【臥竜山荘の歴史】崖からせり出した不老庵と、苔むした緑豊かな庭園が見どころ

みなさんは「臥龍山荘」という建物のことを聞いたことがありますか?

愛媛県の大洲市にある、緑の多い庭園と、趣のある3棟の建物、そして肱川のせせらぎの音が聞こえそうな静かな立地で、とても良いところなのです。

ここでは、臥龍山荘にはどんな建物があるのか?

臥龍山荘にはどんな人々が関わっている?

などのことを見ていきたいと思います。

また、以前書いた大洲城の記事と合わせて読んでいただけると、大洲という町の面白さもわかっていただけると思いますので、よろしくお願いします。







臥竜山荘とは?

102069:臥竜山荘とは?

撮影/カワタツ

以前大洲城の歴史を紹介しましたが、臥竜山荘は同じ城下町大洲の町の東端、肱川(ひじかわ)流域随一の景勝地「臥龍淵」(がりゅうふち)に臨む3000坪の山荘。

アクセスは愛媛県の県庁所在地・松山から特急宇和海に乗ってお越しください。

神楽山(かぐらやま)を背に、東南の冨士(とみす)・梁瀬(やなせ)の山々と肱川・如法寺(にょほうじ)河原自然を取り入れた借景庭園は、自然と人工の典雅な調和を見せます。

臥龍院・不老庵・知止庵(ちしあん)の3建築は、それぞれに数寄をこらした逸品揃い。
今や臨むべくもない銘木と優れた着想と名工たち、それらが1つになって、建物の細部に細部に見事に結実し、四季折々に深い趣があり、茶の心、日本の心が今に生き続けています。

「臥龍山荘」の名前の由来は、「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから加藤泰恒(やすつね、第3代大洲藩主)が命名したといわれています。
「建物が龍の臥した姿に似ている」というのはよくわかりませんが、緑の多い庭園なので、敷地全体を見て言ったのでしょうか?

また清流肱川河畔でも優れたこの景勝の地に初めて庭園を作ったのは、文禄(安土桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵があった頃)の昔、藤堂高虎の重臣・渡辺官兵衛。

その後、この地をこよなく愛した泰恒は、吉野の桜・龍田の楓(かえで、どちらも奈良県)を移植し、庭に一層の風致を加えました。

幕末まで歴代藩主の遊賞地でしたが、ことさらに補修もされず、自然荒れてゆくまま。
現在の山荘は、明治の貿易商河内寅次郎が10年かけて築いたものです。

臥竜山荘にはどんな建物がある?

臥龍院の中はどんなもの?

102070:臥龍院の中はどんなもの?

撮影/カワタツ

まず入り口を入ったところにある建物は、臥龍院。
河内寅次郎が構想10年、工期4年とその情熱の全てを注いで最も苦心した建物。
建物の敷地自体はそんなに広くないのに、随分と時間と人手がかかっているのですね。
その分手間をかけて作られているのでしょうか。

延べ9000人もの人手を要し、桂離宮・修学院離宮・梨本宮御常御殿(おつねごてん)などを参考に、相談役に茶室建築家の八木氏、施工は大洲・京都の名大工。
建物細部は千家十職、絵画は当時の大家に依頼して完成した名建築。

玄関および迎礼の間の額は宇治萬福寺黄檗(おうばく)三祖の1人・即非(江戸時代前期中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧)の書。
割竹を敷台とした玄関は茶室の露地間の雰囲気です。

霞月(かげつ)の間は素朴で清楚な部屋。
違い棚は、京都大徳寺玉林院の小堀遠州の作にヒントを得ています。
鼠色和紙の襖にこうもり型引き手は薄暮、床脇の丸窓に奥の仏間の灯明(とうみょう)を映し月と見ます。
こういう自然を生かした仕掛けは素敵ですね。

雲霞を表す3段の違い棚、仙台松の一枚板の縁、時雨高欄など、匠の細かな心配りが見られます。

臥龍院の清吹の間と壱是の間はどんな部屋?

清吹(せいすい)の間は「夏涼やかに…」と、高い天井、中庭からの涼風、欄間(らんま)の透かし彫り(水玉・菊水・花筏(はないかだ))などにその工夫が見られます。

西側に広い書院窓をとり、右に枇杷床(びわゆか)、上部は一位の木で山形を作り、全面神棚に。

書院窓の外側は修学院離宮の手すりと同型の時雨高欄。

壱是(いっし)の間は格調高い書院造りで、丸窓、濡縁、障子戸、天井板などに桂離宮様式が濃く表れています。

畳をあげれば能舞台となり反響音効果の工夫も。
数奇屋造りの部分との調和のため、いくつかの配慮が見られます。

特に床柱は杉の四方糸柾(いとまさ)、長押は杉の磨き半丸太、欄干彫刻は優雅な野菊や鳳凰の透かし彫り。
障子戸、天井板は桂離宮同様春日の中杢(なかもく)を使用するなどの工夫が見られます。

私も臥龍山荘に行った時、この縁側に座らせてもらったのですが、のんびりお茶を飲んだり昼寝をしたりしてみたいと思いました。
目の前には緑豊かな庭園と、聞こえてくるのは肱川の流れる音で、良いですね。







知止庵と庭園はどんなもの?

102071:知止庵と庭園はどんなもの?

撮影/カワタツ

次は臥龍院から庭園を南に向かって歩いていきましょう。
臥龍院のすぐ隣には知止庵という小さな建物があって、これはかつて浴室だった建物を昭和24年茶室に改造したもの。
大名のものだった時は風呂だったのでしょうが、誰も使わなくなってしまったのでしょうね。

「知止」の扁額が第10代藩主加藤泰済(やすずみ)の筆。
大洲城のものを書いたときに、この人は「天気予報のできるタレントみたいな名前だ」と思ったのですが、筆も達者なのですね。

また陽明学者中江藤樹の説いた教えから「知止」という庵の名前が生まれました。

壁の腰張は皇室の名代を徳川家で迎えるとき、その接待役を務めた、第3代藩主泰恒の「茶方日記」の反故です。

また臥龍山荘の庭園は自然の景観を巧みに借りた河岸庭園で、神戸の庭師「植徳」の10年がかりの作で、さり気なく置かれた庭石の1つ1つが吟味されています。

「流れ積み」「末広積み」「乱れ積み」といった石積方式の中に、飛石・船石を配した妙。
さらに飛石は「てまり石」「白石」「伽藍礎石」(がらんそせき)といった銘石揃い。
城の石垣のようにいろいろな所から持って来られているのでしょうか。

「げんだ石」も見もので樹木も多く榎(えのき)・槇(まき)が数百年の深い生命を保っています。

苔類も珍種が見られ京都西芳寺にも比すべきもの。
私はこの庭園は本当に緑が深く、しかも苔が多くて日陰に入ると、行ったのは6月で日向は蒸し暑い日だったにもかかわらず、随分と涼しげな雰囲気だったのを憶えています。

崖からせり出した不老庵とは?

102072:崖からせり出した不老庵とは?

撮影/カワタツ

そして、知止庵と庭園をさらに南に行った所にある、崖からせり出して立っている建物が不老庵。

私はこの建物が一番好きなのですが、臥龍淵を足下に見る崖の上に、舞台造りに建てた数寄屋造りのこの庵は、庵そのものを舟に見立て、穹窿(きゅうりゅう、弓形に見える天空のこと)状竹網代張り一枚天井は、河面の月光を反射させる巧妙な趣向。
空から河面へ、河面から天井に、いわばVの字に月光が反射して、天井に月光がほのかに映し出されるというわけで、素敵ですね。

床は2間幅の仙台松一枚板を用い、2間の曲がり竹を落とし掛けにしたのみで、違い棚をつけない簡素さ。

入り口縁続きに大徳寺菰路庵(こもじあん?)に見るような素朴な意匠の茶室(三畳台目)があり、生きた槇の木を使った「捨て柱」を基準に作られています。

この崖からせり出して建てられているというのが好きなんですよね。
つい、縁から体を乗り出して縁の下を見たくなってしまいます。
いや、危ないですか。
月のある夜に泊まってみれたらいいですね。

臥龍山荘に関わった人々の歴史は?

次のページでは『プライドが高すぎて浪人?渡辺勘兵衛とは?』を掲載!
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Writer:

子供の頃から坂本龍馬に憧れ、歴史小説を読み込んでいて司馬遼太郎が特に好きで、城を巡って旅行をするのも好きでいろいろと回っています。地元岡山の歴史についても本を読んで調べていて、過去の時代の岡山がそんな風景だったか想像するのが好きです。バンド「レキシ」も好き。 よろしければブログも読んでみてください。http://tatsuyakawakami.hatenablog.com

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