学校?お墓?神社?意外と知らない「湯島聖堂」の成り立ちと歴史

東京都文京区湯島一丁目、ビルが建ち並び、車が行き交う本郷通り沿いに、大きな銀杏並木が続く緑豊かな場所があります。中を覗くと、石段の奥に青緑色をした銅板葺きの屋根を従えた大きな建物が。東京の名所旧跡としても知られている「湯島聖堂」です。よく耳にする名前ではありますが、「湯島天神」と混同してしまって実はよくわかってない、という人も多いんです。果たして「湯島聖堂」とはどんなところなのか?歴史を紐解きつつ、ご紹介してまいります。

「湯島聖堂」とは?

「湯島聖堂」とは徳川綱吉によって建てられた”孔子廟”である

「湯島聖堂」とは徳川綱吉によって建てられた”孔子廟”である

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湯島聖堂とは、ずばり、”孔子廟(こうしびょう)”です。
孔子とは今から2500年位前に中国で活躍した、儒教という思想・信仰の創始者のこと。
「子曰く…」の”し”とは、孔子のことを言います。
孔子を師と仰ぎ儒教を重んじる学校や私塾では、孔子を祀った霊廟を建てることが多かったのです。
孔子廟は中国大陸には勿論のこと、日本や朝鮮半島、台湾、ベトナム、マレーシアなどに数多く建てられています。
日本でも、湯島聖堂の他にも、栃木県の足利学校や佐賀県の多久聖廟、長崎の孔子廟などが有名です。

孔子を祀ってあることから、受験前の学生さんたちがたくさんお参りにくる場所ですが、神社ではない湯島聖堂。
この辺が、湯島天神と間違えやすく、分かり難いところかもしれません。

なぜ江戸の地に孔子廟が建てられたかというと、林羅山(はやしらざん)という江戸初期の儒教家に由来します。
若い頃に徳川家康に才能を認められ、三代将軍家光から上野の忍岡というところに土地をもらって暮らしていた林羅山。
自宅に私塾を開いて孔子を祀る廟を建て「先聖殿」名づけます。
林羅山が亡くなった後も、廟は幕府によって守られていました。

五代将軍綱吉の時代、儒学を重んじていた綱吉は先聖殿を現在の湯島に移します。
門も建物も立派なものに整え、「聖堂」と呼ぶことにしました。
1690年のことです。

「湯島聖堂」とは”日本の学校教育発祥の地”でもある

「湯島聖堂」とは”日本の学校教育発祥の地”でもある

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徳川幕府をより強固なものにするため、武士の世を確立するため、儒学を広めようとしていたと考えられている徳川綱吉。
しかし、八代将軍吉宗の時代になると、吉宗がもっと現実的な、工業や医学などの学問を重んじたため、一時期、儒学が語られ機会がぐっと減り、火災で建物が焼け落ちるなど不幸なことも続いたため、湯島聖堂は廃れていきました。

変化が訪れたのは18世紀の後半。
大火や飢饉続きで不安定な江戸の町で、幕府の威厳を取り戻すべく、時の老中松平定信は様々な学問の統制・改革を行い、儒学を担ぎ出します。
また、湯島聖堂の改築・改修を行い、林羅山の私塾を幕府管轄の施設と位置づけてこの地に移し、「昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)」を開設。
”昌平”とは孔子が生まれたとされる”魯国昌平郷”という地名から取ったものだそうで、綱吉の時代から、湯島聖堂の周辺は孔子にちなんで”昌平”と呼ばれていたのだそうです。

昌平坂学問所は幕府直轄の教育機関として、身分を問わず多くの武士の入門が認められていました。

時代が江戸から明治に入ると、湯島聖堂は明治政府の管轄下に入ります。
学問所はしばらくの間は継続されましたが、1871年(明治4年)に閉鎖が決まり、儒学の学び舎としての歴史は閉じられました。

しかし、その後の湯島聖堂は、学問所でこそないにしろ、新政府の文部省が置かれ、学問につながる施設やイベント会場としての役割を担っていきます。
東京師範学校や書籍館(しょじゃくかん:日本初の図書館)、現在の東京国立博物館の前進となる博物館や東京女子師範学校など。
多くの教育機関が湯島聖堂で誕生し、日本の近代教育の礎を築いていったのです。

「湯島聖堂」と「湯島天神」は関係ないがどちらも”学問の聖地”である

「湯島聖堂」と「湯島天神」は関係ないがどちらも”学問の聖地”である

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このように湯島聖堂は、儒学の祖である孔子を祀った廟であり、儒学を重んじる人々が重んじる場所であり、国が儒学を推奨していた時代に儒学を学ぶ学び舎でもありました。
そのため現代でも、学業成就を願う人たちが訪れる場所となっています。
神社ではなくて史跡なのですが、門のそばに絵馬が奉納されていたり、御朱印をいただけたりするので、神社だと思っている人も少なくないようです。

神社と間違えやすい理由がもうひとつ。
同じ文京区湯島に「湯島天神」という神社があるため、混同してしまう人が多いんです。
こちらは文京区湯島3丁目。
やや上野寄りにあります。

以前の正式名称は「湯島神社」。
現在は「湯島天満宮」といい、「湯島天神」は通称となっています。

こちらに祀られているのは学問の神様として知られる菅原道真。
しかし、神社自体はもっと古くからあったのだそうで、もともとは今から1500年以上前、451年に雄略天皇の命令で天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと:力の神、スポーツの神)を祀る神社として建てられたと言われています。
それから900年近く経った1355年に、地元の人々の希望で菅原道真(平安時代前期の貴族・学者:845年~903年)も祀られるようになりました。
江戸時代には、やはり徳川家に大事にされ、また、庶民の楽しみのひとつだった富くじが行われたこともあって、多くの人で賑わったといいます。

平成12年に「湯島神社」から「湯島天満宮」に名前を変更。
”天満宮”とは菅原道真を祭神とする神社のことなので、この名前が浸透すれば、湯島聖堂との区別もつけやすくなるかもしれません。

ということで、この2つは、直接のつながりはなく、単に湯島の1丁目と3丁目にあるので、湯島○○と呼ばれて名前が似ているだけ、ということになります。
しかしよくよく成り立ちを見てみれば、どちらも学問に深くかかわりのある場所。
絵馬やお守りを求めるなら湯島天神に足を運ぶべきですが、湯島聖堂でも学問に対する意気込みを言い表すことはできるはず。
東京大学に程近いということもあって、湯島聖堂、湯島天神と、さらにもうひとつ、近隣のパワースポット神田明神の3箇所をお参りする受験生も多いようです。

「湯島聖堂」を訪ねて

正門から大成殿へ~屋根の霊獣にも注目!

正門から大成殿へ~屋根の霊獣にも注目!

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湯島聖堂の敷地はそれほど広くはありません。

9時半から午後5時(冬は午後4時)まで開放されていて自由に出入りできる門は、本郷通り沿いの西門と聖橋門、外堀通り沿いの正門の3カ所。
どこから入っても、敷地内で迷うことはないでしょう。

まずは正門から入ってすぐのところにある斯文会館に寄って、お守りや絵馬をチェック。
神社ではありませんが、合格祈願や大願成就の絵馬を奉納することができます。
孔子のイラストの帯がついた「学問成就鉛筆」なるものも売っているので、受験生にも喜ばれそうです。

次に、仰高門をくぐって奥へ。
細い道を進むと、入徳門という門をくぐり、石段を上ると、杏壇門という大きな門の前に出ます。
この門の奥が、湯島聖堂の本堂ともいうべき大成殿です。

間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル。
建物としてはそれほど大きくはないですが、銅板葺きの屋根が青緑色に輝いていて、日本の神社仏閣とは一線を画す、中国のお寺のような雰囲気。
目の前に立つと建物全体がこちらに迫ってくるような迫力があります。

この大成殿は、1935年(昭和10年)に再建されたもの。
1923年(大正12年)の関東大震災で、入徳門を除くすべての建物は焼失してしまったのだそうです。
再建の際、建設当時の形状をそのままに、鉄筋コンクリート構造に作り替えたのだとか。
その折に屋根をすべて銅板葺きにしたのだそうです。

さらっと見てまわるだけなら10分もあれば見渡せてしまいますが、大成殿の前まで来たら是非、屋根の上にも注目を。
よく見ると屋根のあちこちに、孔子のような聖人の徳を感じて姿を現すという「聖獣・霊獣」たちの姿があります。
見逃さないよう、じっくり観察してみてください。

楷樹と孔子銅像

楷樹と孔子銅像

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仰高門をくぐってすぐのところに、湯島聖堂のもうひとつの見どころがあります。
孔子銅像です。

高さ4.5m、重量およそ1.5トンという、巨大な孔子像。
台座の上に乗っていて一段高くなっているせいもあって、想像以上に迫力があります。
何でも、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものだそうで、世界で一番背が高い孔子像になるのだそうです。

孔子像のすぐ近くには、孔子ゆかりの「楷樹」という木が枝葉を伸ばして立っているので、こちらも忘れずにチェックしてください。
大きくたっぷりと茂った木なので見逃すわけはないと思いますが、あまりに大きすぎて逆に目に入らないかもしれません。
説明文を記した立て看板が目印です。

楷(かい)とは学名を「とねりばはぜのき」というウルシ科の植物。
曲阜(中国山東省済寧市)にある孔子の墓所に植えられている木なのだそうです。
枝や葉が整然としているので、書道でいう”楷書”の語源になったとも言われている、と、説明書きに記されていました。

確かに、見上げてみると、これだけ葉が生い茂っているというのに、枝が筆で描いた文字のように黒くはっきりと浮かび上がって見えます。
人目がなければいつまででも見上げていたいような、心洗われる巨木。
湯島聖堂の見学の途中ですが、この場を離れるのが名残惜しくなるほどです。

nekoichi(猫壱)

Writer:

歴史と歴史小説と遺跡を愛してやまない東京都在住の主婦。子供のころからの大の時代劇ファン。国内外問わず歴史小説を読むようになり、NHK人形劇「三国志」を見て中国史にはまって大学では東洋史学を専攻。愛猫とじゃれながら歴史小説を読み漁る毎日を送っている。趣味は古地図を眺めることとカメラ片手の街散策。

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