自由を求め何度も生まれ変わったフランスの歴史って複雑すぎ!

フランスといえば、百年戦争にヴェルサイユ宮殿、フランス革命、ナポレオンの登場など、ヨーロッパの歴史の中心的な存在の国ですね。自由を求めて変革を続けたフランスの歴史って気になりませんか?今回は、フランスの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

フランスの始まりとガリア地方のローマ化

フランスが歴史上に登場したのは、古代ローマ時代です。
紀元前2000年ごろからケルト人が移住を繰り返しながら生活し、紀元前9世紀ごろにガリア地方やイベリア半島、ブリテン島などに定着しました。
ここからイタリアやアイルランドにも広がり、だんだんと王国や帝国を築くようになりました。
ローマ帝国が力を持ち始めるとフランスにも遠征を行うようになりました。

紀元前52年にはガリア遠征で、アレシアの争いでガリア軍を屈服し、ガリア地方を征服したのです。
ガリアは現代ギリシャ語でフランスを意味しています。
これによりガリア地方はローマ風の都市が建てられるようになり、ローマ化が進みました。
アルルの古代闘技場や水道橋「ポン・デュ・ガール」など、フランス各地に当時の建物が残っています。

フランク王国とカペー朝の成立

フランク王国とカペー朝の成立

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ガリア北部にはフランク族が定住しており、5世紀ごろからグローヴィス王の時代に勢力を増し、諸民族を統一しました。
481年に彼はカロリング朝フランク王国を建国しています。
さらに南下することにより、西ゴート族まで支配してしまったのです。
511年にグローヴィスが亡くなる頃にはローマ帝国も没落しフランク王国は、今のフランス全域を手中に収めており、西ヨーロッパ最大の王国として成長しました。
しかし、血族で王を定めており、王位継承権を巡る内戦が絶えず分裂し、その後も治安は安定しませんでした。

カロリング家が断絶してしまいました。
次は「暗黒の世紀」と呼ばれるカペー朝が成立します。
一般的にはこの頃が、フランス王国成立といわれています。
パリ伯だったユーグ・カーペが造った王朝で、初めはパリ近郊だけで脆弱な王朝でしたが力を増しました。
カペー家はフランス王家となり、分家からはヨーロッパ諸国の君主を排出しています。
フランス革命で処刑されたルイ16世まで、ユーグ・カーペ家は続きます。
超名家!ビックリですね。

フランス王国の発展と百年戦争

フランス王国の発展と百年戦争

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1180年にはフィリップ2世が王位を継承。
結婚や戦争により王領地を拡大しました。
領地が拡大するにつれ、コミューンと呼ばれる都市の自治運動が始まります。
フィリップ2世は敬虔なカトリックでしたが、フランス王権を強化する頃は、ローマ教皇と連携しながら進めていました。
14世紀にはフランス王と教皇は対立関係となり、1302年にはフィリップ4世はフランス初の身分制議会三部会を開催します。

フィリップ4世の死と共に、カペー家本家が断絶しました。
ここから有名な百年戦争が始まります。
ここでフィリップ4世の孫にあたるイングランド王エドワード3世が、自分は直系だからフランス王の継承者だと主張したのです。
ここで約100年に渡って王位継承権を巡る戦争が起こりました。
クレシーやポワティエの戦いで勝利したのはイングランド。
彼らはパリまで占領しました。
しかし、フランス王国には、ジャンヌ・ダルクという救世主がいたのです。
彼女の登場でフランスが優勢となり、フランスが領土を制圧し勝利に終わりました。

宗教戦争と良王アンリ

宗教戦争と良王アンリ

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15世紀末にシャルル8世はイタリア戦争を起こしました。
ハプスブルク家も対抗して出兵しました。
ここから18世紀半ばまで続く、フランス王家とハプスブルク家の対立が始まりました。
フランスのヴァロア朝末期にはユグノー戦争(1562~1598年)が起こりました。
カトリック派とユグノー間で起きた宗教抗争です。
国内ではブルボン家やギーズ家が幅を利かせ、王権が不安定な状態だったことが起因となっています。

カトリックからユグノー(プロテスタントに改宗した人)になった人が増え、百年戦争の英雄の子孫ギーズ家(カトリック)との対立が深まります。
ついに1562年にユグノーをギーズ家の家臣が虐殺し、ユグノー戦争が起こりました。
これは、信仰の自由を求めるもので、30年も続いたのです。
アンリ4世はユグノー戦争が終わると同時に即位しカトリックへと改宗しました。
1598年にナントの勅令を発布したのが彼です。
プロテスタントにもカトリックと同じ権利を与えることにより、ヨーロッパ初の信仰の自由を認めました。
この功績は大きいもので、近代フランスの礎を築いた功績から人々は彼のことを「良王アンリ」と呼び親しんでします。

絶対王政の栄華

絶対王政の栄華

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君主が絶対的な支配権を持つという絶対王政が最盛期を迎えた時の王は、ルイ14世でした。
太陽王と呼ばれた彼は、ヴェルサイユ宮殿を20年以上の歳月をかけて建てたことで有名な人物です。
ネーデルランド継承戦争、オランダ侵略戦争、ファルツやスペインの継承戦争など度重なる戦争を起こしており、財政を悪化させた張本人といわれています。

フランスの絶対王政は、聖職者・貴族・ギルドという利益団体と結びつきを強めて成立したもの。
しかし、市民全体の一部の富裕層にだけ有益に進んでおり、後に市民運動へと発展していきます。
「絶対王政=封建国家の最終形態」と考えるのが妥当でしょう。
ルイ14世が即位した直後に、三十年戦争にかかった費用を重税で補おうとするも、貴族の最後の反乱といわれる「フロンドの乱」を起きてしまいます。
利益団体との結びつきに、発展しますが貴族たちがいいように扱える王を利用したことにすぎませんでした。

フランス革命

フランス革命

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フランスの歴史を語る上で一番のメインといえば、1789~1799年に起こったフランス革命でしょう。
フランス王ルイ16世がこれまでの、王家の負の状態を全て被ったともいえます。
ルイ16世の時代には国家の財政が悪化しており、市民だけでなく特権階級にまで重税を課したため反発を食らいました。
ここで「三部会」開催を突きつけられ、フランス革命へと発展する起因にもなりました。

フランス革命は世界史上最も代表的な市民革命で、王権に対する貴族の反抗で始まり、市民全体を巻き込む革命へと発展しました。
バスティーユ牢獄襲撃から始まり、封建的特権の廃棄と人権宣言へと発展しました。
ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑されナポレオン1世が権利を握ることで終止符が打たれました。

ナポレオン戦争

ナポレオン戦争

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ナポレオン戦争は1796~1815年の間にナポレオンが領地拡大のため起こした戦争です。
1804年にナポレオンは皇帝に即位し、アウステルリッツの戦い、トラファルガーの海戦、ロシア遠征など欧州諸国に水から戦争を挑み、一時はその名を轟かせました。
本人曰く「私は64もの戦争をした」と話しています。
彼は戦争に勝つことで市民の支持を得ていたある意味かわいそうな人生ということを感じます。

ライプツィヒの戦いに敗れ退位後、エルバ島に流されます。
ウィーン会議でブルボン家が王として王の権力を回復しました。
しかし、島を抜け出しパリで復位するも1815年にワーテルローの戦いで完敗し失脚しました。
この後は、ルイ16世の弟ルイ18世が王位に就きました。

ピーターラビット

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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