ドイツの世界遺産を一挙紹介。宮殿、文豪の家、大聖堂…あなたはどれが好み?

1972年の「ユネスコ総会」で採択された「世界遺産条約」に基づいて登録される「ユネスコ世界遺産」。現在世界で1073件登録された世界遺産は「自然遺産」「文化遺産」「複合遺産」の3種類ありますが、それらの遺産はどれも地球が歩んできた長い歴史を現代に伝える役割を果たしています。今回はその世界遺産から「ドイツ」にある世界遺産を見てみましょう。


国が歩んだ歴史を伝える「文化遺産」

#1 北部ヨーロッパ最古の聖堂「アーヘン大聖堂」

北部ヨーロッパ最古の聖堂「アーヘン大聖堂」

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786年にカロリング朝フランク王カール大帝が建設を始めた大聖堂の前身「アーヘン宮殿教会」が歴史の始まりで、北部ヨーロッパで最古の聖堂。
814年に大帝が亡くなると大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されることから「皇帝の大聖堂」とも呼ばれています。

中心となる宮殿教会は古典主義様式、ビザンティン様式、ゲルマン様式-フランク王国様式の要素を備えた建築様式で、936年から1531年にかけての約600年間には神聖ローマ帝国皇帝たちの戴冠式が執り行われたことも。

その後巡礼者が増えた時代には増築も行われ、そこでカール大帝即位600年を記念して「ガラスの家」と呼ばれる建物が完成。
宝物館には後期古典主義、カロリング朝時代などの展示品があり、「ロタールの十字架」や「カール大帝の胸像」といった作品が有名。

#2 2人の文豪が住んだ「古典主義の都ヴァイマル」

2人の文豪が住んだ「古典主義の都ヴァイマル」

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「古典主義の都ヴァイマル」はテューリンゲン州・ヴァイマルにある世界遺産で、ドイツを代表する作家であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、フリードリヒ・フォン・シラーにゆかりのある建築物で構成される世界遺産。
街の中には2人が住んだ家が残されており、ゲーテが33歳から50年間を過ごした「ゲーテ・ハウス」は住んだ当時をそのまま残す博物館に。
シラーが住んだ「シラー・ハウス」は1802年から3年間住み、こちらも「ゲーテ・ハウス」童謡に一般公開されています。

#3 ロマネスク様式最大級「シュパイアー大聖堂」

ロマネスク様式最大級「シュパイアー大聖堂」

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中南部の都市・シュパイアーにある「シュパイアー大聖堂」は4本の塔と3列の側廊を持つ「バシリカ式聖堂」でありロマネスク様式最大級、ドイツロマネスクの先駆け的存在の聖堂ローマ皇帝・コンラート2世が自身の永眠場所として創建を命じたもので、1030年から1061年にかけて建設。
彼が埋葬されて以降は7人の神聖ローマ皇帝、ドイツ王たちが葬られる「皇帝大聖堂」とも呼ばれています。

大聖堂は1689年にルイ14世の配下によって焼かれ1772年から1784年に修復されますが、1794年に再びフランス軍によって破壊。
1846年から1853年にかけて修復。
1900年に大きな発掘計画が実行されたことで墓所が発見。
そこで発見されたもののいくつかは「プファルツ歴史博物館」に。
ドイツ最大の地下聖堂(クリプタ)は東西35m、南北46mの規模を誇る巨大地下室で、皇帝や妻たちの墓はここにあります。

#4 ヨーロッパ屈指の宮殿「ヴュルツブルクのレジデンツ」

ヨーロッパ屈指の宮殿「ヴュルツブルクのレジデンツ」

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バイエルン州の北西部・ウンターフランケン行政管区のヴュルツブルクにあるレジデンツは、1720~1744年にかけて建設されたヨーロッパ屈指の宮殿。
最大の特徴となっているのが「階段の間」。
バロック・ロココの重要な建築家とされているバルタザール・ノイマンが手掛けた室内は世界最大のフレスコ画が飾られ、巨大な天井の支えとなる柱が全くないもの。

こうした造りは建設当時に「設計ミス」など叩かれたと言われていますが、それに対しノイマンは「耐久性には自信がある」と言って天井の下で大砲を打つデモンストレーションを実施することも。
ノイマンが自信を持っていた耐久性は第2次世界大戦の空襲で実証されることとなり、このとき建物の中で生き残ったのはここの天井だけ。
ノイマンの言葉に嘘はなかったのです。

#5 内部装飾はヨーロッパ随一「ヴィースの巡礼教会」

内部装飾はヨーロッパ随一「ヴィースの巡礼教会」

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バイエルン州南部・ヴィースにあるキリスト教教会で、1745年から1754年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建設。
ロココ様式の内部装飾は「ヨーロッパ随一」と評判で、天井画は「天から降ってきた宝石」の評価も。

教会にはある伝説が存在しており、1738年に「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けた農家の婦人が祈りを捧げると、6月14日にキリストの像が涙を流します。
このうわさが「ヴィースの涙の奇跡」として広まると農家に全国から巡礼者が集まるように。
この後1740年に牧草地に完成した小さな礼拝堂に像が移され現在の教会が完成したのです。

設計を担当したのはドイツ・ロココの完成者とされるドミニクス・ツィンマーマンで、教会が完成したあと彼は教会近くに自宅を建て、生涯ここで過ごしました。
この教会に強い思い入れがあったのかもしれませんね。

#6 ケルン大司教夏の離宮「アウグストゥスブルク城」

ケルン大司教夏の離宮「アウグストゥスブルク城」

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世界遺産「ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト」の中心となる「アウグストゥスブルク城」は、1725年にケルン大司教の座にあったヴィッテルスバッハ家のクレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンの夏の離宮として建設された城で、設計は建築家ヨハン・コンラート・シュラウンが担当。
当初完成した城は質素な宮殿でしたが、1727年からミュンヘンの建築家フランソワ・ド・キュヴィイエが再建を手掛けると、城はロココ様式の豪華な造りに変身。

バロック様式の庭園・シュロス庭園はフランスの造園家ドミニク・ジラールが担当。
フランス・バロック様式の庭園では屈指の美しさを誇る庭園とされています。
ファルケンルストは鷹狩りを好んでいたアウグストが狩り用に使った邸宅で、1階の「漆の間」にある豪華な調度品、吹き抜けになった階段の壁のタイルにタカ狩りの様子が描かれています。

#7 樹齢1000年のバラが咲く「ヒルデスハイム」

樹齢1000年のバラが咲く「ヒルデスハイム」

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ニーダーザクセン州南部・ヒルデスハイムにある聖マリア大聖堂は、ドイツ初期のロマネスク様式教会として1010年から1020年にかけて建設。
1945年の空襲で完全破壊されますが、1950年から1960年の間に再建。
現在庭に残る高さ15mの野バラは第2次世界大戦中の爆撃後も残る樹齢1000年の花で、現在も花を咲かせる伝説的存在に。
長く生き延びたバラは戦火を吹き飛ばしたのです。

一方の聖ミカエル聖堂はベネディクト派の聖堂として1010年から1020年にかけて建設。
本堂の天井に残された絵は13世紀に描かれたもので、第2次世界大戦中は天井画の描かれた天井板が外され大事に保管されていました。

#8 古代ローマ時代以降の遺跡「トリーア」

古代ローマ時代以降の遺跡「トリーア」

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「トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂」は、ラインラント=プファルツ州トリーアの町に残る古代ローマ時代以降の8件の遺跡、聖堂、近隣のイゲルに残る遺跡1件で構成される世界遺産。

この中にある「ポルタ・ニグラ(Porta Nigra)」はラテン語で「黒い門」を意味でするもので、外壁の黒い石からその名が付いたとされています。
186年から200年にかけローマ市壁の北門として建設されますが放棄。
1035年にはギリシャ人隠者・シメオンを記念した「聖シメオン教会」が建設されますが1805年、フランス革命軍ナポレオンがローマ時代以外の建築物取り除きを命じて取り壊し。
1235年から1260年にかけて建てられたゴシック様式の「聖母聖堂」は、ドイツに残る様式の聖堂最古の部類に入る教会となっています。

#9 ハンザ同盟都市として繁栄「リューベック」

ハンザ同盟都市として繁栄「リューベック」

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ドイツに16ある連邦州の最北端に位置するシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属するリューベックは1143年、ホルシュタイン伯(神聖ローマ帝国の称号)アドルフ2世によって建設された街。
1226年にじゃ神聖ローマ帝国に忠誠を誓う「帝国都市」となり、中世後期にバルト海沿岸地域の貿易を独占した同盟「ハンザ同盟」の盟主に君臨。
塩漬け鰊(ニシン)などの貿易で利益を上げました。

1806年に「ナポレオン戦争」に巻き込まれると1811年からフランス帝国に併合。
第2次世界大戦後はイギリスの占領下におかれることに。
1469年から1477年にかけて造られ、旧50ドイツマルク紙幣に採用された「ホルステン門」は旧市街の入り口に立つ煉瓦造りの門。
両端は17世紀当初の都市の姿を再現した模型などが展示された博物館になっています。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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