古代ローマの面影を残す南フランスの街「アルル」の歴史と見どころ

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はフランス「アルルの歴史」をご紹介します。

南仏プロヴァンス地方にある小さな村アルルってどんな町?

南仏プロヴァンス地方にある小さな村アルルってどんな町?

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アルルって聞いたら何を連想しますか?ゴッホやドーデの短編小説「アルルの女」、闘牛ショーで有名な復活祭、焼け付く太陽などなど、なんだかイタリアっぽいイメージの街なんです。
アルルに魅了されてこの地で多くの絵を描いたファン・ゴッホは、「日本のように美しい」とアルルを称賛したといわれています。
アルルには美しい女性が多いことでも有名ですね。
こんなに魅力に溢れた街ですが、とっても小さいんです。
高台からローヌ川沿いに広がるアルルの街並みを見ていると、ここの魅力に取りつかれる人たちの気持ちが分かるような気がします。

都会にいながらどこか長閑でのんびりした雰囲気が漂う、南仏プロヴァンスの地方都市アルルの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。
南仏特有の温暖な気候、オレンジとベージュで構成されたイタリアを彷彿とさせる街並みも世界遺産に登録されたローマ時代の遺跡たちも全部小さな町に詰まっているんです。
パリとはちょっと違う趣を見せる、南仏の地方都市アルルの魅力を感じてくださいね!

ローマ都市アルルの始まり

ローマ都市アルルの始まり

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紀元前6世紀ごろギリシア人によって、「The line」の名前で創設されたアルルは、紀元前535年にケルト人が占領しました。
占領したケルト人たちは今までと違う名で呼んでいます。
この町は湖の近くを意味する「アレラーテ(Arelate)」と名付けられたのです。
その後紀元前123年にはローマ人が占領しました。
古代のアルルは地中海を20キロメートル遡った場所にある河港町だったんです。
彼らは、ローヌ川と地中海の水運があることで、紀元前104年には運河を建設し水陸交通の重要な都市へと押し上げました。
この時、町も拡張しています。

でも、この時実はライバルがいたのです。
現在のマルセイユとされるマッサリア。
アルルはマッサリアの陰に隠れてしまい、この時代は表舞台に立つことはありませんでした。
しかしチャンスってあるものですね。
カエサルがポンペイウスと対立した時、アルルはカエサル側に、マッサリアはポンペイウス側に着きました。
もちろんこの時カエサルが勝利したことは有名ですね!アルルはマッサリアから所有物を引き継ぐこととなり、ローマ軍の退役軍人のための植民地になりました。
と同時にプロヴァンス地方随一の河港街として大発展することになります。

ローマによって大きくなるアルル

ローマによって大きくなるアルル

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紀元前1世紀ごろからは、円形闘技場や凱旋門、キルクスなどローマを誇る建築物が建てられました。
特に、円形闘技場は、ローマで有名なコロセウムよりも120年も古いもので、円形闘技場としては最古級のものです。
観客席は2万6000席あり、60のアーチが三層になって積み上げられた壮大なものでした。
しかし、後に石材が略奪されるなどで現在は二層だけとなっています。
4世紀にはコンスタンティヌス帝統治下にあり、アルルは「ガリアの小ローマ」と称されるほど大きく成長しました。
これがローマ時代の最盛期のアルルです。

313年に皇帝がミラノ勅令により、キリスト教を公認することになりました。
314年にはアルルで教会会議を開かれ、アルル、マルセイユ、ヴェゾン、オランジュ、アプト、ニースなどの教会代表者もこのアルルに集まっています。
このように段々アルルの街は、イタリアらしい景観に変わっていき、パリなどとは一味違った地になっていきました。
こうやって見るとかつてのローマの凄さを改めて感じます。
実はアルルがこれだけ大きくなったのは、皇帝コンスタンティヌス1世のお気に入りの地だったからなんです。
4世紀には温度の違うお湯に順番に入りリラックスしたとされる、コンスタンティヌス共同浴場も建設されました。
この頃に造られた遺跡たちは保存状態もよく現在は世界遺産として人気の観光地となっています。

中世時代のアルル

中世時代のアルル

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中世になるとアルルはイスラム教徒の侵入を受けて大きく変貌を遂げることになります。
855年になるとフランク人によって都が建設され、アルル王国が作られたのです。
しかし、この王国はイスラム教徒やヴァイキングの侵略にあい、度々攻撃されるようになってしまいます。
いかにローマに支配されていたころが平和だったかを感じたのではないでしょうか?933年にはアルル伯ユーグは王国を、888年にロドルフが設立したブルグント王国に委ねました。
当時このブルグントの王ロドルフ2世は、ブルグント王国をアルル王国に併合したのです。

この頃の建造物で有名なのが世界遺産の「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つになっているサン・トロフィーム教会。
この教会はプロヴァンス地方でも美しいロマネスクの教会の一つとされています。
特にファサードのレリーフは必見で、ロマネスク様式の典型といわれており、半円形のアーチ部分には『最後の審判』が描かれています。
回廊の美しさもプロヴァンス随一といわれているんですよ。
ここだけは静寂に包まれており、アルルでもちょっと違った空気が漂い、思わず瞑想に誘い込まれるような感覚にとらわれます。







近代におけるアルルの歴史

近代におけるアルルの歴史

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中世においてアルルはローヌ地方の主要な港町として大きな影響力を持っていました。
しかし、19世紀になると鉄道が開通しました。
これまで水運による貿易で重要視されてきたアルルですが、これにはまいりました。
貿易を壊滅させることになってしまい、街は完全に死んだように息をひそめました。
時代の波にはとっても叶いません。
悲しいことですね。
しかし、これで終わるアルルではありませんでした。

貿易がだめなら今度は芸術で勝負です!というより運が良かったアルルは、画家のフィンセント・ファン・ゴッホのお陰で甦ることになります。
彼は実にアルル大好き人間なんです。

ファン・ゴッホとアルルの歴史

ファン・ゴッホとアルルの歴史

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1888年2月にファン・ゴッホはアルルの地に辿り着きました。
芸術家たちが互いに刺激し合いながら共同生活を送ることを夢見ており、ゴーギャンなど芸術仲間をこのアルルの地に呼び寄せたのです。
ゴーギャンがアルルに来たのは、同年10月になってからでした。
ファン・ゴッホは夢見た暮らしに気分も高揚したのか、筆がどんどん進みました。
この頃に『ひまわり』を始め、『夜のカフェ』、『ファン・ゴッホの寝室』、『ローヌ川の星月夜』、『アルルの女』などの名作が生まれたのです。

しかし、残念なことに個性豊かな者同士の生活がうまくいくわけもありません。
ゴーギャンはファン・ゴッホの元を離れていきました。
その後不安定な精神状態だったゴッホは、1888年12月に有名な耳を切り落とす事件を起こしたのです。
1889年2月にアルルの人々はファン・ゴッホを幽閉するように要求しました。
ファン・ゴッホは自らアルルの地を後にし、サン・ミレ近郊の精神病院に入院しました。
人間の人生ってうまくいかないものですね。
しかし、彼はアルルに住んだ2年間の間に300以上の絵や描写を完成させていました。

人気観光地となったアルル

人気観光地となったアルル

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現在アルルはプロヴァンス地方でも有数の観光地となっています。
主要スポットを回るなら一日、ゆっくり回るなら2、3日は用意しておきたいスポットです。
古代ローマから中世にかけて栄えた歴史を誇り、ローマ時代の遺跡や中世宗教の中心地として栄えたことからロマネスク様式の教会など大勢の観光客が集まっています。
これらは、1981年に世界遺産に登録されています。
中世にはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうち、南仏を通るトゥールーズの始点になっていたことから、巡礼者たちで賑わいを見せた地としても有名なんですよ。
また、芸術を愛する人たちにも人気があり、ゴッホゆかりの地を巡るツアーなども行われています。
次のページでは『ローマ時代の遺跡から中世、近世まで見どころたくさんの南仏プロヴァンス地方のアルルを旅してみませんか?』を掲載!
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