- 「真実の口」とはなに?
- 「真実の口」ってなにを指すの?
- 「真実の口」の伝説とは
- 「真実の口」へのアクセス
- 「真実の口」だけじゃない。その教会の美しさ!
- 「サンタ・マリア・イン・コスメディン」教会の歴史
- 「サンタ・、マリア・イン・コスメディン教会」のみどころ
- ローマにある「真実の口」以外の「怪人面」
- 「ジュリア通り」にある「怪人面の水飲み場」
- ルネサンス時代に作られた「怪人面」
- 「真実の口」からアクセスできる観光地
- 古代ローマ時代の戦車競技場跡「チルコ・マッシモ」
- ローマの七つの丘のひとつ「アヴェンティーノの丘」に登る
- 春限定 「アヴェンティーノの丘」に広がる「バラ公園」
- 創建は5世紀!初期キリスト教建築の面影を伝える「サンタ・サビーナ聖堂」
- 「マルタ騎士団の館」から「サン・ピエトロ大寺院」のクーポラを見る
- 「真実の口」周辺で、食べる!
- ローマの風景を眺めつつ、洗練された料理を楽しむ「リストランテ・ルーフ・ガーデン・チルクス」
- ストリート・フード感覚で切り売りピッツァを食べる「ピッツァ・アル・マッシモ」
- カジュアルレストラン、でも味は一級 「オステリア・チルコ」
- お散歩中にジェラートが食べたくなったらここ 「ジェラテリーア・アイ・チェルキ」
- 「真実の口」グッズを買うなら「三越ローマ店」へ
- ローマの街の中心からは少し外れた「真実の口」、でも見るものはたくさん!
この記事の目次
「真実の口」とはなに?

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考えてみれば不思議な名前です。
その名の由来や歴史について調べてみましょう。
「真実の口」ってなにを指すの?

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イタリア語では「ボッカ・デッラ・ヴェリタ」。
古代ローマ時代、マンホールのふたには「雨水を飲み込む」という意味をかねて、水に関わる神の顔がよく彫られていたそうです。
古代ローマの遺跡からは、「真実の口」以外にもさまざまな「顔」を彫った装飾がみつかっています。
街のあちこちの噴水や給水所に、「顔」が装飾されるのはそういった古代の伝統を踏襲しているわけですね。
古代ローマ時代には、もちろん「真実の口」などという名前はついておらず。
この名前がついたのは、中世の伝説からなのです。
オードリー・ヘップバーンが演じた「ローマの休日」では、嘘つきが「怪人面」の口に手を入れるとかみ切られてしまう、という伝説を伝えていましたね。
実際には、どこからそのような伝説が生まれたのでしょう。
「真実の口」の伝説とは

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現在は、「サンタマリア・イン・コスメディン教会」の前廊部分に置かれていますが、ここに設置されたのは1631年のこと。
しかし中世からその存在は知られており、12世紀の巡礼者用ガイドブックにはすでに「真実の口」の説明が載っているのです。
キリスト教徒の巡礼者たちにとって、ローマに残る古代の異教の遺物は大変珍しく、遺跡や遺物についての説明がたくさんあり、「真実の口」もその一つとして登場しています。
その伝説は多数あり。
1.帝政末期にある貴族の男が、一人の女性をだましました。
男は「真実の口」に呼び寄せられ、「お前は誠実か」と尋ねられます。
男は「はい」と答えますが、実際には誠実ではなかったので、「真実の口」から悪魔が飛び出して男の手に噛みつきます。
男はローマに伝わる神々の復活を誓い、ようやく手を離してもらったというお話。
2.中世ドイツに伝わる「真実の口」の伝説では、「不義を犯した女は『怪人面』に手を食いちぎられる」と伝えられている。
というわけで、相手を裏切った男や女の不実を暴き出すのが「真実の口」であるという伝説が、中世からあったのですね。
ところが、ある事件をきっかけに「真実の口」はその効力を失ってしまうのです。
中世も後期の頃、不義密通を犯したある女が「真実の口」に試されることになりました。
手を食いちぎられたくない女は、愛人にこうささやきます。
「私が『真実の口』の前に引き出される日、あなたは狂人のふりをして人々の前で私に抱きついてください」。
愛人の男は、言われたとおりに人々の前で女に抱きつきます。
女は、「真実の口」の前に引き出されると、「私を抱いたのは夫と、先ほどの狂人の男だけです」と誓います。
これは事実でしたから、女の不義密通を「真実の口」は見破ることができず、その神性を失ったのだとか。
「怪人面」とか「真実の碑」と呼ばれていたこのマンホールが、「真実の口」と呼ばれたのは1485年のこと。
それ以降、ずっとこの名前で通っています。
「真実の口」へのアクセス

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地下鉄を利用するのであれば、B線「チルコ・マッシモ駅」で下車。
駅からは徒歩で10分弱。
「チルコ・マッシモ」を横切るように歩き、鐘楼のある教会が「真実の口」がある「サンタ・マリア・コスメディン教会」です。
テルミニ駅からバスを利用するのなら170番、75番。
「真実の口」で下車できます。
また、64番、40番、H ならば、「ヴェネツィア広場」で下車し、徒歩で10分。
「ヴェネツィア広場」からは、「テアートロ・ディ・マルチェッロ通り」を道なりに。
見学時間は9:30-17:50。
教会の一角にありますから、肌の露出が大きい衣服やゴムぞうりなどのカジュアル過ぎるスタイルはNG。
また、昨年から「真実の口」の見学・撮影には2ユーロを支払うことになりました。
小銭はしっかり用意していきましょう。
真実の口の住所・アクセスや営業時間など
名称 | 真実の口 |
名称(英語) | Boca de la verdad |
住所 | Piazza della Bocca della Verità, 18, 00186 Roma |
営業時間・開場時間 | 9:30−17:00(冬期) 9:30−18:00(夏期) |
利用料金や入場料 | 2ユーロ |
参考サイト | http://www.turismoroma.it/cosa-fare/bocca-della-verita 最新情報は必ずリンク先をご確認ください。 |
「真実の口」だけじゃない。その教会の美しさ!

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「真実の口」がある「サンタ・、マリア・イン・コスメディン教会」についても勉強してみましょう。
「サンタ・マリア・イン・コスメディン」教会の歴史

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この辺りは、古代ローマ時代には首都の中枢部でした。
ギリシア神話の英雄「ヘラクレス」に捧げられた神殿があったとも伝えられています。
キリスト教会の建立がはじまったのは、伝説によれば6世紀。
古文書に残る記録では、782年に法王ハドリアヌス一世によって増築が始まっています。
当時、この地区にはギリシア人のコミュニティーがあったため、「ギリシア人地区の教会」と呼ばれていたのだとか。
実際、現在もこの教会はビザンチン典例を守るメルキ教会の運営となっています。
1118年に、この教会の司祭が「ゲラシウス二世」として法王となった際には、すでに「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」という名になっています。
「コスメディン」とは、ギリシア語で「装飾」を意味しており、ギリシア・コミュニティーとの縁の深さがわかりますね。
現在の教会の形となったのは、1123年。
1700年代には、バロック式の玄関が建築されてことがありますが、教会全体に調和しないため1800年代に現在のロマネスク様式に戻されたという歴史も。
その後も、歴代の法王たちの保護を受け、数々の修復を乗り越えて現在にいたります。
「サンタ・、マリア・イン・コスメディン教会」のみどころ

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ローマにある教会は、1527年の「ローマ略奪」のさいにその多くが破壊されてしまったため、バロック様式の教会が多いの現実。
その中で、シンプルで中世の面影を濃く残す「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」は一見の価値有り。
まず、「真実の口」を訪れる人には目印となる「鐘楼」。
七層の「鐘楼」は、典型的なロマネスク様式。
ローマの街に残るロマネスク様式の鐘楼の中でも、最も美しいといわれているものです。
内部は、8世紀の創建時に忠実に3つの身廊が。
18本の柱は、イタリア各地から集められた素材で作られています。
床や柱のモザイクは、コズマーティ様式。
12世紀から13世紀に、4世代にわたってモザイクの技を伝えたコズマ一族の工房による作品で、見飽きることのない美しさです。
コズマーティ様式のモザイクは、「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」のほか、「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」、「サン・クレメンテ大聖堂」、「サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ大聖堂」などでも見ることができます。
祭壇前にある「天蓋」は、ゴシック様式。
中央の祭壇上部や両脇に残るフレスコ画は、失われてしまったモザイクからインスピレーションを経て後世に描かれたものだそうです。
シンプルな建築と、モザイクの繊細な美しさが調和する空間ですね。