【映画「レ・ミゼラブル」の時代背景】ジャンバルジャンはなぜパンを盗んだ?実はフランス革命の後の出来事って本当?

2012年にアカデミーショーを席巻した映画「レ・ミゼラブル」をご覧になって、その人間ドラマに涙した方もたくさんおられるのではないでしょうか。この作品はブロードウェイですでに人気を博しているミュージカルがベースになったお話です。その場で歌われた歌声をそのまま使っていることから、とても臨場感があり、舞台のミュージカルをカメラを通して観ているような作品でした。その「レ・ミゼラブル」ですが、多くの方はフランス革命の時代と思っておられることが多いようです。確かにフランス革命の影響がまだくすぶるパリが舞台ですが、いわゆるフランス革命と呼ばれた時代の後のお話なのです。
今回は「レ・ミゼラブル」の最後に起こった暴動は一体何だったのかを中心にそこに至った時代背景についてご案内いたします。ご覧になったことのある方はもちろん、これからご覧になられる方にも知っておいていただくとより映画を楽しんでいただけるかと思います。

ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由

ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由

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物語は1815年のトゥーロンという港から始まります。

ここで主人公のジャン・バルジャンは囚人として使役労働を行っていました。

彼の罪は飢えて死にそうだった妹の子供のためにパンを盗んだことでした。
その罪のための禁固は5年、そして何度も脱獄を繰り返したためその分追加禁固刑となり、合計19年の囚人生活を送っていました。

彼がパンを盗んだのは1796年。

フランス革命の狼煙を上げた有名なバスティーユの襲撃から7年後のことです。

ここで簡単にバスティーユの襲撃のあった1789年から1796年の革命の流れを観てみましょう。

襲撃の後はフランスはルイ16世一家をヴェルサイユからパリへ連れてきて、立憲君主制を目指します。

当初憲法への同意を渋っていたルイ16世がパリ市民の不穏さから、憲法を同意。
イギリスのように王はいるが憲法によって統治される国となると思っていた矢先に、国王一家がパリから逃亡します。

「ヴェルサイユの薔薇」でも有名なヴァレンヌ逃亡事件です。

これによってパリ市民は王家に大きく失望。
以前からあった王政の廃止の声が高まり、ついに1792年に王政を廃止となります。

王がいなくなっても混乱は続く

その後、国民公会による共和政が樹立し1793年憲法を制定します。

それは初めて人民投票で成立させた憲法で、人権主権や労働扶助についてや奴隷制廃止などとても民主的な憲法でした。

しかし、実際には革命に対して反発をする対仏大同盟による諸外国との戦争に加えて、発行するアッシニア紙幣の暴落などがあり、国内が落ち着くまでは施行が延期されました。

国民にとっては、王がいなくなっても自分たちの権利は全く変わらず、未だに生活も苦しい。

そんな不満は政府にも影響し、人民からの指示を得るために人気取りの意見を出す者もいれば、既得権益を自分たちが得られるようにしたり、王党派たちはこの不安定な隙に政治主権を取り戻そうとしたり。

そんなさまざまな思惑で勢力が拮抗する中、国民公会は倒れ、総裁政府が立ち、国民の希望よりもブルジョワジーの権利を後押しするような1795年憲法を成立させます。

その政府を安定させるために、血を血で洗うような対立する者への弾圧がされ、恐怖政治が横行するようになります。

その恐怖政治の粛正は政敵だけでなく市民にもおよび、このころになると革命前から続く不況で国民は疲弊し、誰でもいいからこの状況から救ってほしいとまで言われるようになります。

このような混乱を極めている1796年、ジャン・バルジャンはパンを盗んだのです。

混乱の中から英雄視されたナポレオンの台頭

混乱の中から英雄視されたナポレオンの台頭

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さらに追い打ちをかけたのが、西アフリカの影響です。

フランスの植民地ハノイで反乱が起こりました。

当時、ヨーロッパ世界で大変需要が高く、高利益で取引ができた砂糖の40パーセントの生産を担っていたのがハノイ。

そのハノイが独立に向けて白人や自由黒人と黒人奴隷たちの三すくみを中心にそれぞれの利益と立場の改善を求めて本国と同じく反乱を起こしたのです。

これは後に唯一アフリカの国で成功した独立戦争となるのですが、1791年から1804年までこの戦争は続き、結果として革命政府が発行していた紙幣と砂糖の暴落によってフランス本国の経済に大きな打撃を与えました。

総裁政府の恐怖政治はパリの中を暗く陰鬱な空気にし、対立する者や反発する者を弾圧するためにしばしば軍隊で鎮圧するようになります。

そして対仏同盟による諸外国との戦争や地方の反対勢力の弾圧でも軍隊が活躍する場面が増えていきました。

その中で、徐々に活躍し人々から注目される人物が出てきます。

かの有名なナポレオン・ボナパルトです。

ナポレオンとジャン・バルジャン

ナポレオンはイタリアのトスカーナ地方の血統貴族を祖先に持つ、コルシカ島の地方貴族でした。

陸軍士官学校へいき、当時花形だった騎兵科ではなく砲兵科へ進み優秀な成績で最短のスピードで卒業したといわれています。

砲兵科で学んだことが後々に大きく影響し、今までの騎兵中心の戦法に対して得意の砲撃を活用する戦法で戦ったことが勝利につながったと考えられます。

その戦法が功を奏して、ナポレオンを有名にしたのがトゥーロン攻囲戦でした。

トゥーロンはマルセイユの南東に位置する地中海に面した港町で、古くから軍港の要所とされていたとこです。

このトゥーロンが王党派とそれを支持するイギリス軍とスペイン軍に占領されたため、その奪還を目的とした戦いが1793年に起こります。

この戦いを勝利に導いたのが砲兵将校として参戦し、港を砲撃する陣地を見つけたナポレオンでした。
彼はこの戦いで一気に国際的にも注目を集めたのです。

そして1796年、ジャン・バルジャンがパンを盗んだ年にナポレオンはイタリアへ遠征に出かけ、本格的に表舞台へ出てきました。

その後にナポレオンは総裁政府を倒し、皇帝となります。

そして、ジャン・バルジャンが仮釈放された1815年はナポレオンにとっては一度失脚して返り咲いた百日天下の後再度失脚した年となりました。

このトゥーロンですが、ここには刑務所があり、ジャン・バルジャンはオープニングで動かなくなった戦艦を軍港まで引き入れる労働をしています。

ナポレオンが名を挙げた港町で、彼がイタリアへ遠征する年に投獄され、彼が失脚する年に仮釈放になるジャン・バルジャン。

この設定はおそらく原作者であるユーゴーが19世紀の人なら誰でも知っているナポレオンにちなんだ背景にしたのだと考えられます。







第二の人生を送っていた1823年のモントレイユ

第二の人生を送っていた1823年のモントレイユ

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ジャン・バルジャンは1815年に仮釈放となってから、親切にしてもらった神父から心を入れ替えて生きる決心をします。

罪人だった過去を悔い改め、盗んで生きていくことをやめたのです。

そこから物語は一気に時代がすすみ、1823年の北方の港町モントレイユに舞台が移ります。

ここでジャン・バルジャンは工場を経営する市長となっていました。

この時代、フランスの産業革命はまだ本格的ではありません。

しかし、モントレイユは中世の時代から軍港として栄えた街で、フランスの領土内でも北側に位置し、イギリスなどの技術が流れやすい場所でした。

18世紀半ばに起こったイギリスの産業革命はそれまでのヨーロッパの経済に新しい波を送り込みます。

その起こりはイギリスは古来から農地が少なく、経済の中で農業が占める比重がフランスやドイツと比べて少ないため銀行や商業などが発達しました。

そして、アメリカやインドなどの植民地から砂糖や小麦、香辛料などの貿易で栄え、さらに鉱脈を利用してさらに経済的に発展していったのです。

ではフランスはどうだったかというと、中世から続く農業中心の経済で成り立っていました。

ブルボン王朝の国外との戦争やアイルランドの火山爆発などで天候が不順となり、それによる不作と労働者不足などで常に赤字状態でフランス革命を迎えました。

フランス革命後も政府が不安定なこともあり、共和国政府が倒れ、1815年にはナポレオンによる帝政も終焉を迎え、1823年は王政復古の時代でした。

ナポレオンの帝政時代には、産業についての強化が行われたことで、イギリスの工業化が徐々にヨーロッパ大陸内にも伝播し、特に港町などで工場を起こして財を築いた者も出てくるようになります。

土地の所有で財を持っている貴族や地主権力者ではなく、工場経営者という新しい層が生まれたのです。

ジャン・バルジャンはちょうどその流れに乗って、身分を隠して偽名で市長と工場を経営し、第二の人生を過ごしていたと考えられます。

本当に身を売るということ

ジャン・バルジャンが経営する工場で働いていた美人の女工・ファンテーヌ。

彼女はジャン・バルジャンが経営する紡績工場の女工として働いていました。
モントレイユは中世の時代からシーツの産地として有名でしたのでその産業を機械工業化した会社をだったのかもしれません。

その中で美人でおとなしいファンテーヌと関係を持ちたがる工場長と、妬む女工たちが描かれています。

歌の中にもありますがこの時代は働く場所があるだけでも幸せ。
たとえそれが嫌味な親方や少ない賃金といやな思いをしても、一日が過ごせるだけで好運と言えるほど市井は貧困だったのです。

そして、未婚の母であるファンテーヌの身の上を知らなかった親方が騒ぎを起こしたとして彼女を解雇します。

その騒動でジャン・バルジャンが親方に治めることを一任しますが、私たちの感覚では責任者なのに冷たいと感じるところです。

しかし、フランスではオーナーなどが現場の采配ややり方に口を出すという習慣がなかったと言われています。

働く場を失ったファンテーヌは女工から一転して身を崩していきます。

彼女は自分が持てるものを売っていきます。

まず、豊かで美しい髪と歯です。

これらは富裕層のカツラや指し歯として需要があるものでした。
特に若い女性のものは値が高く付けられます。

生きていくために、文字通り切り刻んで身を売っていくのです。

しかし、髪は伸びるのに時間がかかりますし、歯もそう何本も抜くことはできませんので、最終的には春を売ることになります。

当時も引き続き経済はどん底で、後ろ盾もなく財産もを持たない女性が働ける場所はなかったため、唯一持ってる自分自身を売る人が多かったのです。

そのことにより港町では性病や流行病が蔓延し、衛生面も整わず、さらに何でもありの無法地帯が存在しました。

全く生活が変わらないパリ市民

ファンテーヌが死に、その娘のコゼットという守るべきものに出会ったジャン・バルジャンは追手のジャベールから逃れてパリの街に身を隠します。

コゼットの守護者となってから9年の歳月が経った1832年のパリはどこから不満の火の手が上がってもおかしくないくらい、市民は疲弊していました。

ナポレオンが失脚した1814年に列強諸国の後ろ盾でブルボン王朝が復活しました。

復活したブルボンの王の政治はフランス革命以前に戻そうとするもので、政策や法令などの発布の権限は王にあり、代議員などは飾りでしかありませんでした。

1830年には復古王政は崩壊し、七月勅令によって七月革命がおこりました。

パリ市民からの支持が全く得られなかったシャルル10世は退位となり、変わって中産階級から支持得ていたをルイ16世の弟のひとりルイ=フィリップが即位したのです。

七月革命の結果がさらに王政となったことに共和主義者は不満に思っていました。

映画の中でも小さな戦士ガブローシュが「自由のために戦った者が今はパンのために戦っている」と皮肉を言っています。

また「ダメな王を倒したのに新しい王も役にはたたない」と王が変わっても無産階級の生活は改善しないと、腹の底で黒い怒りを市民が抱いていることが分かります。

次のページでは『六月暴動への道』を掲載!
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Writer:

旨いものとヨーロッパが大好きなアラフォー女子。背中に羽の生えたペガサスのようにジャンルを問わず様々なことに興味を持ってはアレコレと調べるクセがあります。 1人でも多くの方が、今まで見たことのない景色や面白さを感じていただけるような記事を書けるよう、精進の日々です。

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