観光前に知りたい!京都東山の「祇園さん」こと「八坂神社」の歴史と見どころ

京都といえば「祇園さん」。京都らしい華やかな祇園の街中にある八坂神社の別名です。日本三大祭のひとつであり、京都の夏の風物詩である祇園祭を主催している神社としても大変有名です。京都を訪れた事がある方なら必ず一度は訪れる有名な神社ですよね。この神社、実はとってもながーい歴史のある神社なのをご存知ですか?今回は、八坂神社の歴史と神様についてご紹介していきます。

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八坂神社の歴史

八坂神社の歴史

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1300年以上前から鎮座する神社!

八坂神社は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社です。
そして、全国各地に約3千以上あると言われる祇園社の総本社。
この八坂神社の歴史は、とても長く1300年以上前に創建されたと伝えられています。

656年、朝鮮半島にあった高句麗という国からやってきた渡来人である調進副使(献上品を納めるためにやってきた使節)の八坂氏の祖先とされる伊利之(いりし)という人物によって創建されました。
祭神は古くから牛頭天王(ごずてんのう)。
牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護すると言われており、日本では古来の霊信仰と結びついて素盞嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されました。
八坂神社は、祭神である牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々は、「祇園神社」・「祇園社」・「祇園感神院」などと呼ばれていました。

平安時代になると、この祇園社こと八坂神社は地域一帯の産土神(うぶすなのかみ)として、広く信仰されるようになっていきます。
産土神とは、信仰する人が生まれた土地にいる守護神であり、その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神と信じられており、別の地域に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている神様でした。
876年には、藤原基経(ふじわらもとつね)が八坂神社の境内に寺院を建立し、祇園寺(観慶寺)と名付けます。
明治時代の廃仏毀釈までは、神仏習合で神社と寺院が同じ敷地内に並び建つことは珍しくありませんでした。

877年、京都一帯で疫病が大変流行した際に、当時の朝廷が占いに従って八坂神社に勅使を派遣し、疫病退散について祈願したところ、すぐに病気の流行が治まったと言われています。
この功績によって八坂神社は、当時の朝廷から土地などを寄進され、ますます発展していくことになります。
そして、平安時代の中頃になると政治の実権を握っていた藤原一族に深く信仰されるようになります。
王城鎮護(おうじょうちんご)の神社として尊崇され、その21社のうちの1社となります。
王城鎮護とは、日本にある神社の中で都の守護神とした神々を祀る社を言い、他に伊勢神宮・石清水八幡宮 ・春日大社 ・住吉大社などが挙げられます。
八坂神社は、この後も天皇の行幸なども行われ、神社は栄えていきました。

そして、鎌倉時代から江戸時代にかけては、八坂神社は武士の信仰を集めはじめることになります。
平清盛の田楽奉納・源頼朝の狛犬奉納などがあり、また足利将軍家や豊臣秀吉も境内の建物を修復したり、領地を寄進したりしました。
将軍家代々の祈祷もつ江戸時代には徳川家も当社をあつく信仰し、将軍家代々の祈祷を行ったりしました。
徳川家綱は、今日現存する社殿を造営し、数多くの神宝類も寄進したのです。

明治時代になると、神仏分離令が発布されることとなり、神社は仏教的な施設をすべて取り壊し、「感神院祇園社」の名称を「八坂神社」と改めました。
近代社格制度のもと、1872年(明治4年)に官幣中社に列格され、1915年(大正4年)に官幣大社に昇格しました。

八坂神社のご祭神

八坂神社のご祭神

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素戔嗚尊 (すさのおのみこと)

素戔嗚尊は、伊勢神宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神とされている神様です。
日本の森羅万象のすべては、伊邪那岐(いざなぎ)と伊耶那美(いざなみ)という男女神である国産みの神によって生み出されたと言われています。

伊邪那岐が、死んだ妻である伊耶那美に会おうと黄泉国(死者の国)に行き、伊邪那岐が黄泉の国から帰還したのちに素戔嗚尊は誕生しました。
黄泉の国から戻った伊邪那岐は、穢れた身体を清めるため、禊払い(水で自身を洗い清めること)をしました。

・伊邪那岐が水で左目を洗ったときに誕生したのが天照大神。

・右目を洗ったときに誕生したが月読尊。

・鼻を洗ったときに誕生したのが素戔嗚尊 。

と伝えられています。
伊邪那岐は、天照大神に高天原、月読尊には夜の国、素戔嗚尊 には海を治めるように命じました。

しかし、素戔嗚尊 は海を治めることをせずに、髭が生える年頃になっても、母に会いたいと駄々を捏ねるマザコンでした。
(実際には伊邪那岐が一人で生んでいますが。)素戔嗚尊の力は凄まじく怪力で、泣きわめき駄々を捏ねると、山々がうねり、海は大荒れとなり疫病が蔓延したとされています。
あまりに駄々を捏ねるため、海の統治者を解任されてしまします。
素戔嗚尊は母に会うため黄泉の国へと行くことを決心しますが、最後に姉の天照大神に別れの挨拶をしに高天原へと向かいますが、天照大神は素戔嗚尊が高天原を占領しようとしたと思い、臨戦態勢を取ります、その後、高天原で素戔嗚尊は乱暴狼藉を行います。
天照大神は、大変怒り、有名な「天の岩戸事件」が起きるのです。

天照大神が、怒って天の岩戸に籠ってしまうと世界から日の光が消え、暗闇の世界となり邪神がはびこりはじめてしまいました。
これでは世界が滅んでしまうと危惧した高天原の神々が集まり、知恵を出し合いました。
天の岩戸の前でわざと盛大な宴会をひらいて天照大神に興味を持たせ扉を開かせる計画を練ります。
芸能の神である天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊り、他の神々が囃し立てていると、天照大神が騒がしい外を見ようと天の岩戸を開け、ついに光が満ちあふれ世界が元に戻ったと伝えられています。
この一件ですべての責任を素戔嗚尊 は取ることになり、ス爪を切られ髭を剃らされ地上に追放されることになります。

地上に降り立った素戔嗚尊 は、八岐大蛇という龍神の生け贄となる櫛稲田媛命(くしなだひめ)を天叢雲剣(別名 草薙剣(くさなぎのつるぎ)で八岐大蛇を退治して、妻に迎えます。
そして、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(現在の中国・山陰地方にある島根県安来市)に住んだと言われています。

そこで、素戔嗚尊 は、

”八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を”

<やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを>

(雲がわき立つ出雲の幾重にもめぐらした垣根。
我は妻をこもらせるために八重の垣をそこに作るとしよう。
その美しい八重垣を)と読みこれが、日本最古の和歌と言われています。
また、この和歌から「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなったと言われています。

素戔嗚尊 は別名牛頭天皇(ごずてんのう)とも呼ばれ、荒ぶる神として祀られています。
疫病を流行らせた神が、大切に祀られることにより無病息災や厄除け・厄払いの御利益をもたらす神となったのですね。
八坂神社に詣でることにより、素戔嗚尊 の協力なエネルギーで様々な災いや邪気を払ってもらえそうです。

櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと)

櫛稲田姫命は、先にも述べましたが素戔嗚尊の妻です。
脚摩乳(あしなずち)と手摩乳(てなずち)が両親と伝えられています。
高天原を追放されて地上に追放された素戔嗚尊は、出雲に降り立ちます。
そこで、八岐大蛇という龍神の生け贄となる櫛稲田姫命に出会います。
美しい櫛稲田姫命を妻にする約束で素戔嗚尊は、八岐大蛇を退治することにするのです。

素戔嗚尊の素性を知らない両親である脚摩乳(あしなずち)と手摩乳(てなずち)は、結婚を拒みますが素戔嗚尊が天照大神の弟と知ると喜んで承諾します。
素戔嗚尊との結婚が決まると櫛稲田姫命 は素戔嗚尊の神通力で小さな櫛に姿を変えられ、素戔嗚尊の髪に挿し込まれ、櫛稲田姫命を身に纏った素戔嗚尊は、見事に八岐大蛇を退治することに成功しました。
その後、櫛稲田姫命は約束通り素戔嗚尊の妻となり、出雲の須賀の地に二人で住んで、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世で、すなわち日本である葦原中国の基を築き上げたと伝えられています。

この神話があらわすことは、櫛稲田姫命は稲田の神で、八岐大蛇は龍神すなわち水神です。
水が洪水となり襲いかかり、稲田を破壊することに因んでいると考察されています。

櫛稲田姫命は、八坂神社では夫である素戔嗚尊と共に祭神として祀られており、稲田の神・豊穣の神として信仰されています。

八柱御子神 (やはしらのみこがみ)

素戔嗚尊の元に生まれた八人の子供神です。
別名を八将軍・八将神ともいいます。
以下の八神を詳しくみていきましょう。

・八島篠見神(やしまじぬみのかみ)

妻は、木花知流比売。
「国譲りの神」とも呼ばれており、有名な出雲大社の祭神である「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の祖先となる神様です。

・五十猛神(いたけるのかみ)

林業の神として信仰されている神様。
土の船を作り海を渡ったという伝説があり、造船・航海安全・大漁の神として信仰されています。
その他にも、商売繁盛・開運招福・悪疫退散・厄除け等の神徳があるとも言われています。

・大屋比売神(おおやひめのかみ)

樹木を司る神と言われています。
また、樹木から作られる建造物、家屋や船などの神様としても有名。
また、樹木の種を全国に撒いた伝説があり、子供を産む力を持つとされ、生殖を司る神様とも言われています。
兄神である五十猛命と共に木の文化を司ると言われ、林業や建築業の神様として信仰を集めています。

・抓津比売神(つまつひめのかみ)

上の神様の妹神。
大屋比売神(おおやひめのかみ)と同じような伝説がる神様です。

・大年神(おおとしのかみ)

正月に迎える年神。
「年」は稲の実りを意味しており、穀物神でもあります。
現在でお正月に用意する「お飾り」は、元々は年神を迎えるためのものだったそうです。
門松は年神が来訪するための依代(神が依り憑く対象物)、鏡餅は年神への供え物の意味がありました。

・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

穀物・食物の意味で、穀物の神。
京都でも有名な伏見稲荷大社の主祭神でもあります。
稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されいる神様です。

・大屋毘古神(おおやびこのかみ)

実はこの神様は、先に述べた五十猛神と同じ神様と伝えられています。
少し謎が残ってしまう神様。

・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

有名な大国主命の妻です。
大国主命とともに様々な危機を乗り越えた勇ましい女神とされており、縁結びの神として祀っていることが多い神様。

日本3大祭 祇園際とは

日本3大祭 祇園際とは

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八坂神社の祭礼

衹園祭は八坂神社の祭礼。
大阪の天神祭・東京の神田祭と共に日本三大祭の一つに数えられています。
祇園祭は、1100年もの長い伝統を有する八坂神社の祭礼で、例年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)までの間、1ヶ月にわたっておこなわれる京都の夏の風物詩です。

この祇園祭の最大の見せ場である有名な山鉾行事は、「動く美術館」とも例えられるようにユネスコ無形文化遺産に登録されており、また重要無形民俗文化財に指定されています。
山鉾とは、神社の祭礼に引かれる屋台の一つで、車の台の上に家や山などを模して造り,その上に鉾や長刀などを立て豪華で華麗なものです。
また、花傘巡行も見物で、先頭は元気な子ども神輿・花傘をかぶった美しい女性、そのあとに武者行列が続き、鷺踊(さぎおどり)・獅子舞、芸妓さん・舞妓さんをのせた曳き車などが続き長い行列が京都市内を巡ります。
実に総勢1000人近くの人々が参加する大規模なもので、華やかで賑やかな行列として知られています。
そして、八坂神社へ行列が戻ってくると、神前に鷺踊・獅子舞・六斉念仏・祇園囃子・舞妓さんたちによる踊りなど、多彩で様々な芸能が奉納されます。
山鉾巡行の厳かな雰囲気とは異なり、伝統芸能的な色合いが濃いのが花傘巡行の特徴です。
その他にも、宵山、宵々山宵々々山では、旧家・老舗が伝来の屏風などの宝物の披露を行うため祇園祭は、屏風祭の異名があります。
興味がある方は、ぜひ訪れてみて下さいね。

祇園祭の起源

祇園祭の起源は、古く859~877年頃まで遡ります。
京都に疫病が流行した際に、天皇の命令で神泉苑(当時は天皇の庭園でした)に66本の鉾(ほこ)を立てて祇園社の神様を迎えて祭り、洛中(平安京の京域内)の男児が、祇園社の神輿を神泉苑に送って疫病などの厄災の除去を祈る御霊会(ごりょうえ)に由来しています。
御霊会ちは、疫神や死者の怨霊などを鎮めて宥めるために行う祭。
当時は、疫病などの厄災は恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていました。
平安時代の中頃になると、大規模な祭礼となり空車・田楽・猿楽なども加わり賑わいを見せてきました。

室町時代になると、現在でも最大の見せ場である山鉾が、町々の特色を活かしながら存在していたことが『祇園社記』に記されています。
1467年、京都中を火の海とかした「応仁の乱」により祇園祭も中絶しましたが、1500年に復活以後は、京都の町の人々の努力により、山鉾の装飾も華麗で贅を尽くすようになりす。
近世になっても度々の火災などで、多数の素晴らしい山鉾が消失したりしましたが、その都度、京都の町の人々の心意気によって再興し、今日に至っているのです。

八坂神社の境内と見所







西楼門・本殿・舞殿

西楼門・本殿・舞殿

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京都東山の象徴とも言える室町時代に造られた「西楼門」(にしろうもん)。
国の重要文化財に指定されています。
八坂神社そして東山の象徴としてとても有名な門となっています。
古くは夜叉門(やしゃもん)・籠門(かごもん)とも呼ばれていました。
その両脇には、よく寺院などで見かける仁王像ではなく、随身という平安時代の護衛の木族が置かれています。
2007年に94年ぶりに瓦がふき替えられ、朱色も塗り直され荘厳な姿を取り戻しました。

八坂神社本殿は、江戸時代建築の重要文化財建造物。
現在に残る社殿は、1654年に徳川家綱が再建したものです。
この本殿は、祇園造と呼ばれる独特の形をしているのが特徴。
一般の神社では拝殿と本殿は別の棟として独立していますが、祇園造りでは本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆っています。
これは、八坂神社以外では見られない珍しい造りとなっています。
平成の大修造営に伴い修復が終わり、日本最大級の神社神殿となりました。

舞殿は、本殿のすぐ手前に位置しています。
先に述べた平成の大修造営の間(1999年から2004年にかけて)は仮本殿が置かれていました。
軒下に吊るされている数多くの提灯は、有名な花街である祇園甲部から奉納されたものです。
夜になると灯がともり幻想的な舞台となります。
普段は神様への舞楽が奉納される場所ですが、最近ではこの舞殿で結婚式も執り行われるようになりました。

美御前社(うつくしごぜんしゃ)

美御前社(うつくしごぜんしゃ)

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八坂神社には、数々の摂社・末社が鎮座しています。
中でも有名なのがこの美御前社(うつくしごぜんしゃ)。
八坂神社の御祭神である素戔嗚尊が所持していた十握剣より生まれたと言われている「宗像三女神」(むなかたさんにょしん)と呼ばれる3人。
多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)・多岐津比売命(たぎつひめのみこと)・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の3人の女神が祀られています。

その中でも特に美しいと伝わる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)は、七福神の一人である弁財天と同様の存在として崇められ、また、美貌の女神と評される吉祥天とも習合して、美貌・芸能・財福の神としての大変信仰があります。
美御前社は、「美のパワースポット」として、現在でも大変人気の社となっており、京都の舞妓さんや芸子さんをはじめ、美容に関心のある多くの女性たちが参拝に訪れています。

また、美御前社の社殿前には、霊験あらたかな湧水である「美容水」が涌き出しており、”肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる水”として謳われています。
参拝に訪れた際には、この美容水を2、3滴手に取り、お肌につけるといいでしょう。
きっと身も心もそして肌も、清々しい気持ちになれると思います。

疫神社

疫神社

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祭神は、蘇民将来(そみんしょうらい)。
蘇民将来とは、疫病よけの神様で、元は貧しい者だったが、素戔嗚尊が旅の途中で蘇民将来がもてなし、そのお礼として素戔嗚尊から、”子孫には疫病を免れさせる”と茅草で作られた大きな輪である茅の輪(ちのわ)を作って疫病から免れる方法を教えられ神様となったと言われています。

八坂神社の摂社が疫神社は、祇園祭の締めくくりである「夏越祭」(なごしさい)を7月31日に行うことで有名です。
夏越祭では、鳥居に取り付けられた巨体な直径2mの大茅の輪を参詣者がくぐり、「蘇民将来子孫也」(そみんしょうらいしそんなり)と記された災厄を除いて福徳を祈る護符を授かります。

また、京都の祇園祭では厄除けの縁起物として配布される「ちまき」は、この蘇民将来と茅の輪に起源あるとされ、授かった際には家の門口に吊るして厄除けに1年間大切にお祀りして、翌年の祇園祭で新しいものと取り替えるとされています。

大國主社・北向蛭子社

大國主社・北向蛭子社

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・大國主社(おおくにぬししゃ)

祀られている祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
特に大国主命は有名な神様で、別名、大己貴命(おおなむちのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)などとも呼ばれています。
八坂神社の本殿に祀られている素戔嗚尊の子孫と言われています。
この大国主命は、「大黒さま」としても親しまれている福の神で、縁結びのご利益があることで人気の社です。

八坂神社では、最近、縁結びの神さまであることがすぐにわかるように「縁結びの神」と書かれた案内が社前に立つようになり、以前に増して大國主社を参拝する人が増えてきています。

・北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)

ご祭神は、事代主神(ことしろぬしのかみ)。
この事代主神は、大国主命の子供と伝えられています。
また、「えびす様」としても大変有名な神様です。
北向蛭子社は、通称「祇園のえべっさん」と言われており、福の神様・商売繁盛の神様。

この事代主神ことえびす様が、八坂神社に祀られるようになったのは平安時代と言われています。
全国のえびす様の中でも歴史はかなり古く、また、神社にしては珍しく北向きに社を構えていることから北向蛭子社と呼ばれています。
現在のこの蛭子社は、1646年に建造されたもので国の重要文化財に指定されています。

八坂神社七不思議

古い寺社仏閣には、数多くの七不思議が残されています。
この八坂神社にも七不思議が語り継がれていますので、ご紹介します。

其の一 龍穴(りゅうけつ

其の一 龍穴(りゅうけつ

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本殿の下に、龍が住まうほど底知れぬ深い井戸がは龍穴と呼ばれる深い井戸があり,その龍穴は、同じ京都にある神泉苑や東寺まで繋がっていると言われています。

其の二 龍吼(りゅうぼえ)

本殿の玄関前にある東の柱から西に向かって柏手を打つと,大きく反響して、柱に彫られている龍の像が鳴くと言われています。
実際に試してみましたが、反響するほどではなかったです。
興味がある方は、ぜひ試してみてくださいね。

其の三 雨垂れがしない西楼門

其の三 雨垂れがしない西楼門

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八坂神社の玄関として有名な朱塗りの西楼門。
こちらは、雨垂れが一切なく、蜘蛛の巣も一度も張ったことがないと伝えられています。
実は、著者が以前、法隆寺について調べた時も、法隆寺の七不思議で全く同じ不思議がありました。
実に不思議ですね!

其の四 夜泣き石

八坂神社の境内、東北にある日吉社の近くにあります。
日吉社の周りを散策すると石が一つぽつんとあります。
この石を「夜泣き石」といい,名前の通りに夜になると声を出してシクシク泣くという言い伝えられています。
次のページでは『其の五 二見岩』を掲載!
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