観光前に知りたい!名軍師・黒田勘兵衛が築いた「福岡城」の歴史と見どころ

福岡城は、、現在の福岡県福岡市中央区に築かれたお城です。2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公・黒田勘兵衛(如水)が息子である長政と共に築いたのがこの福岡城。江戸時代には福岡藩の居城で、九州で一番大きなお城でした。現在は、舞鶴公園として整備されており、市民の憩いの場所に生まれ変わりました。今回は、黒田勘兵衛こと黒田如水と息子・長政が築いた福岡城の歴史と見どころについてご紹介します。

舞鶴城と呼ばれている福岡城とは?

舞鶴城と呼ばれている福岡城とは?

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福岡城は、江戸時代のはじめに関ヶ原の戦いで功績を得た黒田如水・長政が博多を望む警固村福崎の丘の上に建てた平山城です。
そして、明治まで福岡藩黒田氏の居城となりました。
城名の「福岡城」は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡に由来しておりと考えられており、「福崎」を「福岡」に改めたと言われています。
福岡という地名は、黒田家発祥なのですね。

この福岡城のモデルは、豊臣秀吉の朝鮮攻めの際に見た、朝鮮の難攻不落の城・晋州城をモデルとしたとされており、三の丸から二の丸から本丸から天守と綺麗に一段ずつ高さが高くなる構造をしており、戦の際に攻め手にとっては非常に攻めづらい構造となっています。

明治の廃城令によって多くに建物が解体されてしまいました。
しかし、現在でも福岡城跡には移築された櫓や城門などが残っており、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓などは、国の重要文化財、伝潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財、名島門が福岡市文化財などに指定されており見どころは十分にあります。

福岡城では、毎年春には「福岡城さくらまつり」や「おおほりまつり」・夏には「福岡城夏祭り」などがおこなわれており、黒田孝高、黒田長政、黒田二十四騎に扮した有名人などの勇壮なパレードや城下町の再現やライトアップなど様々な催しが開催されています。

安土桃山から江戸を通しての福岡城

安土桃山から江戸を通しての福岡城

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1600年の関ヶ原の合戦で徳川側の東軍の勝利に大きく貢献した黒田官兵衛(如水)の息子・後に黒田藩初代藩主となる黒田長政は、筑前国52万3000石を徳川家康から与えられます。
はじめ、黒田長政は、名島城(福岡市東区)に入城したのですが、ここが手狭だったため当時福崎と呼ばれていた土地に新しい城を築きます。
城の名前を備前福岡とい黒田氏ゆかりの地にちなんで「福岡城」と命名します。
そして、城下町を「福岡」と名付けました。

1601年(慶長6年)には築城が開始され、7年の歳月をかけて1607年(慶長12年)には、総面積80万㎡(24万坪)・東西1km・南北700mもある全国でも有数の規模の平山城を完成させました。
海側から城を望むと、鶴が羽ばたく姿に似ていることから別名「舞鶴城」とも言われています。

展望が素晴らしい天守台・本丸・二の丸・三の丸と47の櫓と10を越える城門があったと言われており、さらに城郭は堀に囲まれ、上之橋御門・下之橋御門・追廻門の3つの橋からしか城内へ入ることが出来なかったと伝えられています。
この福岡嬢は、築城名人と呼ばれている加藤清正が、高く評価し、戦の際「自身の築城した城は3~4日で落ちるが、福岡城は30~40日は落ちない」と賞賛したと伝えられています。
江戸期には歴代の藩主により、二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われました。
特に幕末の11代藩主、黒田長溥により大改修が行われ、福岡城は12代黒田長知まで代々黒田家が藩主となりました。

明治から現在を通しての福岡城

明治から現在を通しての福岡城

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明治時代になるまで、代々黒田家が藩主となり城を支えていきましたが、1871年(明治4年)になると廃藩置県により、最期の藩主である黒田長知は福岡県知事となり、旧下屋敷に福岡県庁が置かれることになり福岡藩は福岡県となりました。
そして、 廃城令発布により存城処分となり、福岡城は第6軍官に属することになり、その後多くの建造物が解体もしくは移築されてしまいました。

1902年(明治35年)には、床下にあった火薬が爆発し貴重な鉄物櫓が焼失してしまいます。
1920年(大正9年)には、 祈念櫓が北九州市八幡東区の大正寺に観音堂として移築されますが、1983年(昭和58年)には再び元の地に移築され現在もこの地で見ることができます。
その後、潮見櫓・大手門・旧母里太兵衛邸長屋門・祈念櫓がそれぞれ福岡県文化財に指定されます。
そして、1957年(昭和32年)には、福岡城跡が国の史跡に指定されます。
続いて1971年(昭和46年)には多聞櫓・二の丸南隅櫓が国の重要文化財に指定されます。
また、面白いことに1987年には、三の丸の一帯から平安時代に設置されていた外交および海外交易の施設であった鴻臚館の遺構が発見されました。
平安の昔から重要な場所だったのに驚きです。
2006年(平成18年)には 日本100名城(85番)に選定され、最近では、福岡城の整備復元を目指す展示拠点施設として『福岡城・鴻臚館案内処・三の丸スクエア』が福岡市により開設され多くの観光客で賑わう観光スポットとなっています。

福岡城の見どころ


鬼門封じの祈念をするための祈念櫓

鬼門封じの祈念をするための祈念櫓

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祈念櫓は鬼門封じの祈念をするために本丸の東北隅に建立された櫓です。
1860年(万延元年)3月に起工し、同年10月に竣工しました。
明治になり、廃城令とともに解体されましたが、1918年(大正7年)に黒田家の菩提寺である崇福寺が陸軍省から払い下げをうけて、崇福寺の末寺である大正寺(北九州市八幡東区東台良)の境内に移築されていました。
その際に櫓の構造は大幅に改修されました。
その後は大正寺の観音堂としてしばらくは使用されていましたが、1983年(昭和58年)に福岡城の元の位置に再移築されました。
建物は2階建てになっており、棟を北西から東北に通し、鯱(シャチ)が上げられており、丸瓦には黒田家の家紋である藤巴が刻まれています。
1階には5畳半の茶室があります。
通常は一般公開されていませんが、時折特別公開されます。

今はみることができない本丸

今はみることができない本丸

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福岡城の本丸には、かつて本丸御殿や武具櫓などがあったと言われています。
残念ながら、今は見ることができず本丸跡が残っているのみです。

福岡城の本丸は、25,500m2の広さで、初代藩主・黒田長政が居住して執務にあたった本丸御殿・石垣も含めると高さ13mの武具櫓などがあったといわれ、天守台へと続く福岡城の中心部であり、藩主の生活の中心部でした。
現在は、天守台への入口となる「鉄御門跡」が残っていますが、要衝の門であり敵の侵入を防ぐため幅が狭くなっています。
高く積まれた石垣の上に櫓や塀が張り巡らされ、上から攻撃できるようになっていたとされています。

今までの定説では福岡城には、江戸幕府を恐れてもともと天守閣が建設されなかった言われていましたが、最近では天守閣の存在を匂わせる文献が発見され、「はじめは天守閣が建設されたが、後年取り壊されたのではないか」という説も有力となったきたおり、「福岡城天守閣」をめぐる論争が激しくなってきています。

築城の名手・加藤清正をも唸らせた石垣

築城の名手・加藤清正をも唸らせた石垣

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福岡城は、天守台・本丸・二の丸・三の丸の門など多くの場所に石垣が造られています。
その総延長は約3kmを超えており長く、高さは高いところで10mを超えます。

石垣は大きく二種類あり、一つは自然石を積み上げた野面積(のづらづみ)の石垣。
基本的には古い石垣に使われていました。
天守台を中心に城の南側に多く見られます。
石材は玄武岩(げんぶがん)や礫岩(れきがん)を使用していました。
二つ目は面が正方形や長方形で控えの二面が削られている割石を用いて積み上げた石垣。
野面積に比べると加工度が上がるため、石垣の勾配は急になり高さも増していきます。
石材には割跡の矢穴が残っているのを確認できます。
お城の北側を中心に多く見られ、石材は主に花崗岩(かこうがん)を使用しています。
また、石材の一部には刻印(こくいん)と呼ばれる「卍」・「○」・「×」・「△」などの記号が見られるものもあるので時間がある方は探してみても面白いかもしれません。
この凄い圧倒感の石垣は、黒田二十四騎の1人でもあり石垣積みの名人と言われた野口一成が石垣普請奉行を務めたことによるものといわれています。
築城の名手・加藤清正をも唸らせたと伝えられています。

LUAN

Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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