アンネの面影を訪ねて。「アンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)」の観光情報・アクセスまとめ

ヨーロッパの十字路と呼ばれるオランダ。その首都アムステルダムに、アンネの家族が潜伏生活を送っていた家が保存されています。どんなに絶望的な状況になろうとも最後まで希望を捨てることのなかったアンネ。アンネの想いや暮らしをたどる旅は、きっと意義深い旅になるはずです。さあ、アンネに会いに行きましょう。

アンネ・フランクの生涯

アンネ・フランクの生涯

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ドイツのフランクフルトで誕生しましたが、反ユダヤ主義を掲げるドイツ労働者党(ナチス)からの迫害から逃れるため一家でオランダ・アムステルダムに亡命しました。
父親が経営していた会社の屋根裏に約2年間隠れ住み、ついにはゲシュタポに発見されて強制収容所に送られることに。
姉のマルゴットともに、ベルゲン・ベルゼン収容所に送られたのち、チフスに感染し15歳にしてその生涯を閉じました。

アンネの日記とは?

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アンネは2年間にも及んだ隠れ家生活の中で、日常のこと、家族のことなどを日記に書き続けました。
そして、彼女の死後、家族で唯一生き延びた彼女の父オットー・フランクによって出版されたのが、「アンネの日記」です。
数十カ国語に翻訳され、出版後50年以上経った今も世界中でたくさんの人に感動を与えています。
10代の女の子の心理や当時の様子が緻密に記されていて、日本でも多くの人に読み継がれている作品です。

ここを訪れる前に、アンネの日記を読み直し、アンネの心情や時代背景など頭に入れておくことをお勧めします。

アンネの日記の舞台

アンネの日記の舞台

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アンネ・フランクの一家が第二次世界大戦中ナチスの目を逃れて隠れ住んでいた家が、現在「アンネ・フランクの家」という博物館として公開されています。
この建物を管理しているアンネ・フランク財団は、アンネ・フランク一家を襲ったユダヤ人迫害を教訓に、ユダヤ人だけでなくあらゆる人種差別に反対する活動を行っています。

館内には、隠れ家に通じている入口を隠した回転式の本棚や、アンネが日記を書いていた屋根裏の部屋が、当時のまま残されています。







「後ろの家」と名付けられた隠れ家

「後ろの家」と名付けられた隠れ家

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リンセンフラハト通り263番地に、「アンネ・フランクの家」はあります。
アンネの父・オットーが経営していた会社の建物の裏に、アンネたちが身を潜める隠れ家がありました。
アンネはその隠れ家のことを、『ヘット・アハターハウス「後ろの家」』と名づけていました。
アンネ一家が住んでいたのは、「後ろの家」の3階と4階部分です。

隠された入り口

「後ろの家」の隠れ家へは、正面の建物の3階にある、本棚の後ろに隠された秘密の入口を通って入ることができます。
そして、秘密の入口を通るとすぐ右手に4階への階段があります。
外装の1、2階部分は改装されており残念ながら当時の面影は残っていませんが、内部には当時の生活を偲ぶ品がそのまま保存されています。
その一つ一つから、戦争の悲惨さが伝わってくることでしょう。

「ダム広場」を起点に

「ダム広場」を起点に

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アムステル川に築かれたダム(堤防)という名前のとおり、中央駅を中心にして多くの運河が扇状に広がっているアムステルダム。
その中心となるのが、この「ダム広場」です。
広場には、東側に白いオベリスクがそびえていて、待ち合わせのメッカでもあります。

「アンネ・フランクの家」だけでなく、アムステルダムの主な見所は徒歩でも十分回ることが可能ですが、町の中心部を網羅しているトラムを利用するとより効率的。
路線図も見やすいので、観光客も安心して利用できます。

次のページでは『「アンネ・フランクの家」へのアクセス』を掲載!
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