ローマ在住者が伝授!「ヴェネツィア広場」の観光完璧ガイド

「コロッセオ」や「フォーリ・インペリアーリ」といった古代遺跡を間近に見ることができる「ヴェネツィア広場」。ローマでは重要とされている5つの道が交わる「ヴェネツィア広場」は、人の流れが多いだけではなく、さまざまな時代の交差点でもあります。圧倒的な存在感のある「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂」を中心に広がる巨大な広場。観光前に「ヴェネツィア広場」について知っておきましょう。

「ヴェネツィア広場」とは

「ヴェネツィア広場」とは

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ローマの中心にあるのになぜ「ヴェネツィア広場?」と思うかたも多いと思います。
「ヴェネツィア広場」について詳しく見ていきましょう。

「ヴェネツィア広場」はいつできたの?

「ヴェネツィア広場」はいつできたの?

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現在の「ヴェネツィア広場」は、1885年から1911年にかけて作られました。
「国父」と仰がれたイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の功績を称えるため、息子のウンベルト一世によって建設。
無名戦士の墓でもあるため、聖地のような扱いになっています。
イタリア語では「ヴィットリアーノ」と呼ばれるこの白いモニュメント、ヴェネツィア広場の主役でありながら周囲の景観と溶けあっていないという批判を受けることもしばしば。

「記念堂」が建設される以前の「ヴェネツィア広場」には、数々の貴族たちの宮殿が建っていました。
それらはすべて取り壊され、「ヴェネツィア広場」が登場したのです。

「ヴェネツィア広場」を起点にする道はつぎの五つ。

・コルソ通り

・フォーリ・インペリアーリ通り

・ナツィオナーレ通り

・コルソ・ヴィットーリオ

・テアートロ・ディ・マルチェッロ通り

交通量が多いことでもローマでは有数の広場なのです。

「ヴェネツィア広場」の名前の由来

「ヴェネツィア広場」の名前の由来

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ローマを観光する上で基点となrる「ヴェネツィア広場」。
ローマの中心にありながら、なぜ「ヴェネツィア広場」と呼ばれているのでしょうか。

「ヴェネツィア広場」の「ヴィットーリオ・二世記念堂」を真っ正面に見て、右手にあるのが「ヴェネツィア宮殿」です。
15世紀半ばに、ヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建設されたこの宮殿は、当時は「バルボ宮殿」と呼ばれていました。
彼はのちに、法王パウルス二世となります。
一時期、ヴェネツィア共和国の大使館として使われていたため、「ヴェネツィア宮殿」が名称に。

「ヴェネツィア宮殿」は、建設された当初は現在よりも規模が大きく、カンピドーリオ方面にもう一つ小宮殿がつながっている様式でした。
この小宮殿は、「記念堂」の建設の際に広場の南西に移動。
しかし、広大な敷地を誇った「ヴェネツィア宮殿」があった場所、としてその名が残ったのです。

ヴェネツィア広場の住所・アクセスや営業時間など

名称 ヴェネツィア広場
名称(英語) Piazza Venezia
住所 Piazza Venezia, 00186 Roma
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://www.turismoroma.it/cosa-fare/piazza-venezia
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

ヴェネツィア広場のスポットページ

観光前に知っておこう!「ヴェネツィア広場」の歴史

観光前に知っておこう!「ヴェネツィア広場」の歴史

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ローマの中心にあり、「古代」と「現代」が交差する「ヴェネツィア広場」。
現在の姿になるまでにもさまざまな変遷をたどってきました。
おさらいをしてみましょう。

「ヴェネツィア広場」の成り立ち

「ヴェネツィア広場」の成り立ち

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1800年代後半、「国父」と仰がれた「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世」の功績を称える記念碑が建設されるに辺り、当時彼の地にあった建物の多くが破壊されました。
祭壇は1911年に完成しますが、1921年に新たに「無名戦士」の遺骨が埋葬されています。

「広場」の形を成すのは、記念碑完成後のこと。
記念碑の設計をしたジュゼッペ・サッコーニが、広場の概観も作り上げました。
当時ここには、トルローニア家、フランジパーネ家といったローマでも有数の貴族の宮殿が建っていました。
そうした宮殿のあいまに、ミケランジェロが息を引き取った家も残っていたのですが、すべて破壊される運命に。

そして、「ヴェネツィア宮殿」と向き合う形で建つ壮大な宮殿が「ゼネラリ保険会社」の建物です。
1902年から建設がはじまり、保険会社の75周年を記念して1906年に落成。

1924年からは「フォーリ・インペリアーリ通りが、1932年には「テアートロ・マルチェッロ通り」が、ベニート・ムッソリーニによって建設され、広場にはローマの各方面から人が流れ込むようになっていったのです。








「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂」について調べてみよう

「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂」について調べてみよう

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その大きさ、白さで、初めてローマを訪れる人をびっくりさせる「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂」。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が1878年に亡くなったあと、記念碑を設立することはそうそうに決まりましたが、場所や設計については時間を要しました。
場所が、南側にカンピドーリオの丘があり、コルソ通りの起点となる場所と決まったのが1882年。

「記念碑」の案を決めるためにコンクールを行った際には、じつに98の案が集まったそうです。
その選定に1年を要し、最終的にブルーノ・シュミッツ、マンフレード・マンフレーディ、そしてジュゼッペ・サッコーニのプロジェクトが残ることに。

選ばれたのはサッコーニ案で、彼はパレルトリーナという街に残っていたヘレニズム風の記念堂からインスピレーションを得、首都ローマの市民に向けてフォーラムのように開けた記念堂を提案したのです。

原案では、記念碑のために使われる材料は、それまでのローマの建築物の伝統に忠実にトラバーチンという石灰質の意石を使う予定でしたが、サッコーニの主張でより純白のボッティチーノという石に変えられました。
これは今でも、正しい選択であったのかという議論が絶えません。

また、建築予定地にあった建築物が破壊されたため、ローマの街の景観は「記念堂」の建設により大々的な変化を遂げました。

記念碑の主役である、「ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の騎馬像」を制作が制作されたのは1889年。
彫刻家エンリコ・キアラディアが掘り始め、完成したのは1911年。
キアラディアは1901年に亡くなったため、エミリオ・ガッローリがあとを継いで完成させました。

高さ12メートル、使われたブロンズ50トン。
当時、イタリアで活躍していた彫刻家という彫刻家がこの制作のためにローマに招聘されたそうです。

1905年、発案者のサッコーニが死去し、あとをガエターノ・コック、マンフレード・マンフレーディ、ピオ・ピアチェンティーニがつぎ、1911年6月4日、イタリア統一50周年の式典とともに、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世によって落成が祝われました。

新古典主義の純白の「記念堂」は、古代ローマの遺跡や中世、ルネサンス時代の教会や建物が残るローマとマッチしていない、という批判は、建築当時からあった模様。

2007年には「記念堂」にエレベーターが設置され、ローマの眺望を楽しめることができるようになりました。

「記念堂」の門が開いていれば誰でも見学可能ですが、「無名戦士」の墓がある聖地でもあるため、カジュアルすぎる服装をしていたり、大声でふざけたりしないようにご注意を。

「記念堂」の土台部分は、内部が「歴史博物館」に。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂の住所・アクセスや営業時間など

名称 ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂
名称(英語) Monumento a Vittorio Emanuele II
住所 Piazza Venezia, 00186 Roma
営業時間・開場時間 9:30−17:30
利用料金や入場料 無料, エレベーター:大人7ユーロ 子供3.50ユーロ
参考サイト http://www.polomusealelazio.beniculturali.it/index.php?it/244/monumento-a-vittorio-emanuele-ii
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂のスポットページ

名前の由来となった「ヴェネツィア宮殿」

名前の由来となった「ヴェネツィア宮殿」

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「ヴェネツィア広場」の名前の由来となった「ヴェネツィア宮殿」。
赤茶色の壁が特徴の宮殿は、1455年から1467年にかけて建設された、ローマでは貴重なルネサンス様式の建物。

ローマは、1527年に「ローマ略奪」という事件があり、神聖ローマ皇帝の軍隊によって多くの建物が破壊されてしまいました。
そのため、ルネサンス様式の教会や宮殿はその後のバロック様式の建築物にくらべると少ないのです。

ローマに、枢機卿として赴任し、のちにパウルス二世の名前で法王となったピエトロ・バルボというヴェネツィア人が注文主でした。
美しい宮殿ですが、設計者の名前は諸説有り。

ローマ法王の宮殿として使用されたり、ヴェネツィア大使館として使用された時期が終わったあと、1797年からはオーストリアの所有となり、1916年にイタリアの所有となりました。

1929年からは、ムッソリーニがこの宮殿の「ヴェネツィア広場」に面したバルコニーから演説を行っていたことでも有名。
ローマっ子たちは、ムッソリーニのことを「ジュリエット」とあだ名をつけてからかいました。

ファシズム時代、この窓の灯は消えることがなかったそう。
国民に、政府が不眠不休で働いていることを誇示するためだったのだとか。

現在、「ヴェネツィア宮殿」は「国立博物館」と「考古学・歴史図書館」が入っており、さまざまな美術展も開催されます。

「ヴェネツィア広場」と向き合うように建つ「ゼネラリ保険」の建物は、実は「ヴェネツィア宮殿」を模したもの。

ヴェネツィア宮殿国立博物館の住所・アクセスや営業時間など

名称 ヴェネツィア宮殿国立博物館
名称(英語) Museo Nazionale del Palazzo di Venezia
住所 Via del Plebiscito, 118, 00186 Roma
営業時間・開場時間 8:30−19:30 月曜休館
利用料金や入場料 大人5ユーロ 減免2.5ユーロ
参考サイト http://museopalazzovenezia.beniculturali.it/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

ヴェネツィア宮殿国立博物館のスポットページ

「ヴェネツィア広場」の一角にあるかわいい教会「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」

「ヴェネツィア広場」の一角にあるかわいい教会「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」

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「ゼネラリ保険会社」の建物の隣に、小さい教会があります。
その名は「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」。

1500年に、ローマの「パン職人組合」がボルジア家出身の法王アレクサンデル六世に、職人たちのための教会の建設を願い出ました。
1507年から、アントニオ・ダ・サンガッロの設計の元、建設が開始。
完成したのは1585年。

小さな教会ですが、そのシンプルな美しさは当時から評判でした。
クーポラの部分は、ミケランジェロの弟子であったジャコモ・デル・ルーカが1582年に完成させています。
内部の装飾はバロック風ですが、1500年代の貴重な教会、ぜひご見学ください。

「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」と並ぶように建てられているのが、「サンティッシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォーロ・トライアーノ教会」。
トライアヌス帝のマーケットの一角に建てられたことからこの名前がついています。
こちらは1736年から建設された典型的なバロック様式。

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