アメリカ合衆国の始祖を運んだイギリスの船!メイフラワー号の軌跡

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「イギリスの帆船メイフラワー号」をご紹介します。

イギリスの帆船メイフラワー号ってどんな船

イギリスの帆船メイフラワー号ってどんな船

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メイフラワー号は、貨物船として造られました。
イギリスロンドンのロザーハイズ港からフランスを始めノルウェー、ドイツなどのヨーロパ諸国にワインや毛織物などを運んでいました。
いつ造られたかは不明ですが、1609~1622年まではクリストファー・ジョーンズが船長として指揮しています。
ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)を送り届け1621年4月5日に戻ったジョーンズが、1622年3月に亡くなったことで、その1年後に残念なことにメイフラワー号はロザーハイズで解体されました。

メイフラワー2世号が1955年から2年かけて原寸大で復元されました。
現在は、最初にピルグリム・ファーザーズが入植に成功した地「マサチューセッツ州プリマス」に博物館として展示されています。
メイフラワー号は17世紀ごろの船としては中型で、全長約32m、幅約7.6m、喫水約4m、重量は236トンありました。
メイフラワー2世号の船内では、ピルグリム・ファーザーズや船員の格好のスタッフが、クイーンズイングリッシュで当時の様子を説明してくれます。
話す言葉から衣装まで全てが1620年ごろのままなのでかなりの見応えです。

今回は、そんなメイフラワー号がアメリカへの旅で辿った航海の足跡に少しだけ触れてみたいと思います。

メイフラワー2世号の住所・アクセスや営業時間など

名称 メイフラワー2世号
名称(英語) MayflowerⅡ
住所 137 Warren Avenue Plymouth, MA
営業時間・開場時間 9:00-17:00
利用料金や入場料 36ドル
参考サイト http://www.plimoth.org/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

メイフラワー2世号のスポットページ

ピューリタンが新しい自由を求めて挑んだ旅

ピューリタンが新しい自由を求めて挑んだ旅

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メイフラワー号がアメリカへと旅した1620年代の航海は危険で一杯でした。
海賊に船が襲われることも度々で、船自体も現代のように整備が整っているわけではなく、嵐などにより転覆することもしばしば。
病気で死ぬもの、海に投げ出される事故も頻繁に起きていたようです。

そんな危険を冒してでも、ピルグリム・ファーザーズは新天地を求めて旅立たなければならないほど、当時のイギリスはピューリタンたちへの宗教の締め付けによる迫害が行われていました。
ピューリタンに対する弾圧が強化されたことにより、絶望の果てに新天地を求めたのです。

 

新天地を求めたピルグリム・ファーザーズってどんな人?

新天地を求めたピルグリム・ファーザーズってどんな人?

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かつてのカトリックでは、イギリス国教会という王に従うものと、ピュー(ピュア)リタン(戻る)という聖書に基づいた宗教活動を旨とするものに分裂しています。
ピューリタンの中も2つに分裂し、長老派の「内側から教会を変えようとする者」と分離派の「このままでは潰されてしまう。
長老派はもはや偶像崇拝だ」と見限って新天地を求めることになったものがいました。

このイギリス国教会(王党派)とピューリタン(議会派)は、1641年に起こった世界最初の市民革命「清教徒革命(ピューリタン革命)」により、1649年にピューリタンが勝利を収め終結しています。

巡礼者たちの出航までの道のり

巡礼者たちの出航までの道のり

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実は、この出航までにはいろいろな苦悩がありました。
イギリス国教会から離れて分離派に属した人たちは、1609年からオランダで自分たちの信仰を守り続けています。
初めは、アムステルダムに住みましたが都会の雰囲気に馴染めず、大学があり穏やかなライデンの町に移り住みました。
オランダに住むということは、「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、彼らは過酷で劣悪な仕事に就くしかなく、子供たちはオランダに染まってしまいます。
自分たちの信仰が受け継がれなくなる気配を感じていたのです。

この地を去ることを決意した分離派の人たちは、イギリス領の新大陸なら信仰を守り続けられるだろうとアメリカへの危険な旅の道を選んだのです。
ここで問題が発生しました。
実は、彼らにはお金がなかったのです。
どうやって旅費や定着までの資金を手に入れたのか疑問に思いませんか?植民地を経営する会社に投資をしてもらうことに成功し、投資家のトマス・ウェストンをはじめとする人々からの支援も受け彼らは晴れて出港へとこぎ着けました。








メイフラワー号に乗り込む巡礼者たち

メイフラワー号に乗り込む巡礼者たち

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1620年8月に巡礼者のリーダー、ウィリアム・ブラッドフォードは、メイフラワー号と小さな船スピードウェルという船の2隻でサウサンプトンを出航しました。
しかし、スピードウェルの故障により断念。
前途多難な航海の幕開けでした。
修理を終えもう一度出航するも水漏れによりイングランドのプリマスに戻ります。
結局2隻の船での航海を諦め、180トンで3本マストを持つ帆船「メイフラワー号」単独での旅に切り替わりました。

メイフラワー号に乗った人は、クリストファー・ジョーンズ率いる27人の乗組員と巡礼者41人を含む102人でした。
残りはイギリス本国を捨ててアメリカで一旗あげたいと考えていた者たちです。
アメリカで一旗あげたいと乗り込んだのは、ピューリタンの宿敵イギリス国教会のメンバーでした。
出航は1620年9月16日です。
イングランドのプリマス港を出港し、大西洋を横断して新大陸アメリカのバージニアを目指します!

メイフラワー号一隻で新大陸を目指す過酷な旅

メイフラワー号一隻で新大陸を目指す過酷な旅

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出航できたのは良かったのですが、実は一隻にしたことで弊害が出ました。
荷物を置くスペースが少なくなり、乗せるべき荷物も十分詰めなかったようです。
しかも、102人という大人数で中型船はかなり狭くなってしまいました。
出航の遅れもあり嵐の多い季節に太平洋を横断するという、強行突破に及んでいます。
それはメンバーの中にピューリタンの人たちがいたことで出航を急がなければならないという事情があったからです。

彼らは揺れる船の中、立ち上がることができないほどの船酔いや冷蔵庫がない時代で食べ物は乾物や塩漬けされたものばかりでビタミン不足による病気に苦しみました。
水不足のため洗濯ができず、不衛生な環境にさらされていたのです。
彼らはビールを400樽も積み込んでいますが、上陸時には大量のビールも底をついていました。
彼らはアメリカ大陸に初めてビールをもたらしたことでも有名です。

船上で行われたメイフラワー誓約『Mayflower Compact』の締結

船上で行われたメイフラワー誓約『Mayflower Compact』の締結

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これは乗客たちの契約書で、ピューリタンたちが作った新大陸上陸前に秩序を維持し、分裂を避ける目的を掲げた契約です。
それには植民地建築の目的を定め、信仰を同じくする同意を基に新しい地でもめ事が起こらないための配慮からでした。

嵐などでコースを外れてしまったメイフラワー号は、バージニアよりずっと北のケープコッドに到着しました。
かかった日数は66日です。
到着したころのニューイングランド地方は厳しい冬を迎えており、入植を許された地へ向かうことは皆無でした。
彼らは、11月21日にケープコッドに錨を下ろした後でメイフラワー誓約を船上で締結したのです。
これはアメリカ合衆国における民主主義の起源といわれています。

次のページでは『アメリカに上陸した入植者たち』を掲載!
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