中世に海運王国として君臨したイタリア最大の港湾都市!ジェノヴァの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はイタリア「ジェノヴァの歴史」をご紹介します。

海洋国家として栄えたイタリアジェノヴァってどんな都市?

ジェノヴァは北イタリアリグーリア州の州都として君臨するイタリア最大の海運都市です。
リグーリア海と緑の丘に挟まれた、かつてヴェネツィアと二大海洋共和国として覇権争いを繰り広げました。
いかにも港町といった雰囲気が残る港には広々としたプロムナードがあり、世界遺産に登録された華麗な邸宅群など色々な表情を見せてくれる街です。

実はこのジェノヴァは、アメリカ大陸を発見した探検家「クリストファー・コロンブス」が生まれた場所との説があります。
ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅前のコロンブスの像、空港の名前は「クリストファー・コロンブス空港」など、彼に纏わるスポットがたくさん点在しているのも見どころです。

今回は、昔ながらの旧市街と高級レジデンスが立ち並び、新旧の融合が見られるイタリア最大の港町ジェノヴァの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

とっても古い歴史を持つジェノヴァの始まり

とっても古い歴史を持つジェノヴァの始まり

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ジェノヴァは、紀元前6世紀には一時期ギリシャ人によって占領されたことを示す遺跡や資料が発見され、随分昔から人々が定住していたという事実も分かっています。
ジェノヴァという名前は、ここにいた先住民の王だったとされるヤヌス=イタリア語でGianoから来ているようです。
ヤヌスはギリシャ神話で入口の神でした。
ケルト語でもこのジェノヴァという言葉は入り口という意味を持っています。

ローマ時代には天然の良港を持っていたため、ローマ人の支配下では貿易の中継点となり、軍港や商業の街となりました。
ローマと南フランスを結ぶアウレリア街道が建設され、交易地として益々発展しています。
西ローマ帝国が崩壊し東ゴート族に侵略される頃のジェノヴァの港は小さく目立たない存在でしたが、強大な商船や軍艦を所有し地中海の王者としてその名を轟かせるほどまでに発展しました。

都市国家の一つとして繁栄するジェノヴァ

都市国家の一つとして繁栄するジェノヴァ

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11世紀前半には、海洋共和国の一つとして認められる存在となりました。
近隣の海運共和国のヴェネツィア、ピサ、アマルフィなどとしのぎを削りながら成長していきます。
1087年のアラブ艦隊と交戦したときは、敵軍艦隊に火を放った後に撤退しましたが、アラブ艦隊が壊滅したことでジェノヴァ、ピサ、ヴェネツィアに西地中海の支配権が与えられました。
後に第一次十字軍が安全に海から聖地へ向かうことができたのは、この功績があったからといわれています。

中世には盛んになった海運業の繁栄もあり、1100年ごろより自治都市として開花しました。
このころから地元の領地が独立し、造船、銀行業界で繁栄を始めます。
1098年に、コンパーニャ・コムニスという誓約者団体を結成しました。
これがジェノヴァの都市共同体の原型になっています。
地理的に優位だった面もあり、巨大な海軍国としても成長したのです。
更に勢力を増したジェノヴァは、中東や北アフリカに植民地を増やしていくほどの大きな都市へと成長しました。

ヴェネツィアとジェノヴァの東地中海における覇権争い

ヴェネツィアとジェノヴァの東地中海における覇権争い

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これだけ大きな存在となっても実際の権力は大司教ではなく、大衆集会によって決められた執政官どまりでした。
先ほどお話しした海洋共和国、ヴェネツィア(左上の獅子)、アマルフィ(左下)、ピサ(右下)そしてジェノヴァ(右上)の4都市の旗印は、今でも海軍や商船のイタリアントリコールに取り入れられています。

ヴェネツィア共和国がラテン帝国樹立の中心的な役割を担い交易権が強化されました。
東地中海でも交易権の大部分を収めたのです。
これには面白くなかったジェノヴァは、1261年にコンスタンティノープル(現イスタンブールの前身)の奪還を企みミカエル8世と秘密に同盟を結んでいます。
これに成功し、ミカエル軍はコンスタンティノープルを占拠し、ジェノヴァは東ローマ帝国内での自由交易権を独占しました。
もうここまでくると、勢いは止まりません。







一時期衰退してしまうジェノヴァ

一時期衰退してしまうジェノヴァ

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ジェノヴァの商人が通商の管理権を手中に収め、エーゲ海にある多くの島々や居留地を勢力下に置き、ジェノヴァの通商基地となりました。
黒海における通商権を持つのはジェノヴァとピサだけでした。
しかし、勢いに乗っていたジェノヴァに天罰が下ったのです。
1347年にカッフェのジェノヴァ交易所が、ヨーロッパに黒死病(ペスト)を持ち込んだことで、ジェノヴァの繁栄は終焉を迎えました。

ジェノヴァ経済の崩壊はもちろん、ペストの被害により人口も激減しました。
ここから70年もの間、戦争に負け続け全ての植民州を失い一時期フランス領になり、その後ミラノ公ヴィスコンティ家の支配下にくだります。

ジェノヴァの英雄コロンブスの帰還と再び訪れる栄光の時代

ジェノヴァの英雄コロンブスの帰還と再び訪れる栄光の時代

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暗黒時代を乗り越え16世紀になると、ジェノヴァは再び地位の安定期を迎えます。
スペイン帝国の新参の協力者となり復興を遂げたのです。
これはジェノヴァには銀行業の発展があったことが起因しています。
立ち直りのきっかけの一つは、アメリカ発見から戻ってきたコロンブス。
彼は、この航海で得た収入の10分の1をジェノヴァのサン・ジョルジュ銀行に寄付しました。

金融業などのベンチャーキャピタルで人々は驚異的な財を成し、更に成長するジェノヴァには、著名な芸術家や建築家を誘致するようになりました。
目を見張るほどに美しいルネサンスやバロック様式の大邸宅や館が立ち並びました。
このころがジェノヴァの最盛期。
「華麗な都市」と呼ばれるほどの繁栄ぶりでした。

再び襲うペストから衰退へと向かうジェノヴァ

再び襲うペストから衰退へと向かうジェノヴァ

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ここまで上り詰めたのに、1656年にまた黒死病に襲われます。
人口も半分にまで減ってしまいました。
スペイン王室の衰退は、直接衛星都市となっていたジェノヴァへ影響を及ぼしています。
スペイン王室の頻繁な破綻は、ジェノヴァ貿易商社の多くを破綻させました。
1797年にナポレオン率いるフランス軍に侵略を許してしまいます。
そして、傀儡国家としてリグーリア共和国の後継ぎ、フランス支配下にくだりました。

1805年にナポレオンが失脚した時も共和国だったため、国としての回復は成されませんでした。
その後行われたウィーン議定書で、サルディーニャ王国へ吸収されます。
その後イタリアでリソルジメント(イタリア統一運動)が起こり、サルディーニャ王国が半島統一を成したことで、ジェノヴァが再び日の目を見ることになりました。
このリソルジメントの真の英雄ガリヴバルディは、ジェノヴァの港からシチリア港に軍を送り、ここから一気にイタリア統一への一歩を踏み出したのです。

次のページでは『現在のジェノヴァ』を掲載!
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