ハプスブルク家の歴史はこんなに偉大だった…オスマン帝国の脅威からヨーロッパを救う

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はヨーロパ随一の名門「ハプスブルク家の歴史」をご紹介します。

ヨーロッパ随一の名門ハプスブルク家とは

ヨーロッパ随一の名門ハプスブルク家とは

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ハプスブルク家は、13~20世紀初頭までの約650年間も神聖ローマ帝国とオーストリア王朝の皇帝として、ヨーロッパを牽引した名門です。
全盛期にはハプスブルク家は権力と権威を奮い、結婚による領地拡大にも成功し繁栄しました。
オーストリアを中心にブルゴーニュ、ドイツ、ベルギー、イタリア、スペイン、ハンガリー、ボヘミア(チェコ)に至るまで偉大な勢力を保っていました。
15~16世紀の最盛期には、ヨーロッパの大部分と新大陸(南米)まで統治していたほどです。

特に重要とされる人物は、ハプスブルク家が繁栄するきっかけとなった「ルドルフ1世」とマリー・アントワネットの母「マリア・テレジア」です。
マリア・テレジアは政略結婚で成り立っていた中で、愛する男性と結婚出来た幸せな女性で16人もの子供を残しています。
彼女の娘の中にもう一人歴史上有名な人物で悲劇のヒロインといわれるエリザベートは、ハプスブルク家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妻となった人物です。

今回は、知ればヨーロッパの旅がより楽しくなるハプスブルク家の歴史について触れてみたいと思います。

もともとはスイスの貴族だったハプスブルク家

もともとはスイスの貴族だったハプスブルク家

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ハプスブルク家の発祥は、スイス北東部のライン川上流のアールガウ地方です。
ここの小領主であり、ハービヒツブルク城(鷹の城)の城主から始まりました。
パプスブルクという名はこの城の名前が訛ったもののようです。
10世紀ごろにライン川上流のドイツに領地を拡大し、ヨーロッパを象徴する家へと発展していきます。

1273年にルドルフ1世がドイツ王に選出されました。
1278年にはボヘミア(チェコ)をマルヒフェルトの戦いで破り、1282年にはオーストリア公国を息子に委ね、更に勢力を広げます。
しかし、スイスでの勢力は衰退しました。
オーストリアを中心地として繁栄し、一時期皇帝の暗殺などで衰退するものの、ルドルフ4世のころに復活し「オーストリア大公」と自称するようになります。

婚姻により領地を広げるハプスブルク家

婚姻により領地を広げるハプスブルク家

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13世紀の終わりごろは初の神聖ローマ帝国に選ばれます。
14世紀の中ごろには、ボヘミア王となりました。
時代の流れと共に皇帝は「権力」のではなく「権威」の象徴へと変化し、ハプスブルク家にとっては好都合で、うまく権威を利用しドイツ以外の諸国で力を発揮するようになっていきます。

15世紀前半のアルプレヒト2世の時代から世襲化となります。
1508年にマクシミリアン1世がローマ教皇から戴冠を受けずに「皇帝」と名乗り始め、ハプスブルク家が大きく飛躍しました。
彼はフランス西部大諸侯のブルゴーニュ家のマリアと結婚。
マリアの父が亡くなった後、ブルゴーニュ家の広大な領地を領有しました。
息子のフィリップをスペイン王女フアナと結婚させスペインも支配下に置き、マクシミリアン1世は広大な土地を支配するハプスブルク帝国を建設しています。
その息子のカルロス1世は新大陸まで勢力を拡大しました。

分裂するハプスブルク家

分裂するハプスブルク家

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カルロス1世は神聖ローマ皇帝として、1555年にはアウグスブルク(現ドイツ)で開かれた帝国会議で、アウクスブルクの宗教和議を承認したことは有名な話。
この決議により、ハプスブルク家の皇帝支配の野望は消えてなくなります。
ハプスブルク帝国絶頂期に君臨したカルロス1世が1558年に亡くなりました。

カルロス1世の死と共に、フェリペ2世率いるスペイン系とフェリペ2世の弟フェルジナンド1世率いるオーストリア系に分裂したのです。
ネーデルランドはスペイン系が継承しましたが、オランダ独立戦争に苦しめられます。
オランダは独立に成功し、世界に向けて進出していきます。
スペイン系ハプスブルク家は無敵艦隊の壊滅を契機に、ヨーロッパの覇権を失います。
その後、同血族の度重なる結婚により病弱な王が続き、1700年のカルロス2世が亡くなったことで断絶しました。
その後、スペイン継続戦争と7年戦争が起こり、オーストリアハプスブルク家は南ネーデルランド、ミラノ、ナポリ、サルデーニャ島を獲得しています。
1549年に交わされた協定で、オーストリア系ハプスブルク家を継承した弟のフェルジナンド1世の子孫が神聖ローマ皇帝の位を世襲することになりました。







フランスとのイタリアの戦争に翻弄されるハプスブルク家

フランスとのイタリアの戦争に翻弄されるハプスブルク家

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フランスはハプスブルク家領に国土を挟まれていました。
イタリア進出の活路を見出したい、シャルル8世率いるハプスブルク家とフランスとの間でイタリア戦争が始まります。
この戦争は1494年にハプスブルク家がイタリアに遠征したことからフランス(ヴァロア朝)が強い危機感を抱き戦争に発展したようです。
フランスはここでオスマン帝国(オスマントルコ)と手を結んだことにより参戦。
両者共に財政が破綻し、1559年にはカトー・カンブレジ条約で講和しました。

1526年にはモハッチの戦いでハンガリー王が戦死。
オーストリアが3分の1とオスマン帝国3分の2で分割することとなりました。
これによりハンガリーはキリスト教徒とイスラム教徒を対峙することとなります。
オスマン帝国が所有した領地は1699年にハンガリー領に属していたクロアチアやスロヴェニアと共にオーストリアの支配下へくだります。
1620年にはボヘミアも併合されました。
17世紀末にはバロック様式の壮麗なハプスブルク家の夏の離宮「シェーンブルン宮殿」が建てられました。

プロセインやフランスとの対立続きのオーストリア

プロセインやフランスとの対立続きのオーストリア

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1733年起こったポーランド継承戦争でトスカーナ公国と併合。
ポーランド南西部を獲得しました。
30年戦争で疲弊したオーストリアですが、18世紀には勢力を回復。
当時栄華を誇っていたプロセイン王国と肩を並べるほどの存在でした。
マリア・テレジアがオーストラリア大公に即位すると、意義を唱えたザクセンにプロセインが加担し、オーストリアでも継承戦争が勃発。
7年戦争にも勝利しオーストリアからシレジアを奪いました。

プロセインとの対抗するため昔から対立を繰り返してきたフランスのブルボン家との歴史はあるものの、マリー・アントワネットをフランスに嫁がせます。
皆さんもご存知の通り18世紀末にはフランス革命が起こりました。
マリー・アントワネットが処刑されました。
フランス革命の精神がオーストラリアに流れ込み大きな衝撃を受けています。
この後、フランスにナポレオンが出てくることでフランスが優位に立ちます。
ナポレオンは皇帝となりフランスが帝国に、オーストラリアも準じて帝国に昇格しました。
ナポレオンが敗北し神聖ローマ帝国が滅亡。
戦後のウィーン条約でオーストリアは、ロンバルディアとヴェネツィアを獲得しました。

イタリア・ドイツ統一戦争とハンガリーとの二重帝国

イタリア・ドイツ統一戦争とハンガリーとの二重帝国

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1859年にロンバルディアがイタリアに回復。
1866年の普墺戦争(ビスマルクから他民族国家のオーストリアを排除しようと起こった戦争)で大敗しドイツ連邦から追放され国際的地位が低下してしまいます。
ヴェネツィアも手放す結果になり、現在のイタリアの領地は南チロルのみになりました。

フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリーに妥協し、1867年に同じ王を仰ぎオーストリア帝国とハンガリー王国に二分する形で面目を果たしました。
1877年に露土戦争の結果オーストリア・ハンガリー二重帝国はボスニアヘルツェゴヴィナを占領。
1908年にはサロニカ革命の混乱を利用して併合しました。
しかし、1914年にボスニアヘルツェゴヴィナの州都サライェヴォに、皇太子フランツ・フェルジナンドがセルビアの青年に暗殺。
このサライェヴォ事件を機に第一次世界大戦が勃発。
オーストリア・ハンガリー二重帝国は敗北し、皇帝カール1世が退位・亡命したことで帝国は崩壊しました。
カール1世の退位と同時にハプスブルク家は表舞台から姿を消すこととなりました。

次のページでは『帝国崩壊後のオーストリア』を掲載!
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