ドイツ騎士団の息吹を感じる世界遺産の巨大な城!ポーランドマルボルク城の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はポーランド「マルボルク城」をご紹介します。


ポーランドのマルボルクってどんな場所?

ポーランドのマルボルクってどんな場所?

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マルボルクは琥珀貿易によって富を得て、ドイツ騎士団の居城マルボルク城の城下町として繁栄しました。
ポーランド北部のバルト海へと注ぐノガト川沿いにあり、ハンザ同盟へも加盟しています。
しかし、ヒーローがプロイセン連合軍によって反逆の罪により、絞首刑の上八つ裂きにされたという暗い過去をもつ街です。
彼の名はブルーメといい、1864年に彼の栄光を讃える記念碑が建てられています。

この街のハイライトはヨーロッパ最大のゴシック様式のマルボルク城です。
第二次世界大戦でドイツ軍の爆撃により破壊されましたが、現在は再建され博物館となっています。
赤いレンガの美しい城は、「中の城」と「高い城」があり城壁にはやぐら門が設置され、当時の最新技術が随所に取り入れられていました。
琥珀の装飾品や武具、食器類など魅力的なものも展示されています。
また、コシチュスキ通りにある噴水とマルボルク城では、4月中旬から9月中旬まで音楽と光のショーが行われ、夜になると華やかな歴史をテーマにしたライトショーが催されとても魅力的です。

今回は、中世ヨーロッパのお城でこれほど大きな城はないといわれる、マルボルク城の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

マルボルク城の始まり

マルボルク城の始まり

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中世ヨーロッパ三大騎士団の一つであるドイツ騎士団は、1198年にパレスチナで生まれました。
その勢力は強大なもので、トルンやグダンスクを支配下に置くほど。
そのドイツ騎士団のバルト海沿岸地方征服の拠点として1278年から建てられた城が、このマルボルク城です。
ポーランドにドイツ騎士団が入ってきたのには理由があり、1226年にコントラ1世(在位1197-1247年)は、異教徒のプロイセン人に手を焼いていました。
当時ハンガリーから追放されそうだったドイツ騎士団をクルムラント領の有権と引き換えに召致したのです。

1260~1283年に行われたプロイセン人への鎮圧は相当なもので、プロイセン人の有力者を殺害するか奴隷として売り飛ばし、プロイセンを植民地化しました。
1306年ごろにポメラニア地方の領有権を巡り覇権争いが勃発。
ここでもマルボルク城を拠点とするドイツ騎士団の活躍があり、ポーランド王国は侵入者たちを排除することに成功。
しかし、ポーランド王国側は300マルクの報酬を提案するも、ドイツ騎士団は銀1万マルクを要求します。
交渉が決裂したことによりドイツ騎士団はグダニクスを占領しました。

面白くなかったのは、グダニクス市民。
反発し蜂起をしますがドイツ騎士団は残虐なやり方で抑え込み更にポメラニア全域を実質的な支配下に置きました。
これにより、ポーランド王国はバルト海の出口をすべて失います。

ドイツ騎士団の本拠地となるマルボルク城

ドイツ騎士団の本拠地となるマルボルク城

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1308年にグダニスクを征服した後に、ドイツ騎士団は本拠地をベネツィアからマルボルク城へ移しました。
マルボルク城の高い城にあるチャプターハウスでは、当時毎年行われた修道会総会の会場として使われています。
この地に司令官や影響力のある聖職者、修道院の指導者たちがマルボルクに訪れるようになり経済効果をもたらしたのです。
1309年以降は入植者たちも増え、城自体も急速に拡大し近代化されました。

1330年には城を上層、中層、下層の3つに分けました。
最も古い建物は堀と高い城です。
ここにはマリア教会と歴代総長を埋葬した聖アンナ礼拝堂もあります。
この高い城の鐘や狼煙を上げることにより重要な行事を近隣の街に伝えられました。

中層の中の城は、精巧なゴシック様式の建物で、最も大きく豪華な場所でした。
ワルシャワやクラクフの城や宮殿のように雅な装飾はないものの、リブヴォ―ルトの天井や城の西翼の400人を収容できる大食堂のフレスコ画などは圧巻。
これはマルボルクの繁栄を象徴するもので、ヨーロッパ諸国にひけを取らない存在であったことの証です。
実はこのマルボルク城にいた総長は、贅沢な生活を送っていたことが記録に残されています。
入団式や騎士のトーナメント、狩やあらゆる娯楽を楽しんでいたのです。
それを見るために各地から有力者が訪れていました。

リトアニア人に対する虐待

リトアニア人に対する虐待

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1309年にはドイツ騎士団はテンプル騎士団をマルボルク城へと招きました。
しかし、ローマ教皇クレメンス5世は、ドイツ騎士団に対するこの地の領有権を認めていません。
十字軍活動以降できた多くの騎士修道会の中でも大変有名だったテンプル騎士団なのに、1312年にクレメンス教皇の下の教皇庁が異端として解散させたのです。
フランス王のフィリップ4世(在位1285-1314年)と仲の良かったクレメンス教皇の画策もあっての解散でした。
このころドイツ騎士団はポーランド王国との長い戦争期に入ります。

1337年には、神聖ローマ帝国ルートヴィヒ4世(在位1314-1347年)がリトアニアとルーシの領有権を正式に承認したと主張。
リトアニアは非キリスト教国だったので、ドイツ騎士団は軋轢を加えるようになりました。
ドイツ騎士団の本当の姿はギャングのような存在だったとの説もあり、特にリトアニアに対する残虐非道な行動は目に余るものがあったのです。
時には神聖ローマ帝国の貴族たちを呼び寄せ、リトアニアに侵入しては「人狩り」を楽しんだり、残虐な殺し方を見世物にしたり、多くの人々を生け捕りにしては奴隷として売り飛ばし膨大な富を得ていました。

ポーランド王国との戦争から衰退へ

ポーランド王国との戦争から衰退へ

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1300年初期から始まっていたポーランドとの戦争は1343年にポーランド王国が優位になり、カリシュ和約が結ばれました。
ドイツ騎士団はポーランド王国に領地の一部を渡すことで決着しています。
しかし、バルト海一帯はドイツ騎士団の領地として残りました。
増改築が幾度となく行われ、厳しい検査機関を持つ14の門、3つの上下開口式格子戸、4つの跳ね橋を通過しなければ城に入れないほど堅固な城になったのです。

1440年近隣都市、貴族、僧侶たちがプロシア連合を結成してポーランド王国と同盟しました。
それによりドイツ騎士団と対立関係になり四面楚歌状態に陥りました。
グルンヴァルドの戦いにおける敗北が痛手となりました。
1453年にはポーランド王国との関係は更に緊張関係に至り、城は2ヶ月にも及ぶ砲弾などの攻撃に耐え続けるも1457年にはマルボルク城がポーランド王の手に渡ります。
1460年までにはドイツ騎士団は全てポーランド王国から排除されました。

マルボルク城がポーランド王国へ

マルボルク城がポーランド王国へ

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1414年に城は土の防壁で囲まれ、1440年には更に石の防壁が増築されています。
1466年に最終的に勝利を収めたポーランド王国がこの地一帯を領土に収めました。
マルボルク城はポーランド王がこの地方を訪問する時の居城として使われました。
それによりどんどん美しく華麗な城へと増改築が行われました。

美しい大食堂は王室の接見や舞踏の場として使われました。
武器庫や駐屯地となり、17世紀のポーランドとスウェーデンの戦争で何度も戦火にさらされても不死身でした。
1626年7月マルボルクの城はスウェーデン軍に占領され、この間に砦は周辺の城を落とし領土を広げました。
1656年ポーランドに取り戻されるも、再びスウェーデン軍が占領。
1660年にオリーヴァの平和条約によりマルボルクはポーランド・リトアニア共和国に組み込まれました。
1772年8月5日の第一次ポーランド分割によってプロセイン王国領になりました。

マルボルク城の再建

マルボルク城の再建

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1813年ナポレオンにより城は解放されました。
1816年に城は「ロマンティックな復興」と呼ばれる再建が行われます。
1819~1850年まで続きプロセインの現代建築物の見本となり、観光客から大人気の城となりました。
1880年にも城の修復作業に10年に渡る改築や昔の資料を集め続けたコンラード・シュタインブレフトが加わり、城全体を改築。
1930年代初頭、城はヒトラーによりヒトラーユーゲントやドイツ女子同盟の年次総会などに使われました。

1944年には城に戻されます。
1945年第二次世界大戦の末期に籠城したドイツ軍を攻撃するソ連軍との激戦により、城の半分が破壊されました。
ポーランドの人々の力で城は修復され、1957年からはポーランド陸軍博物館の支部とされました。
この後は国の資産となり観光公社の保護下に置かれ、1961年にマルボルク城博物館となりました。
1997年にはユネスコ世界遺産に登録されています。
2012年9月にはトリップアドバイザーの「世界の名城25選」に選ばれました。

次のページでは『ドイツ騎士団の拠点として建てられた美しく巨大なマルボルク城に訪れてみませんか?』を掲載!
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