ヴェルサイユ宮殿を造った「太陽王」ルイ14世と絶対王政の歴史

「太陽王」と呼ばれるフランス王ルイ14世。1643年に即位してから1715年に死ぬまで、なんと72年間もフランス王だったのですよ。あの有名なヴェルサイユ宮殿を建設したのもルイ14世。ルイ14世の時代を絶対王政というのですが、さて、絶対王政とは何なのでしょうか。「朕は国家なり」という有名な言葉を残したのもルイ14世でしたね。この言葉の本当の意味を知っていますか?華やかな宮廷の裏で、魔女裁判や毒殺事件が起こったのもこの時代。ルイ14世の人生の夜明けから日没までをたどってみることにしましょう。

絶対王政の基礎をつくったのは宰相リシュリュー

絶対王政の基礎をつくったのは宰相リシュリュー

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ヴァロア王朝からブルボン王朝へ

1589年にアンリ3世が没して、フランスのヴァロア王朝は断絶。
そのあとに、プロテスタントだったブルボン家のアンリ4世が、王位相続に関する法律に従って王位を継承。
ブルボン王朝が始まったのでしたが、1598年にアンリ4世はナントの王令で、プロテスタントの権利を大幅に認めたのでした。
しかしそのために、1610年に狂信的なカトリック教徒によって刺殺され、息子のルイ13世が王位を継承したものの、まだ子どもだったために、母親であるマリー・ド・メディシスが摂政となりました。
この母親は、その名前からわかるように、フィレンツェのメディチ家の出身ですね。

ルイ13世が成年に達した1614年に三部会が召集され、リシュリューは聖職者代表として演説。
フランス王国の政治に、王の母親と聖職者が深く関わっていることがわかりますね。
絶対王政というと、王権神授説からも推測できるように、国王の絶対的権力のもとに王国が統治されること、と考えることができますね。
神聖ローマ帝国は領邦君主たちの力が強くて、皇帝の権力が弱かったことと対比すると、フランス王国の絶対王政の特徴がよくわかりますね。
七人の選帝侯の選挙によって選ばれる神聖ローマ皇帝と違いますが、そのかわりフランス王は、摂政や官僚の役割が大きかったのですよ。

アンヌ・ドートリッシュとの間にやっと男の子が生まれました

ルイ13世の母親であるマリー・ド・メディシスは、しかるべき後継者を生むために、スペイン王フェリペ3世の娘であるアンヌ・ドートリッシュを、息子の妻に選びました。
「ドートリッシュ」というのはフランス語で「オーストリアの」という意味になるのですが、彼女はスペイン・ハプスブルク家の娘で、ハプスブルク家といえばオーストリアというイメージだったのでしょうね。
ブルボン家とハプスブルク家とは宿敵だったのですが、ヨーロッパの安定のためには、この両家が手を結ぶ必要がありましたね。

1615年にこの結婚が行われ、翌年にリシュリューは国務大臣になっています。
しかし、ルイ13世が成長したことにより、摂政である母親とのあいだに確執が生まれ、「母子戦争」と呼ばれる争いが宮廷内で起こったのですよ。
この戦いによって一度は宮廷を去ったリシュリューでしたが、結局、有能な官僚あっての絶対王政ということでしょうね。
1624年にはリシュリューが政治の実権を握ったのでした。
ところが、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの夫婦関係は冷え切っていて、なかなか子どもが生まれません。
1635年にスペインに宣戦布告してフランスが三十年戦争に加わったため、この夫婦関係はますます悪化。
しかし、1638年にようやく男の子が生まれたのですね。
父親はルイ13世でないのではないかと疑われる一方、この男の子こそ「神の子」と呼ばれ、将来「太陽王」となるルイ14世だったのでした。

「神の子」ルイは5歳でフランス王ルイ14世になりました

「神の子」ルイは5歳でフランス王ルイ14世になりました

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5歳のフランス王ルイ14世を母マリーとマザランが補佐しました

三十年戦争の頃の戦争は、傭兵が戦地に派遣されていました。
そのため戦地では、戦いそのものよりもむしろこの傭兵たちの略奪行為によって被害を受けたのですよ。
ドイツに比べるとフランスはそれほど大きな被害を受けたわけではありませんが、それでも、各地で民衆が蜂起。
リシュリューも苦境に立たされるとともに、宮廷内の反リシュリュー勢力とも戦わなくてはならなかったのですね。
反リシュリュー勢力のトップであったサン・マール候を処刑したものの、1642年にリシュリューは病死。
そのショックからか、まだ40代初めのルイ13世も死んでしまい、まだ5歳だったルイ14世がフランス国王に即位したのですよ。

将来「太陽王」と呼ばれるルイ14世ですが、父親と同じように、国王としての成年に達していなかったため、母親のマリーが摂政に。
マリーとの夫婦関係は悪かったルイ13世ですが、弟のガストンが宮廷内で実力をもつことを嫌って、妻のマリーを息子の摂政にするという遺言を残していたのですよ。
もしかして自分の子どもではないとしても、ルイ14世は少なくともマリーの子どもだから、悪いようにはしないということでしょうね。
マリーはリシュリューを嫌っていたのですが、宮廷の宰相には、そのリシュリューが自分の後継者に指名していたマザランを登用。
摂政と宰相のコンビが、まだ幼い国王を支えたのですね。
それが絶対王政のあり方かもしれませんね。

マザランはローマ生まれのイタリア人枢機卿

キリスト教では人が死ぬ直前に、神父がその死の床に来て、その罪の告白を聞くことになっています。
死者は告白された罪が許されて神のもとに召されるわけですが、「あなたの敵を許しますか」と尋ねられたリシュリューは、「私には、国家の敵だけが敵でした」と答えたというエピソードが伝えられています。
これこそまさに、絶対王政がどういうものだったかをよく示していますね。
そのリシュリューが自分の後継者に選んだマザランは、ローマ生まれのイタリア人で、リシュリューと同じローマ・カトリックの枢機卿。

マザランは内政も外交も、前任者であるリシュリューの路線を継承。
ただし、フランス王国は戦費を浪費していたため、財政難の状態にあったのですよ。
財政難ということは、国民からいろいろな名目で税金を徴収しなくてはなりませんね。
絶対王政の時代には法律も整備されていて、宮廷が勝手に新しい税金をつくることはできません。
高等法院というものがあり、これを通さなくてはならないのですが、それでは間に合わないし、高等法院によって否決されることもありますね。
それでも王室としては増税するしかないとしたら、どうなのでしょうか。
しかも、国王はまだ幼い子どもですからね。

フロンドの乱でルイ14世はいろいろなことを学びました

フロンドの乱でルイ14世はいろいろなことを学びました

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こうしてフロンドの乱は始まりました

三十年戦争に介入したことによって戦費が増大し、国家の財政は危機になりましたね。
1648年1月に、政府は法律の抜け道を使ってあらたな増税策に出たのですよ。
そのため、ルイ14世と摂政のアンヌ、それに宰相のマザランがそろって高等法院に出向いたのです。
このときルイ14世はまだ10歳。
この当時、国王の成年は13歳だったので、まだ成年に達していない国王だったわけですね。
高等法院での議論を経て、なんとか新しい税制が通過したかに見えたのですが、翌日になって高等法院に取り消されたのでした。

それに対して、政府は官吏たちの俸給の支払を停止すると発表。
すると今度は、高等法院などが、地方長官制などの廃止をはじめとする内政改革を要求。
政府もこれに対しては譲歩せざるをえず、地方長官制を廃止したのですね。
貴族はもともとは地方に領地をもつ地主なので、絶対王政下においてその貴族たちは、中央政府から派遣された地方長官によって監督されていたのでした。
しかし8月には三十年戦争スペイン軍と戦っていたフランス軍は、ランスの戦いで勝利。
その戦勝を祝うため、パリに近衛部隊が配備されたのをきっかけに、パリの民衆が蜂起したのですね。
この一連の事件をフロンドの乱と呼んでいるのですよ。

piaristen

Writer:

Piaristenというのは、教育を主体とする修道会のことで、あちにちにそれが運営する教会や学校があり、ウィーンに住んでいたとき、うちの子どもが八区にあるピアリステン小学校に通いました。専門はオーストリア文学ですが、私の研究している劇作家もここのギムナジウムを卒業し、壁には彼のレリーフが飾ってあります。

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