沖縄のルーツはここ!海上に花開いた貿易国家、琉球王国の歴史

陽気で、開放的で、おおらか。沖縄って、とても暖かくて素敵なイメージがありますよね!
有名な「なんくるないさー(なんとかなるさ)」という言葉は、私たちの心を大きく包みこんでくれるマジックワード。その穏やかで前向きな言葉は、沖縄の風土が持つ明るさと相まってより魅力的に聞こえます。
ですが、沖縄は果たして本当にただ「明るい」だけなのでしょうか?沖縄のルーツ・琉球王国の歴史を紐解くと、そこには大きな国に翻弄されつつも、たくましく生きた人々の姿が見えてきました。

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海は広いな大きいな、本当は大きな沖縄県!

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海のこと忘れてない?陸地だけがすべてじゃない

みなさん、沖縄といえば何を思い浮かべますか?

訪れる人々の心を魅了して止まない、南国風情あふれる街並み。
真夏の夜を彩る満点の星空や、本土ではなかなか見ることのできない大自然とのふれあい。
ゴーヤチャンプルーや泡盛などの沖縄料理は、もはや私たちの生活の一部にさえなっていますよね。

そんな中でも、沖縄最大の魅力と言えばやはり「海」ではないでしょうか?

大小160、岩まであわせると実に363の島からなる沖縄県。
陸地面積だけを考えると東京都や大阪府とそこまで変わりませんが、その島々を取り巻く海域を含めた広さは、なんと東西1000㎞・南北400㎞。
九州から神奈川県まですっぽりと収まってしまうくらいの広大な範囲なのです。
沖縄県の前身である琉球王国は、この広範囲な海域を支配していた、まさに「海の上の国家」でした。

私たちはいつも陸の上で生活し、海と言えばなんとなく自分のいる場所と海の向こうを断絶する壁のように感じてしまいがちです。
そんな私たちにとって「海の上の国家」という言葉の意味がいまいちピンとこないのは、仕方のないことなのかもしれません。

海の道を束ねる海洋国家・琉球王国

琉球王国(当時の正式な呼称は琉球国)は、1429年から1879年までの450年間この海域に存在した巨大な商業国家でした。
もともと南西諸島では、長く漁業や採集を中心とする生活が営まれていました。
本格的な農耕社会の成立は12世紀頃と言われており、日本で言うところの縄文時代から平安時代まで、南西諸島の人々は舟に乗り漁に出ていたわけです。

それほど長きに渡り海で生活していた人たちにとって、海は「壁」ではなく「道」であり、また「生活の場」でもありました。
もちろん命の危険は常にあったしょうが、島と島の移動は活発に行われていたようです。
私たちが自分の住んでいる土地から、電車や車に乗って隣の市まで仕事に行き、そして帰ってくる。
それと同じような立場でごく自然に海と接していた人たちにとっては、「海の道」という認識が当たり前のことであり、そんな生活の中に「海洋国家」という概念の萌芽がすでに存在していたのかもしれません。

それでは琉球王国の歴史を紐解くために、まずは南西諸島と他の国々の、海を越えた交流の歴史を追いかけていきましょう。

海洋国家の原点!人の交流が国の基となる

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日本と東南アジアが交わる場所、南西諸島

南西諸島には当初、奄美・沖縄諸島と、宮古列島・八重山列島などがある先島諸島で二つの異なる文化圏が存在していました。

比較的日本に近い沖縄諸島では、日本の縄文土器によく似た形状部分を持つ土器が発見されるなど本土の影響を受けた文化圏があったことがうかがえます。
一方、同時期の先島諸島からは、目と鼻の先にある台湾との共通点が多い土器が発見されることや、奄美・沖縄諸島にはないシャコ貝を利用した貝斧(台湾やフィリピンなどの南方諸島より持ち込まれたものだと推定される)が発見されたことから、九州にあった縄文文化とは系統の異なる、東南アジア系の文化圏に属していたと考えられています。

日本が弥生時代を迎えた頃、沖縄諸島と日本にはすでに交易の道が開かれていました。
後の古墳時代に、日本において支配階級にあった豪族が身につけていた貝輪と呼ばれる装飾品があります。
これらの原材料に使われていた貝の多くは奄美諸島より南に生息するものでした。
沖縄ではこれらを大量に加工していたと見られる遺跡が発見されており、九州・西日本を経て遠く北海道まで達したこの貝の交易ルートは絹の道、ならぬ「貝の道」と呼ばれています。

商売人は、いつの時代もフットワークが大事!

また、この頃には南西諸島を拠点にした広域な商業活動が行われていたことを裏付ける証拠も見つかっています。
奄美地方で発見された、螺鈿(らでん)細工の原料となる貝の集積地と中国の貨幣。
これらは当時、国際貿易港として機能していた博多と中国を結ぶ商業ネットワークの一部として、沖縄がすでに商人たちの拠点になっていたことを示唆する史料と言えます。

商業的な交流以外にも、714年(和銅7年)には「信覚・球美」などの人々が来朝したと「続日本紀」に記されており、後に江戸時代の政治家である新井白石(あらいはくせき)は信覚を石垣島、球美を久米島であると比定しています。
これと前後するように日本の朝廷からは南の島々の人間に対して官位を授け、南島からは朝廷に物品を献上するなど、政治的な交流も行われていました。

その後、先島諸島などでも朝鮮半島系の須恵器(すえき)であるカムイヤキや長崎でつくられた石鍋、それを模した石鍋風の土器が見つかるようになることから、800年頃には奄美・沖縄諸島と先島諸島を併せたひとつの文化圏が形成されていたのではないかと考えられています。

貿易が勝利の鍵!?群雄割拠のグスク時代

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お笑い番組を流しながらギターをつま弾き、小説を読む、うだつの上がらない会社員です。人生楽しく生きるために、やってみたいと思ったことは隙を見てやっちゃうスタイルです。読後感のさわやかな?そんな文章を皆さまにお届けできるよう、日夜あれこれ模索します。

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