構造は、日本の庭園に大きな影響を及ぼしています。







金閣寺や銀閣寺のモデルとされた西芳寺

金閣寺や銀閣寺のモデルとされた西芳寺

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この西芳寺は、同じ京都にある金閣寺(鹿苑寺)のモデルになっているんですよ。
今は金閣寺の方が断然有名ですが…。
1382年に3代将軍の足利義満がこの西芳寺を訪れました。
ここで義満は、夜通し座禅を行っています。
その後も何度もこの地を訪れて座禅を行っており、その場所が指東庵です。

金剛池の側には先ほどお話しした、2層の楼閣「瑠璃殿」があり、これが金閣寺や銀閣寺のモデルとなったと伝わっています。
義満は、再園寺公経の別荘を譲り受け、山荘北山殿という金閣寺の基礎をこの西芳寺の瑠璃殿を手本に造ったそうです。
この金閣寺を見て、8代将軍の足利義政が銀閣寺のシンボルといえる観音殿を造りました。
銀閣寺に行くと苔むした雰囲気といい西芳寺に似ているところが多いことに驚いちゃいますよ。

応仁の乱や災害で打ちのめされる西芳寺

応仁の乱や災害で打ちのめされる西芳寺

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西芳寺は2度の被災に遭いました。
1度目は1469年に応仁の乱で西軍の攻撃により焼失しています。
1485年には洪水による被害に遭ったのです。
一時再建されるも、1568年に兵乱によりまたも焼失しました。
しかし、織田信長は天龍寺の策彦周良(さくげんしゅうりょう)に命じて、殿舎を再建させています。
慶長年間には千利休の次男少庵により、湘南亭が再建されました。
これは、桃山期の代表建築といわれています。
ここには幕末の1862年に蟄居を命じられた岩倉具視が身を寄せ、難を逃れたという歴史ある建物です。

また、江戸時代にも2度の洪水で再び荒廃してしまいます。
現在の苔が覆う美しい庭園になったのは、この江戸時代の洪水のころからだとか。
これだけ、災害に何度も見舞われるというのは、川が流れる谷間に位置していることが要因です。
でも、このような地形にあるからこそ、苔むした美しい庭園が造りだされていると思われます。
自然の美と災害とはいつの時代も隣り合わせなんですね。

西芳寺の見どころ

西芳寺の見どころ

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雨に濡れた苔や紅葉とのコラボも美しい庭園が有名ですが、西芳寺は見どころも多い世界遺産です。
読経や写経で邪念を払った後のお庭の拝観は、心も穏やかに見学できます。
庭の造りよりも苔に集中してしまいそうですが、枯山水石組みは今から600年以上前に夢窓疎石が築いた、日本で最古の枯山水庭園です。
また、庭園内には3つの茶室があり、先ほど紹介した湘南亭は重要文化財に指定されています。
明治時代に再建された指東庵をはじめ、潭北亭、邀月橋など見どころも豊富です。

また、せっかく来たなら御朱印は絶対にいただきたいものの一つ。
凛々しいお坊さんの顔を描いたような御朱印は、2ページにわたって書いていただけるので、見開きで用意しておくのがおすすめです。
予約制なのでシーズンにも心安らかに、侘びさびを存分に体感できます。
ぜひ、世界遺産のお寺の魅力に陶酔する観光を西芳寺で。

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