アドリア海の女王と呼ばれるヴェネツィアが巨万の富を得たレヴァント貿易ってどんなもの?

世界遺産の「ヴェネツィアとその潟」でも有名なヴェネツィアは、東方との交易で巨万の富を得ました。このレヴァント貿易(東方貿易)で得た利益で、都市共和国として支配地域を獲得し繁栄。ヴェネツィアをはじめイタリアの海港都市、南ドイツやイスラム商人に富をもたらしたレヴァント貿易っていったいどんなものだったのでしょうね。今回は、レヴァント貿易の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

レヴァント貿易の助走の商業ルネサンス

レヴァント貿易の助走の商業ルネサンス

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751年ごろフランク王国を支配したカロリング朝の時代に、イスラムの勢力が地中海にまで及ぶようになり、ヨーロッパの商業はみるみる衰えていきました。
南イタリアのアマルフィを始めとした諸都市のイタリア商人たちが地中海東岸で、イスラム諸国の商人たちと遠隔地貿易(地中海東岸)をはじめたんです。

この後11~12世紀になると、ヨーロッパ商業が復活します。
これがいわゆる商業ルネサンスといわれるものなんですよ。
イスラムによって衰退させられたヨーロッパの商業ですが、考え方を変えればこの挫折があったからこそ一層力を増したのではともいわれています。

ヨーロッパの商業が衰えたことで栄えた農業

ヨーロッパの商業が衰えたことで栄えた農業

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先ほどもお話ししましたが、イスラムの地中海進出によって、商業活動が大きく衰退してしまったヨーロッパ。
でも、何もしていなかったわけではありません。
このころのヨーロッパでは農業技術の進歩を意味する「中世農業革命」が起こり、農業中心の社会へと変化を見せています。

それには、フランスのピレネー地方やラインラントで鉄産業が盛んになり、12世紀にヨーロッパで広まったことが起因となっています。
農村で鍛冶屋が鍬や斧、犂などを作り、その轍を使って大型の重量有輪犂を造りだしました。
犂を馬や牛に引かせることでスピードアップされ、二圃式農業から三圃式農業へと発展しました。

農業の成長による商業の復活

農業の成長による商業の復活

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この頃、イスラム勢力が地中海から姿を消し、北海やバルト海で猛威を振るっていたヴァイキングによる略奪が終焉を迎えました。
北海やバルト海が平和になり、地中海も息を吹き返しました。
実は、中世のイタリアは、ローマ帝国の衰退と民族大移動、イスラム勢力の進出により古代都市は孤立してしまったのです。
それは、自給自足の生活を強いられるほどでした。

これにより食料の生産が見る見るうちに増加し、食料が余るといった現象が起こり始めます。
ここから、余った食糧を交換する定期市が行われるようになったのです。
イタリアにおいては、経済が成長することにより商業が復活しています。
地中海ではイタリア商人が、北海とバルト海はハンザ商人によって、ヨーロッパ商業は繁栄していくのです。

レヴァント貿易のはじまり

レヴァント貿易のはじまり

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北イタリアからはじまった商業ルネサンスは、遠隔地貿易の刺激を受けたことにより起こったといわれています。
北イタリアのヴェネツィアやジェノヴァの商人たちはレヴァント貿易(地中海東岸の小アジアやシリア)をはじめるようになり、地中海東岸のレヴァント地方から、アジアで作られた香辛料をはじめ絹織物や貴族たちの宝石を輸入してヨーロッパにもたらしました。

しかし、セルジューク朝のトルコ人が信仰していたため、紅海とエジプトを経由するルートと、中央アジアの陸上を経由して極東に行くコンスタンティノープルルートへと変わっていきました。
これもイタリア商人にとって有利に働いたんですよ。







レヴァント貿易が定着していく様子

レヴァント貿易が定着していく様子

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イタリアの商人たちは、ムスリムの商人(イスラム教徒)によって、インドなどから運ばれた香辛料を買い取り、自国に持ち帰り、フランドル地方を中心とする北ヨーロッパ諸国に売りさばくことをはじめ、交易に繁栄をもたらしました。

北ヨーロッパとの活発な交易をはじめたことにより、イタリアと北ヨーロッパを結ぶ内陸の交通網が発達しました。
イタリアがもたらす輸入品は、フランス島北部のシャンパーニュ地方では大市が開かれたりしたようです。
内陸諸都市の発展に多大な影響を及ぼし、ヨーロッパの貨幣経済を発展させました。

貿易の流れ

貿易の流れ

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先ほどお話しした、自給自足経済が基本だった中世ヨーロッパは封建社会が成熟した時代でした。
農業が盛んになることで人口は地方へと散らばりましたが、商業の復活により交易の要地には都市が生まれ都市人口が増加しました。
これが都市の復活へと繋がっていったのです。

また、東方からもたらされるのは主にコショウをはじめとした香辛料や絹織物でした。
一方、西方からは毛織物や銀の取引が盛んになっています。
イタリア商人は北方へコショウや絹織物、地中海のワイン、オリーブオイルを北ヨーロッパ商業圏へ持って行き、羊毛、毛織物、銅、錫などを持ち帰りました。

本格的なルネサンスへと繋がるレヴァント貿易

本格的なルネサンスへと繋がるレヴァント貿易

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膨大な利益をもたらしたレヴァント貿易で内陸都市となったミラノやフィレンツェでは、貨幣経済が発達したことにより金融業が起こりました。
13世紀になると、北西ヨーロッパと黒海、地中海を結ぶ交易圏が成立しています。

物流の行き交いもありましたが、文化的な交流もしていました。
ヨーロッパのキリスト世界の文化や技術は、イスラム文化より低いものでした。
なんだか嘘みたいですよね。
でも、ヨーロッパがアジアを追い抜くのは、18世紀後半になってからなんです。
この文化交流は、本格的なルネサンス到来の予兆となりました。

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