観光の前にチェック!京都「祇園四条」の歴史 とおすすめ観光スポット

祇園四条と言えば、京都の代名詞とも言える有名な観光名所です。皆さんの中には「祇園四条」という地名があると思っている方も多いはず。しかし、実際には「祇園四条」という地名は存在しません。正しくは「祇園四条駅」という駅名があるのみです。しかし、祇園・四条にはとてもとても長い歴史と沢山の見どころがあります。今回は、祇園四条の歴史と楽しみ方、見どころをご紹介します。

【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】
京都観光の理想的な日帰りプラン5つ
殿堂入り!京都お土産ランキング BEST30


祇園四条とは?

祇園四条とは?

image by PIXTA / 28329823

祇園四条という地名は実際には、存在しません。
祇園四条とは、京都府京都市東山区の京阪電気鉄道京阪本線の駅の名前です。
京都の人々は、この駅の周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多いと言われています。
京都市中東部にある四条通と京都の夏の風物詩である鴨川納涼床が行われる鴨川沿いを走り、川端通が交差する四条大橋交差点にある京阪本線の1面2線の地下駅です。
この駅は、開業100年にもなる歴史ある駅で、長らく鴨川沿いの地上を走っていました。
今回は、京都東山・祇園四条駅周辺、特に祇園の歴史と見どころについて紹介していきたいと思います。

祇園四条の歴史

「祇園」と言えば、京都東山区にある京都を代表する歓楽街です。
そもそも祇園という地名の由来は、八坂神社が「祇園社」と呼ばれていたことにあります。
明治時代までは、八坂神社こと祇園社は鴨川一帯まで境内だったのです。
そのためにこの界隈が祇園と呼ばれることになりました。

この祇園が現在のように京都有数の歓楽街になったのは、江戸時代初期と言われています。
当時は、祇園社に参拝する人が数多くおり、その参拝客を狙って茶屋が多く開業し始めました。
茶屋が多くなるにつれて、競争も激しくなり多くの客を集客するためにお茶屋には、美しい女性を働かせるようになりました。
そして、美しい女性が多く集まり働くようになったため、祇園は京都でも有数の歓楽街として成長することとなったのです。

江戸時代から明治時代になり、文明開化により近代化が進みました。
祇園も近代化が進み四条通りの北側が近代化し繁華街として栄えました。
逆に舞妓さんがいることで有名な祇園甲部などの地域伊は、現在でも古い町並みを残しており、江戸時代から続く日本の伝統家屋の置屋やお茶屋、料亭などが建てられています。
格子戸の続く日本家屋には、古式ゆかしい風雅と格調が偲ばれます。
祇園の北部新橋通から白川沿いの地区は、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、また、南部の花見小路を挟む一帯では歴史的景観保全修景地区に指定されており、昔ながらの日本家屋の町並みの保護と活用が国をあげて勧められている地域となっています。

祇園と言えば花街

祇園と言えば花街

image by PIXTA / 24017514

祇園と言えば舞妓さん!と多くの方は連想するのではないでしょうか?舞妓・芸妓さんのルーツは、約300年以上前の江戸時代、先にも述べた祇園社に参拝する人をもてなす水茶屋の茶立女(ちゃたておんな)にあります。
水茶屋もはじめは、簡単なお茶や団子などの甘味を提供していましたが、そのうちお酒や本格的な料理を提供するようになり、それぞれのお店で働く茶立女達が、当時流行していた歌舞伎芝居を真似て、三味線や踊りなどを見せるようになりました。
江戸末期には、お茶屋が500軒・舞妓さん・芸妓さんなど1000人以上いたと言われています。

祇園には、二つの花街があり京都最大の「祇園甲部」と1881年(明治14年)に(1881年)に祇園甲部から分離独立した「祇園東」があります。
花街は、信用を重んじて「一見さんお断り」という初回で遊ぶことは出来ません。
必ず馴染みの方の紹介がなければお店の中に入ることさえ出来ません。
そのため観光で京都を訪れる方が本当の舞妓さんや芸妓さんに会えることはなかなか難しいかも知れません。
チャンスとしては、夕方から夜にかけてお座敷へ向かうときが狙い目です。
また、昼間でも時折、正装していることはありませんが、素顔で普段着(着物)の舞妓さんに出会うチャンスがあります。

祇園四条の見どころ

八坂神社(やさかじんじゃ)

八坂神社(やさかじんじゃ)

image by PIXTA / 26944385

祇園四条を代表する場所は、やはり八坂神社ではないでしょうか?華やかな町並みの祇園の中心に鎮座する八坂神社古くは「祇園社」と呼ばれていました。
全国に約2300社あると言われている八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
地元の人々には、古くから「祇園さん」とも呼ばれ親しまれています。

八坂神社の歴史は、とても古く1300年以上前の創建と伝えられています。
656年 (斉明天皇2年). 、朝鮮半島の高句麗という国の渡来人であった調進副使(献上品を納めるためにやってきた使節)の八坂氏の祖先とされる伊利之(いりし)という人物によって創建されたと言われています。
八坂神社の祭神は古くから牛頭天王(ごずてんのう)で、起源不詳の習合神で祇園精舎を守護すると言われています。
そして、日本では古来の霊信仰と結びついて素盞嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されています。
素戔嗚尊は、荒ぶる神として有名です。
しかし、大切に祀られることにより無病息災や厄除け・厄払いの御利益をもたらす神となりました。
八坂神社では、素戔嗚尊の協力なエネルギーで様々な災いや邪気を払ってるパワーがあると参拝者が絶えません。

八坂神社にある本殿は、江戸時代建築の重要文化財建造物です。
現在の社殿は、1654年に徳川家綱によって再建されたもので、祇園造と呼ばれる独特の形をしているのが特徴。
一般の神社では、多くは拝殿と本殿は別の棟としてそれぞれ独立していますが、祇園造では本殿と拝殿が一つの入母屋屋根で覆われています。
これは、八坂神社以外では見られない大変珍しい造りと言われています。

八坂神社には、本社以外にも数々の摂社・末社が鎮座しています。
中でも有名なのが、美御前社(うつくしごぜんしゃ)です。
八坂神社の御祭神である素戔嗚尊が所持していた十握剣(とつかのつるぎ)より生まれた「宗像三女神」(むなかたさんにょしん)と呼ばれる3人が祭神として祀られています。
具体的には、多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)・多岐津比売命(たぎつひめのみこと)・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の3人の女神。
特に美しいと伝わる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)は、七福神の弁財天と同様の存在として古来より崇められており、美貌の女神と評される吉祥天とも習合して、美貌・芸能・財福の神としての大変人気があります。
美御前社は、「美のパワースポット」として、人気の社で京都の舞妓さんや芸妓さん、芸能人など、美容に関心のある多くの女性たちが頻繁に参拝に訪れています。

八坂神社だけでも沢山の見どころがあります。
最近では、パワースポットとしても大変評判の高い場所でもありますので、ぜひ一度足を運んでみて下さいね。

円山公園(まるやまこうえん)

円山公園(まるやまこうえん)

image by PIXTA / 6963246

八坂神社に隣接する円山公園は、1886年(明治19年)に京都で一番始めに造られた公園と言われており、国の名勝に指定されています。
「祇園枝垂桜」(ぎおんしだれざくら)が大変有名で、春になると園内にある800本を越す桜が一斉に咲き乱れ、大勢の花見客で賑う桜の名所としても知られています。

江戸時代までは、八坂神社の境内であった土地。
明治時代になり日本古来の回遊式庭園である円山公園に生まれ変わりました。
その後、自然の丘陵を利用して渓谷を造りあげ、池や噴水を建設、野外音楽堂なども建設して,現在の円山公園の姿となりました。
円山公園の有名な枝垂桜は、「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種です。
実は、現在の枝垂れ桜は2代目にあたり、初代の枝垂桜は1947年(昭和22年)に枯れてしまいました。
しかし、とても貫禄があり素晴らしい桜を見ることが出来ます。

敷地面積は、約8600㎡と広大な円山公園では、春の桜はもちろんのこと、秋のもみじなど季節ごとに移り行く風景を楽しむことができ、繁華街祇園四条の中にあっても私たちの心を癒してくれます。

また、公園内には、「長楽館」という建物があります。
ここは、1909年(明治42年)にタバコで財をなした実業家・村井吉兵衛が、国内外の賓客をもてなすために建てた迎賓館でした。
現在は、ホテルとなっており、京都市指定有形文化財に宿泊することができます。
また、レストランもあるのでイタリアン・フレンチを堪能することができます。
長楽館カフェもあるので、気軽にハイカラなティータイムを堪能することも可能です。

建仁寺(けんにんじ)

建仁寺(けんにんじ)

image by PIXTA / 9800929

建仁寺は、臨済宗建仁寺派大本山の寺院です。
京都最古の禅寺と言われており、中国禅宗五家七宗の一つである臨済宗の開祖・栄西禅師によって開山されました。
京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の第三位の格式を誇ります。
建仁寺の広大な境内は、多数の塔頭寺院が存在しており、また、風神雷神図屏風を始めとした多くの文化財を所有していることでも有名な寺院です。

建仁寺は、1202年(建仁2年)に臨済宗の開祖である栄西禅師によって開山されました。
創建当時は、珍しいことに建仁寺には、真言宗・天台宗・禅宗という三つの宗派が置かれていたと言われています。
これは、当時大きな影響力があった真言宗と天台宗に配慮したためと伝えられています。
1259年(正嘉3年)に宋僧であった建長寺の開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山した際に建仁寺は本格的な禅寺となりました。
その後、応仁の乱やその後の度重なる戦乱により多くの伽藍が焼失し荒廃していきましたが、1586年(天正14年)に戦国時代の有名な外交僧であった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されました。
そして、江戸時代になると京都五山の第三位に任ぜられるまでになり、現在に至ります。
現在は「けんにんさん」と京都の人々に呼び慕われています。

建仁寺の境内は、創建当時の建物は残念ながら残っていません。
しかし、伽藍は大変広く、戦国時代末期から明治時代にかけて再建された貴重な建物や他の寺院から移築されたものもあり、見応えは十分にあります。
また、重要文化財に指定されているものも多く残っています。

特に、風神雷神図屏風は、江戸時代初期の有名画家・俵屋宗達が描いた2曲1双の屏風画が国宝に指定されており有名です。
その素晴らしい構図は、現在も多くの場所や教科書などでも紹介されているので、一度は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
残念ながら現在は、本物の風神雷神図屏風は、京都国立博物館に寄託されており、建仁寺で展示されているのはレプリカです。
方丈と渡り廊下で繋がっている大書院に展示されています。
また、最近ですが2002年(平成14年)には、建仁寺創建800年を記念して東大寺の襖絵でも有名な日本画家の小泉淳作氏によって、法堂の天井に双龍図が描かれました。
縦11.4m・横15.7mという大変壮大なもので、畳108枚分に相当する大絵画。

麻神(まし)と呼ばれる丈夫な和紙を用いて、最上級の墨を使用し描かれた水墨画は、大変迫力があり有名な妙心寺の雲龍図とは違った美しさを感じることができます。
描かれている龍のうち一匹は口を閉じており、もう一匹は口を開けていて阿吽の呼吸を表わしているとされています。
龍は、龍神であり水を司どると古代から伝えられており、建物を火災から守るご利益があるといわれています。

Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

この記事のカテゴリ

京都
国内
歴史

関連記事を見る

京都の記事を見る

【京都の温泉13選】温泉愛好家がおすすめする温泉施設はここ!
負け戦に敢えて挑む男のプライド。秀吉に刃向った武将・九戸政実の生き様
築地市場近くのあの建物は何?知っておきたい築地本願寺の今と昔
京都観光前に知りたい「醍醐寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
京都観光前に知りたい「建仁寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
京都デートならここ!京都で結婚した私が教える、定番&穴場スポット53選
京都観光前に知りたい「知恩院」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
京都観光前に知りたい「天龍寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
京都観光前に知りたい「高台寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?
戦うお坊さんは大名よりも強し!信長を手こずらせた顕如と石山本願寺のハンパない強さ
伏見城の今と昔を辿る。豊臣が築き家康が再興した幻の城
京都観光前に知りたい「仁和寺」の基礎知識。外せないおすすめポイントは?