スイスのレマン湖畔に浮かぶアルプス街道の要地!建築の宝石「シヨン城」の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はスイスにある「シヨン城の歴史」をご紹介します。

スイスの美しきシヨン城ってこんなところ

スイスの美しきシヨン城ってこんなところ

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スイス連邦ヴォー州の世界に名高い高級リゾートのモントルー近郊に位置するレマン湖畔にある美しい古城です。
スイスとフランスにまたがる三日月型のレマン湖の東端にある岩島の上に築かれ、湖に浮いているような幻想的な美しさを誇っています。
また、「シヨンの囚人」は、イギリスの詩人バイロンがこの城で起こった実話を長編叙事詩として書いたものです。
現在でも全ヨーロッパで読み続けられています。
この小説が発表されたころからこの城は一躍有名になり、現在もスイスの中でも人気の観光地で年間35万人が訪れています。

この城の名前の由来ははっきりしていませんが、昔周辺に住んでいたケルト人が、岩島のことを「シウン」と呼びこれが語源となったとの説があります。
長さ110メートル、幅50メートルほどの岩島に造られた城は小さいですが、とても複雑な構造をしているのが特徴です。
また、岸とお城を繫ぐ屋根付きの木造の橋もレトロな雰囲気がとっても素敵です。

今回は、スイスの美しいシヨン城の歴史に触れてみたいと思います。

旧石器時代には居住者がいたシヨン城

旧石器時代には居住者がいたシヨン城

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湖に突き出た岩場の上に立つシヨン城の調査段階で、ここには古くから人が住んでいたことが確認されました。
ナント!紀元前3000~2000年ころの青銅器時代や古代ローマの時代に人の遺跡が見つかっています。
記録として残されている最も古い歴史は1160年です。
9世紀に砦が築かれ、最初にローヌ河谷のシヨンに本拠を構えたシオン司教が、11世紀にこの城初の保有者となりました。

シヨン城は古代ローマ時代からアルプスの南北を結ぶ中継点にあり、北イタリアからグラン・サン・ベルナール峠を越え、レマン湖の東を通ってヌシャテル湖方面へと抜ける街道で、古代よりさまざまな物資の往来するための拠点となっていました。
イタリアからアルプスを越えてくる人々から税金を徴収するための城であり、戦略上の要塞として重要な役割を果たしていたのです。
「賽は投げられた」という名言を残した、帝政ローマの基礎を築いた遅咲きの英雄「ガイウス・ユリウス・カエサル」もこの道を通ったという伝説が残る、アルプス越えのメインルートとの一つとなっています。

フランスの勢力に押されるシヨン城

フランスの勢力に押されるシヨン城

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隣国フランスのサヴォワ伯は12世紀の中ごろにレマン湖の周辺にも勢力を伸ばした時に、これまでシヨン司教の城でしたが、サヴォワ伯爵家の所有になりました。
シヨン城の南は湖に北は山の急斜面が迫るという天然の地形を利用した堅固要塞な城だったので、戦略上重要な前線基地となりました。
ここには兵器庫があり、軍を駐屯させていたのです。
美しい景色に魅了されたサヴォワ伯は、夏の離宮としてもこの城を使っています。

領主の部屋は美しい湖が望める湖面側に造られ、山側には2重の城壁が築かれ襲撃にも万全の体制を整えていました。
なぜ、湖側に領主の居室を造ったかというと、陸地側から敵が攻めてきても船を使って湖へ逃げることが出来たからです。
この湖の対岸はフランス領でサヴォワ領のためどんな敵が攻めてこようとも安心でした。
一時期のサヴォワ家はフランス南部のリヨン周辺から東側と北はヌシャテルからトリノまでを領有するほど繁栄していたのです。

サヴォワ家によって整備されたシヨン城

サヴォワ家によって整備されたシヨン城

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夏の離宮として使われていた最も華々しいサヴォワ時代に、大規模な拡張が行われています。
城の湖側には居住区となる瓦屋根の木造建築が連なり、幾何学的な模様や木枠を組み合わせたデザイン天井など中世の栄華を感じられる空間へと改築されました。
絢爛豪華という派手さはありませんが、エレガントで落ち着きのある壮麗さが魅力です。
しかし、山側には見張り塔が聳え、2重の城壁の内側には回廊が設置されています。
また、地下にもゴシック様式の貯蔵庫もありました。

13世紀に入ってスイスの南北を結ぶゴッタルド峠が開通します。
これにより今まで使われていた北イタリアからのメインルートの要塞としての役割を終えました。
サヴォワ家の野心もイタリアへと向かい、これ以降は次第に放置されるようになります。
13~14世紀にかけて豊かな時代を過ごしたシヨン城ですが、16世紀に入り一挙に攻め込んできたのがベルンです。
当時のベルンは、スイスの原型となるスイス盟約者団に加盟し更に勢力を拡張しています。

シヨン城を語る上で外せない地下牢

シヨン城を語る上で外せない地下牢

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シヨン城の歴史を語る上で外せない宗教改革の争乱時代には、レマン湖の西端にあるジュネーブでは、サヴォワ家から脱却したいという一派がベルンの支援を仰ぎカトリックと対立。
この時カトリックの領主サヴォワ公によって捕らえられた、ジュネーブの新教派でサン・ヴィクトル小修道院長の「フランシス・ボニヴァール」が、城の地下牢に幽閉されてしまったのです。
この投獄は1536年にベルンが、サヴォワ家を、完全にスイス領域から追い出すまで約4年間投獄されています。

この事実は後に、イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンがボニヴァールの牢獄事件をモチーフに彼の代表作である「シヨンの囚人」を書きました。
これが、きっかけでヨーロッパ中にシヨン城が広まり現在のような人気の観光地となったのです。
この地下牢も公開されていますが、城主が過ごした豪華な家具が設置された部屋とは違い、暗くさみしく寒々しい雰囲気が漂っています。
華やかな上階と陰鬱な地下牢と比べてみるのも、ある意味この城の魅力かもしれません。

ベルンの所有時代

ベルンの所有時代

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サヴォワ家は、ボニヴァールを投獄しただけでなく、ジュネーブも軍隊を使い包囲しました。
そこでベルンは軍隊を派遣しヴォー州を通過、ジュネーブまで進撃。
一挙にサヴォワ家を追い込みました。
追い込まれたサヴォワ家は、ジュネーブの放棄と自由都市を約束するも、その後も更に攻撃を続けています。
これに激怒したベルンは、宗教改革を救うとの口実でサヴォワ家に宣戦布告し、ヴォー州全域を手中に収めました。

この時シヨン城も撃沈されています。
ベルンは北にある急斜面の丘に移動式の大砲を設置し、城の屋根を吹き飛ばしました。
このころまだ槍と盾で戦っていたリヨン城との力の差は歴然。
これにより城主がベルンの支配に変わり、シヨン城に代官を置き臣従地として支配することになりました。
スイス中西部の都市ベルンの所有時代は1536~1798年まで約260年間も続きます。

ヴォー時代から現在

ヴォー時代から現在

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その後、18世紀にはヴォー州革命が起こります。
フランス革命の余波がスイスにまで及び、独立気運に包まれました。
サヴォワ家から逃れたヴォー州はベルンの支配に苦しんでいたのです。
この波に乗りヴォー州も独立を志します。
1798年にベルンからシヨン城を奪還し、ベルンに捕らわれた独立を志す仲間たちを地下牢から救い出しました。

これでやっとヴォー州もスイス連邦の一員となり現在に至っています。
ヴォー州所有のシヨン城も正確な図面が残されていたことが幸いし、元通りに修復されました。
日本のロート製薬の胃腸薬「シロン」はこの城の美しさに感銘を受けた、元ロート製薬社長の山田輝郎氏によって、シヨン城の英語読み「シロン」と名付けられています。
現在もレマン湖西岸の随一の観光地としてその美しさを現在に伝えています。

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