【地下水がポイント?】観光前に知りたい、京都「錦市場」の歴史

錦市場は多くの観光客が訪れる「京の台所」として知られています。では、錦市場はいつの時代から存在し、なぜこの土地にあり、ポイントになったものは何だったのか?そしてどのように衰退と発展を繰り返し、現在まで続くのか?

そして、この錦市場で生まれた画家・伊藤若冲にも触れてみたいと思います。若冲は錦市場でどのように生き、どんな絵を描くことを目指し、最終的にどんな代表作を残したか?ということについて見ていきたいと思います。

ではまず、錦市場はどんな商店街かということを見ていきましょう。

【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】
京都観光の理想的な日帰りプラン5つ
殿堂入り!京都お土産ランキング BEST30

錦市場の歴史、平安時代から現代まで

錦市場とはどんな通り?

錦市場とはどんな通り?

image by PIXTA / 10128603

錦小路通りは京都の四条通りの一本北に位置し、商店街振興組合に所属する店は126店舗、道幅は3.3mから5m(私も通ったことがありますが、なかなか狭いですよね。
しかしその狭さが良いんだと思います)、東の端には新京極があり、そこにあるのは錦天満宮。

京都駅からだと地下鉄の四条駅、大阪からなら阪急電車の烏丸駅もしくは河原町駅で降りれば近いと思います。

この狭い通りの両側に様々な商店が軒を連ねていて、平成5年に完成したアーケードも錦市場を象徴する看板となっています。

地元の人をはじめ多くの観光客が訪れ、お店の人たちと話しながらいつも大勢の人で賑わっています。
特に年末や正月は人が混んで前に進めないほど。
私もここで前に進めなくなる状況を経験したことがあります。
狭い市場で、人が立ち話してたら、仕方ないですよね。

2006年、錦市場は経済産業省が選定する全国の「がんばる商店街77選」に選ばれました。
私の住んでいる岡山の商店街は、いろいろ努力しているにもかかわらず、活気が足りないと思うので、世界に知れた観光の大都市・京都とはいえ、羨ましいと思ってしまいます。

錦市場では京都の旬の食材や京野菜、京漬物その他、湯葉・ウナギ・佃煮・カマボコ・乾物などから茶・菓子・寿司・豆腐に至るまで手に入り、試食できる店舗もたくさん。
そのままお店で食べて帰ることもできますし、観光客に人気なのが豆腐や京漬物といったところです。

地下水がポイント?錦市場は「くそ小路」だった?

地下水がポイント?錦市場は「くそ小路」だった?

image by PIXTA / 1978343

錦小路の魚市場の歴史は古く、延暦年間(782〜805年、平安時代)に開かれたといわれていますが、確実な資料はありません。
しかし、この地は清い地下水に恵まれていたため、魚や鳥の貯蔵などに適しており、人口の多い都心部にあったことから、魚や鳥が御所に届けられる往復の道に自然発生的に市が立ったことは容易に推測できます。

地下水がポイントなのですね。
しかし、この時代、氷もそう簡単には作れなかったでしょうし、どんな保存方法があったのでしょうか?

昔の錦では地下水を利用した降り井戸(その名のとおり、降りることができる井戸)で生物を冷やして、冷蔵庫の代わりをしていました。
今でこそ冷蔵庫があり、私たちの生活でものを冷やすのは当たり前で簡単なことですが、昔はそうはいきませんでした。
当時は井戸水自体が貴重で、冷やす方法は井戸水以外に考えられませんでした。

また、それまでは具足小路(ぐそくこうじ)や、なんと「くそ小路」などと呼ばれていましたが、天喜2年(1054年)に時の天皇だった後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)が「錦小路」と改めたといわれています。

「くそ小路」はなかなかひどい言われようですね。
当時はあまりキレイな市場ではなかったということでしょうか?

衰退と復活の繰り返し?

衰退と復活の繰り返し?

image by PIXTA / 22580687

1311年7月12日付けの淀魚市二郎兵衛による書き付けには、淀魚商人が錦小路で替銭をするように書かれており、すでにこの時代には数店の魚屋があったことが示されています。

また元和元年(1615年)、幕府が初めて魚問屋の称号を許し、上の店(かみのたな)、錦の店、六条の店と京都の特権的鮮魚市場として、三店(さんたな)魚問屋とし、錦市場は本格的な魚市場としての第一歩を踏み出しました。

幕府から指定があったのですね。
しかし、三店って外国の歌手を彷彿させますね。

しかし、明治維新後、株仲間と三店魚問屋の特権が廃止され、同業者の過当競争のため市場は混乱を極め、明治16年頃には大店7軒にまで激減。
衰退した歴史があったとは、今日の賑わいからは想像もつきませんね。

そこで、水産魚介類業を中心に「錦盛会」(今度は相撲取りの名前を彷彿とさせられますね)が結成され、錦市場は新たに活気を取り戻しました。

ところが、昭和2年、全国で最初の京都中央卸売市場ができ、錦市場からも多くの店が移っていきました。
意外にも衰退とそこからの復活を繰り返しているのですね。

魚だけではない京の台所へ

魚だけではない京の台所へ

image by PIXTA / 5105816

そこで翌年、青果業や生肉業などの食料品店を加え、「錦栄会」を設立。
魚だけの市場をやめたのですね。
ここにあらゆる食品を扱う「京の台所」として新たに出発しました。
その後の昭和38年(1963年)錦栄会を発展解消し、京都錦市場振興組合を設立。

昭和40年(1965年)には阪急電車の河原町延伸で、市場のポイントだった地下水が枯渇。
しかし、当時の組合の働きかけにより、京都市より共同井水事業の許可を受け、同年から井水事業が始まりました。

その後、1965年には近隣の土地を買収して大手スーパーの進出を阻止。
地元の商店街を大きなスーパーから守るには、こういう方法もあるのですね。
お金があればこその話だとは思いますが。

昭和51年(1976年)には青年部会が発足し、イベントや他商店街の青年部との交流が始まり、また昭和59年(1984年)には石畳の道路に。
しかしこれで井戸水が使えなくなり、水道水を使うことに。

1993年には総工費17億余円でアーケードが完成し、5カ所の辻の天井には京の食文化の伝統が四季とともの描かれています。

その後2000年代に入り、「錦にぎわいプロジェクト」を立ち上げ、さらに「錦市場」の商標特許も立ち上げ、スローフード発祥の地であるイタリア・フィレンツェのサンロレンツォ市場と友好協定を締結。

そして2013年には振興組合創立50周年を迎え、錦・高倉口に錦市場出身の画家・伊藤若冲の生家跡にモニュメントが設置されました。
さて、ここで伊藤若冲という人が出てきましたが、どんな人なのでしょうか?

画家・伊藤若冲はどんな生活から画家になった?

錦市場の青物問屋で生まれた若冲は、商人としても有能だった?

錦市場の青物問屋で生まれた若冲は、商人としても有能だった?

image by PIXTA / 26040541

次はこの伊藤若冲について触れていきましょう。
若冲は正徳6年(1716年)、錦高倉青物市場の問屋「桝屋」(ますや)の長男として生まれました。
問屋は生産者あるいは仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、売場の使用料を徴収する流通業者。

若冲と親交のあった禅僧・大典(だいてん)は「若冲居士受蔵の碣銘」(じゃくちゅうこじじゅぞうのけつめい)に若冲の家業の実態を次のように書いています。

「錦街には魚や野菜を商う店が並び、毎日荷物をかつぐ者たちが大勢ひしめき合うように集まって、市を形成していました。
だから居士(若冲)の家は日々彼らからその場所代を取れば、十分な利益を上げることができました」

こういうそんなに動かずにお金を儲けられるというのは、商人にとっての理想ですよね。

しかし、若冲在世時の寛政5年(1793年)に筆記された噂話では、若冲が俗世を嫌うあまり、2年ばかりも丹波の山奥に隠棲したため、3000人もの青物売りが迷惑したと伝えられています。
多数の商人を管轄していたようで、彼の重要な仕事は小売ではなく商人同士の調整。
画家だけでなく、最初は商人としても有能な人だったのですね。

カワタツ

Writer:

子供の頃から坂本龍馬に憧れ、歴史小説を読み込んでいて司馬遼太郎が特に好きで、城を巡って旅行をするのも好きでいろいろと回っています。地元岡山の歴史についても本を読んで調べていて、過去の時代の岡山がそんな風景だったか想像するのが好きです。バンド「レキシ」も好き。 よろしければブログも読んでみてください。http://tatsuyakawakami.hatenablog.com

この記事のカテゴリ

京都
国内
歴史

関連記事を見る

京都の記事を見る

「海の京都」鶴の港と赤れんが倉庫群の舞鶴
京都観光の常連が伝授!京都観光の理想的な日帰りのモデルコース5プラン
嵐山観光ならここ。「宝厳院」で日本庭園の奥深さを知る
津軽の名城『弘前城』の歴史と魅力あふれる観光ポイントを解説
観光の前にチェック!京都「祇園四条」の歴史 とおすすめ観光スポット
京都観光なら「龍安寺」は必見!行き方や予算、営業時間は?「龍安寺」の観光情報まとめ
京都に年100回通った私が決める!お土産ランキング【スイーツ編】
観光する前に知りたい!王朝文化の集大成「修学院離宮」の歴史と見どころ
たった5年の活動だった新撰組!幕末に人々を魅了した新撰組の解体後はこうだった
観光する前に知りたい!日本最大の禅寺「妙心寺」の歴史と見どころ
京都の意外な穴場!「祇園の夜景」がすごく幻想的だった
【周辺ランチから見どころまで】京都・二条城の観光の前に知っておこう!