まるで中世に迷い込んだようなフランスの城塞都市カルカッソンヌの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「歴史的城塞都市カルカッソンヌ」をご紹介します。

フランスの城塞都市カルカッソンヌとは?

フランスの城塞都市カルカッソンヌとは?

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カルカッソンヌは、ヨーロッパ最大規模といわれる城塞が残るフランス有数の人気の観光地です。
ナント!フランス国内では、モン・サン・ミシェルに次ぐ観光客数を誇り、国内二位という人気ぶり。
ピレネー山脈を挟んでスペインに近い場所に位置するこのシテ(城塞都市)は古くから軍事の要衝で、地中海と大西洋への交易拠点として栄えました。

2500年の歴史を刻んできた、古代ローマの城塞都市は中世に迷い込んだかのような雰囲気を醸し出しています。
53もの塔が聳える町の周囲を1200mの内壁と城の城壁を合わせると全長約3kmもあります。
「カルカッソンヌを見ずして死ぬな」とたたえられる城塞の堂々たる姿は、訪れる人を圧倒させています。

世界遺産に登録された、フランスの城塞都市カルカッソンヌの魅力

一度廃墟と化したこの要塞は、歴史的価値により19世紀に現在の形に復元されました。
ヨーロッパに現存する要塞の中でも最大規模であり完璧な保存状態なことから、1997年に世界遺産に登録されています。
壮大な城塞は夜はイルミネーションに照らされます。
その姿は誰もがうっとりとするほど美しく、これがかつて城塞だったとは思えないほど壮麗です。

フランス革命記念日の7月14日には、記念日を祝う花火が打ち上げられます。
城塞を彩るように暗闇に向かって打ち上げられる花火はとても感動的ですよ。
もし、時期が合えば是非訪れてみてください!

歴史的城塞都市カルカソンヌの住所・アクセスや営業時間など

名称 歴史的城塞都市カルカソンヌ
住所 1 Rue Viollet le Duc, 11000 Carcassonne
営業時間・開場時間 現地時間9:30-19:00
利用料金や入場料 6.5ユーロ
参考サイト http://www.tourisme-carcassonne.fr/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

歴史的城塞都市カルカソンヌのスポットページ

二重の城壁に囲まれた城塞都市カルカッソンヌの始まり

二重の城壁に囲まれた城塞都市カルカッソンヌの始まり

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紀元前6世紀頃にガリア人がこの周辺一帯に進出しました。
最初にこの砦が造られたのは紀元前3世紀のことです。
この後、古代ローマ帝国の都市となり発展しましたが、ローマ帝国の統治も長くは続きませんでした。
453年にはフン族から追い出された西ゴート王国がローマ帝国に侵入したのです。
これにより、カルカッソンヌは、西ゴート王国北部の前線都市になりました。

古代の城塞都市の様子は、図面が残っており大凡のことを知ることができます。
また、3~4世紀ごろに造られた内壁の下部には当時のものが現存しています。
この頃の城壁はレンガが混じり小さな石で作られていました。
その様子を見ることができます。
中世の城壁の中に古代の遺跡が残っているなんて、この城壁がどれだけ堅固なものだったかを物語っているようです。

大規模な民族大移動期の争いに巻き込まれたカルカッソンヌ

大規模な民族大移動期の争いに巻き込まれたカルカッソンヌ

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508年にはフランク王国がこの地を奪還しようと攻めてきたため、カルカッソンヌは激しい戦火のもとに置かれました。
375年以降200年にも渡って歴史上類を見ない大規模な民族移動が起こった頃の出来事。
カルカッソンヌがどの国からも攻撃を受けるようになってしまった意味は、モンターニュ・ノワールとピレネー山脈の間にありカルカッソンヌが地中海と太平洋の重要な交通の要で軍事的にも利用価値のある地にあったからです。

6世紀になるとカルカッソンヌには本格的な城壁が築かれます。
ローマ軍、西ゴート王国、サラセン人、フランク王国と続くこの城塞の支配者たちが必要に応じて城壁を強化していったかが分かります。
725~729年にこの城塞都市は、ムスリム(イスラム教徒)の手に落ちました。
しかしピピン3世(フランク王国在位751-768年)が奪還しています。








カルカッソンヌの名前の由来の伝説とは?

カルカッソンヌの名前の由来の伝説とは?

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実は8世紀のサラセン人の占領下にあった頃に女領主が誕生しています。
フランク王国のカール大帝が5年を超える長い期間、門の前に陣を敷きこの城塞を包囲したのです。
夫の大公が亡くなった後、城塞都市の騎士団を率いていた彼女は包囲が6年目に入った時、最後の手段として意志を決した行動に出ました。

兵糧も水も底をつきかけていた時に、わずかに残っていた小麦を食べさせ丸々と太った豚を塔の上から敵陣に投げ入れたのです。
まだまだ、余力があるとみたカール大帝の軍は勘違いをして退却しました。
退却した大帝軍は、敗北を「カルカスが鐘を鳴らしている(Carcas sonne ; カルカ・ソンヌ)」と書き記しました。
これがこの都市の由来になったと伝えられています。

最大の繁栄期とカタリ派布教による悲劇

最大の繁栄期とカタリ派布教による悲劇

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封建制初期のころが最大の繁栄期です。
1062年にトランカヴェル家が権力を握り、ニームに至る広大な公国の中で、この地を強い都市にまとめたのです。
しかし、カタリ派が根付いてしまいます。
カタリ派とは、主に南フランスのラングドック地方一帯でキリスト教布教活動を行ったキリスト教異端の一派です。

これが50年間に100万人もの犠牲者をだす戦いに発展します。
カタリ派の人気ぶりに脅威を抱いたカトリック教会は、トランカヴェル家がカタリ派の布教を容認していたカルカッソンヌに1209年にアルビジョワ十字軍を送り込み、残虐な殺戮行為をしたのです。
この時にトランカヴェル家も城を追われ、フランク王国の所有となりました。

カルカッソンヌ最大の特徴の二重城壁の完成

カルカッソンヌ最大の特徴の二重城壁の完成

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カルカッソンヌは南ヨーロッパでも最も激烈な覇権争いが起こる都市となってしまいました。
12世紀頃には、今でも天守閣が残るコンタル城が建造されました。
1226年にフランス王領に入ります。
スペイン王率いるアラゴン王国とフランスとの国境紛争が起こり、この前線地帯に含まれていたことにより隣接するアラゴン王国から自衛するためにルイ9世(在位1226-1270年)は、城壁を強固にすることを決めました。

これが1245年に完成した現在この城塞都市の特徴である二重の城壁です。
驚異的なことにこの二重の城壁を築いたことにより、城塞都市は戦火にさらされることがなくなり、百年戦争の英国からの攻撃にも耐えることができました。

フィリップ3世(在位1270- 1285年)の治下では、ナルボネーズ門、トレゾー塔、サン・ナゼール門などの建造も行われ、ガロ・ロマン時代(前3世紀末から後5世紀後半まで)の城壁やコンタル城の修復も行なわれています。

次のページでは『カルカッソンヌ城塞都市の衰退』を掲載!
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