現世と極楽浄土を結ぶ空間!平等院ってなんで10円玉に選ばれたの?

日本人なら誰でも何らかの形で見たことがある平等院。日常茶飯事目にしている10玉に描かれている平等院って身近な存在なんですが、その創建や歴史については知らない方も多いかと思います。ちょっとだけどんな歴史が眠っているかのぞいてみませんか?今回は、平等院の歴史について、少しだけふれてみたいと思います。

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平等院の創建

平等院の創建

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平等院は京都府宇治市にある寺院です。
平安時代後期に関白藤原頼通によって創建されました。
平成6年(1994年)に京都の世界遺産17スポットの一つに選ばれています。
10円玉に描かれており身近な存在ですが、ほとんどの人が色やその周りの風景、歴史などについては知らないのではないかと思います。
平安仏教の深層から平等院の歴史にスポットを当ててご紹介しますね。

平安時代初期から貴族の別荘地として栄え、9世紀末頃に左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘となり宇多天皇に渡った後、月日を経て、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」になりました。
万寿4年(1027年)に亡くなった後、永承7年(1052年)に子の関白藤原頼通によって寺院に改めています。
名前も平等院と変更され平等院としての歩みがはじまりました。
開山は小野道風の孫で、円城寺の長吏を務めた明尊です。

平等院鳳凰堂の建立

平等院鳳凰堂の建立

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京都から宇治川を挟んだ対岸にあり、頼通の別業寺院として本堂が建立されました。
本堂は現在の鳳凰堂の北方にあり、大日如来を本尊としています。
翌天喜元年(1053年)3月4日に「西方極楽浄土のような空間を」と、鳳凰堂が建立されました。
平等院鳳凰堂の「鳳凰堂」という言葉は、江戸時代から使われるようになったもので、それまでは阿弥陀堂と呼ばれていたようです。
現在も姿を残しており、浄土式庭園の阿字池にある中島に東向きに建っています。

この鳳凰堂が10円玉に描かれているんです。
実は、10円玉だけではありません。
1万円札の裏に鳳凰が描かれているのをご存知でしょうか?この鳳凰は、平等院の屋根の上にいる鳳凰が描かれているんです。
池に映る美しい姿は極楽浄土を表したものといわれています。
この池の様子を見ながら藤原頼通は死んだ後の幸福を願っていたのではないでしょうか。

信じられていた末法思想

信じられていた末法思想

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末法思想は、一方では極楽往生を願う信仰の隆盛を促したものでした。
しかし、現世においては仏法が廃れるならそれを克服するために多くの造寺・造仏をすれば救われるとの思想もあったようで、末法の世では、釈迦の入滅から2000年経つと仏の教えによる効力が亡くなり、災いが続き、世が乱れると、当時の人々は信じていたのです。
この平等院が創建した時はまさに末法がはじまった年でした。

この頃の平安時代は地球的に寒冷な時期で、疫病や天災が数多く起こったことで特に人々は仏の力に頼っていたからだと思います。
貴族たちは極楽浄土を願っており、各地で阿弥陀如来を祀る仏像が競うように建立され、自ら出家することが当然のようになっていたのです。

大火事にも負けなかった平等院鳳凰堂

大火事にも負けなかった平等院鳳凰堂

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実は京都に寺社が多いとはいえ、平安貴族が建てたお寺で仏像、仏画、庭園灯を含めて、今もって現存するのは平等院のみです。
この平等院は仏像や壁が庭園まで残されており、貴重な存在となっています。
平等院の境内が現在のようになったのは、南北朝時代の争乱以降のことだそうです。
宇治という地が郊外にあるとはいえ、この辺りも楠木正成と足利氏の軍勢の戦いをはじめ、色々な戦いの場となり多くの建物は焼き払われたのだから、目立つ風貌の平等院鳳凰堂が残ったことは奇跡に近いといわれています。
他には観音堂や鐘楼も焼けずに残っています。

西方の極楽浄土を観想するために、現世の極楽浄土として造られたことは多くの研究者によって証明されています。
極楽浄土をイメージした大きな池を造ることで、本物の極楽に近づこうとした「浄土式庭園」と呼ばれる庭園がこの時期、平等院をはじめ多くの寺で造られました。
平安時代の本堂には密教の主尊大日如来があり、他にも不動堂、五大堂、愛染堂、多宝堂などの密教関係の堂塔が残されていたのです。







極楽浄土をイメージしやすい平等院

極楽浄土をイメージしやすい平等院

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貴族たちはこの汚れた世に生きている自分たちは、地獄に落ちる運命と落胆していました。
しかし、僧の源信(げんしん)が、「往生要集」を書きました。
そこに書いてあったのは、地獄に落ちるようなものでも、浄土教の修行をすれば、西方の極楽浄土で生まれ変わることができると書いていたのです。
その修行にはひたすら念仏を唱え、極楽浄土や阿弥陀如来の姿を心に描くように進めています。
もちろん、世情に不安を持っていた貴族たちの間で、この教えは広がりました。

この浄土教をイメージしやすい様に、建物や絵、彫刻などがたくさん作られました。
病気で苦しんでいた道長も自宅の隣に無量寿院という阿弥陀堂を建て、さらに金堂などの華やかな法成寺(ほうじょじ)を建てたのです。
もちろんこれを見ていた、頼通は平等院鳳凰堂に父道長の建てた法成寺のように、極楽浄土をイメージできるような装飾を施しています。

10円玉の図柄に選ばれた理由

10円玉の図柄に選ばれた理由

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昭和26年に平等院鳳凰堂が10円玉の絵柄に選ばれました。
これは日本を代表する文化財で、建物に特徴があるからだそうです。
これ以外にも理由はあるでしょうが詳しいことは分かっていません。
戦乱の世や第二次世界大戦の戦火を奇跡的に免れて今に至る平等院鳳凰堂は日本の宝として大切にしなければならないものだということを痛感しました。

また、先程お話しした10000円札も、平等院鳳凰堂の屋根の上にいる鳳凰が描かれています。
鳳凰は優れた天子が世に現れる時に出現するといわれ、幸運へ導く象徴とされています。
こういう意味と何か縁があるのでしょうか?

近代以降の平等院

近代以降の平等院

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藤原氏の頃は氏寺としての地位を築いており、栄華を極めていました。
しかし、治承4年(1180年)には源平の乱、建武3年(1336年)の宇治合戦、文明18年(1486年)の山城国一揆という3度の大きな争乱によってかなりの痛手を負い衰退していきました。
その後、明応年間になり浄土宗僧侶の栄久上人が浄土真宗を開き復興に尽力しました。

平等院は創建以来ずっと天台宗寺門派でしたが、浄土宗僧侶の栄久上人が管理するようになり、浄土・真言・天台宗が対立してしまいました。
これにより、浄土宗の浄土院と天台宗寺門派の最勝院の管理となっています。
現在の平等院は天台宗の最勝院と浄土宗である浄土院との2つの寺院が共同で管理しています。
住職は3年交代で務めていますが、特定の宗教に属さない、単立の寺院となっているようです。

また、庭園の発掘が1990年から行われており、この発掘で平安時代に造られた州浜があったことが分かりました。
とっても素敵な発見ですね。
これにより平等院創建当初の姿に復元されています。
また、鳳凰堂への入道も、小橋も創建当時の形式に復元されたようです。
このように創建当時に復元が続くと、今以上に平等院に来れば、当時にタイムトリップした気分になれそうですね。
平成26年10月1日に平等院鳳凰堂の改修工事が無事終わりました。
さらに美しくなった平等院に訪れてみてくださいね。

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