モスクワの宮殿「クレムリン」が世界遺産に至る経緯や成り立ち

ロシア連邦の首都モスクワの中心に建つ宮殿、クレムリンをご存じでしょうか。過去に王家や政府が置かれたこともあるロシアの中心地ですが、モスクワの地図を見るとこの宮殿を中心に放射状にたくさんの道路が走り、とりまくように何重かの環状線道路も走っています。なんだか日本の皇居(江戸城跡)を中心にした東京周辺の道路の形に少し似ているんですよ。他の場所や国でもこのような道路はみられますが、道路が集まる中心は都市にとって重要な場所なのは明らかですね。

クレムリンとは一体何?

クレムリンとは一体何?

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川沿いに建つモスクワのクレムリン

クレムリンは、モスクワ市内を流れる大きな川・モスクワ川のそばに、三角形のような形に築かれた城壁があり、その中に数々のきらびやかな宮殿や倉庫、官邸や、教会の建物が建てられている場所です。

12世紀に築かれはじめ、ロシアが王政だったころの名残を残すこの建物群は、その後政権がソビエト連邦に変わったときも、今のロシア連邦になってもずっと使用し続けられている、ロシアの中心的存在であるともいえる建築なんですよ。

クレムリンはロシア語では「クレムリ」と言います。
「城塞」という意味であり、つまり防衛のために建てられたお城なので、正確に言うとモスクワ以外の街にもクレムリンはたくさんあるのですが、やはり首都であるモスクワに置かれたクレムリンが一番有名なので、ただ「クレムリン」とだけ言う場合はそのことを指すのが一般的です。

最初の城塞が築かれた後にも、その時代の支配者たちによって使用されたために、その時々で新たな建築が加えられたり、時には戦争で破壊され、修復されたりして現在の形になっていきました。

クレムリンがなぞるロシアの歴史

ロシア帝国の成立するもととなった国、モスクワ大公国ではモスクワを中心におさめられ、ロマノフ朝と呼ばれる王家がおさめたロシア帝国やその全身の国、ロシア・ツァーリ国の時代には、短い間だけですが首都がモスクワに置かれたことがありました。

ロシア帝国後のソビエト連邦の時代には、クレムリンに議会の議場や指導者の執務室などが置かれ、政治の中枢となっていました。
現在のロシア連邦では、国会議事堂は別の場所にありますが、大統領府や大統領官邸はクレムリンの中の建物を使用しています。
クレムリンは古い時代から今現在まで、政治と切っても切れない密接な関係があるんですね。

現在残っている建物は15世紀から17世紀頃を中心にモスクワ大公国時代に建てられたものが一番多く、他にロシア帝国時代に建築された宮殿、それからソビエト時代の建築があります。
ロシアの歴史の移り変わりを同じ敷地内で体感できる、興味深い場所です。
クレムリンの中に建つさまざまな建築物についてと、それらにまつわる歴史上の出来事や人物についてお話していきたいと思います。

クレムリンで最も古いウスペンスキー大聖堂

クレムリンで最も古いウスペンスキー大聖堂

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イヴァン3世が建てなおさせたウスペンスキー大聖堂

クレムリンの中に建つウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)は、1475年から1479年の間に建築された、現存する中で最も古いクレムリンの建物です。
それ以前の14世紀からおなじ場所にウスペンスキー大聖堂の古い建物があったのですが、老朽化や地震によって建物が壊れてしまったので、モスクワ大公イヴァン3世の時代にたてなおされました。
イタリアの有名な建築家をまねいて建築をまかせて出来上がった大聖堂は、イタリアの古典風ルネサンスデザインと、ロシア風の伝統的な建築デザインを合体させた、明るい雰囲気の傑作に仕上がったのです。
たくさんの宗教画で飾られた美しい内装を今でも見ることができます。

この建築の命令をした、モスクワ大公国の支配者であったイヴァン3世は、当時さまざまな支配者によって小さく分裂していた近隣の地を一つにまとめあげて、その後のロシアが大きく成長する基盤を作った人物です。
武力による侵略で支配権を得る以外に、自らや家族の婚姻関係により他国との友好関係を築いたり領地を支配下に置くという方法をたくみに使いました。

タタールのくびきを終わらせたイヴァン3世の功績

また、1240年にモンゴル国家のキプチャク=ハン国によってキエフ公国(現在のウクライナのあたり)が滅ぼされて、240年ほどの間支配下に置かれた状況をロシア側からの視点では「タタールのくびき」と呼びますが、その状況からモンゴル勢力を撤退させて土地を開放した、ということがイヴァン3世の業績として残っています。

その当時のモンゴル国家は、初代モンゴル皇帝チンギス=ハンが作った国で、複数の国が複合した巨大な帝国でした。
キプチャク=ハン国はそのうちの一つの国です。
もともと遊牧民であるモンゴル民族が得意だった騎乗技術や狩りの技術を戦いに応用した、強力な軍を持っていたので大きく勢力を伸ばしたのですね。
反対にそのときのロシア・モスクワ大公国は、モンゴルとはくらべものにならないくらい小さい国だったので、モンゴルからの支配を脱するというのは大変なことだったのです。

イヴァン3世は、支配領域の拡大やキプチャク=ハン国からの支配の開放以外に、近代になってからは時代に合わない体制となってしまうとはいえ、貴族によるロシア式の官僚制度や農奴制など長年にわたって使用される制度の基礎を築き、国家を繁栄させるいしずえとなった名君と言われています。

グラノヴィータヤ宮殿で祝典を行った雷帝

グラノヴィータヤ宮殿で祝典を行った雷帝

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グラノヴィータヤ宮殿と雷帝イヴァン4世

クレムリンの宮殿の一つ、白い石張りの外壁が美しいグラノヴィータヤ宮殿は、こちらもモスクワ大公イヴァン3世の時代、1481年から1491年にかけて建築されました。
戦勝記念など公式の式典を行うときに使用されたそうです。

グラノヴィータヤ宮殿は、雷帝と呼ばれるモスクワ大公イヴァン4世が揚げた戦勝記念の祝典にも使用されました。
このイヴァン4世の時代から、国の名前はロシア・ツァーリ国となりました。
彼はイヴァン3世の孫にあたるのですが、東方への領地拡大という功績はのこしたものの、たくさんの拷問と虐殺を伴った残虐な恐怖政治を行ったことで知られています。

イヴァン4世は3歳のときに、父親のモスクワ大公ヴァシーリー3世が亡くなったことで跡継ぎとして大公に即位しますが、もちろんまだ幼いので後見人として貴族たちや母親が政治を行いました。
しかし8歳のときには母親も亡くなってしまい、権力争いに巻き込まれた状況で育ったのです。
彼は君主たる者としてよく勉強をし、信仰心も篤い青年に育ちましたが、ときには犬を塔の上から投げ捨てるなどの残酷な遊びを楽しんだり仲間とつるんで市内を暴れまわったりという気性の激しい一面もありました。

雷帝イヴァン4世の暴虐

イヴァン4世は大人になってからも気性は激しかったものの、妻のアナスタシアがうまくそれをとりなしていました。
しかしアナスタシアが亡くなったことをきっかけに、ひどい疑心暗鬼と憎悪を暴発させて、ただ疑わしい、気に食わないというだけで、誰でも根拠なく拷問にかけて殺すということを繰り返しました。
ツァーリズムと呼ばれるロシア型の絶対君主体制……つまり君主の言うことは絶対であるという状況を、貴族であっても逆らえば殺す、逆らわなくても殺す、という恐怖で固めたのですね。
「雷帝」という通り名は、その権力の強さと恐ろしい性格を持っていた、ということを表しています。

また、国土の中にイヴァン4世個人の私有地を作るというオプリーチニナ計画を言い出し、そこをおさめていた貴族たちから、経済や交通の要所などの重要な土地ばかりを取り上げて自分のものにしてしまいました。

1570年にはノヴゴロドという都市が反逆を企てていると決めつけて5週間にもわたる大量虐殺を行ったという記録もあります。
この虐殺の後に、モスクワまで反逆者とされた一部――といっても300人もいたのですが――を連れ帰り、改めて残酷な公開処刑を行いました。
祖父とは対極に、そのような暴政を続けたことで国の経済を悪化させてしまったのです。

武器庫と呼ばれるクレムリン博物館

武器庫と呼ばれるクレムリン博物館

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どうして武器庫が博物館に?

クレムリンの城塞内の南西の壁に隣接した建物、武器庫という名前ですが、現在は帝政時代の宝物を展示する博物館として使われています。
ここは実際に武器庫として使われていたのですが、ロマノフ朝ロシア帝国初代皇帝のピョートル1世が、クレムリンのあるこのモスクワからロシアの西端に近いサンクト・ペテルブルクに首都をうつしたので、中身の武器や武器職人たちも一緒にそちらに移動をして空き倉庫になったところを宝物庫として再利用したことから、現在はこのように使われているのだとか。

ピョートル1世はモスクワ大公として即位した後、ヨーロッパ方面へ勢力を伸ばして、戦争に勝った記念として国の名称をロシア・ツァーリ国からロシア帝国へと変更しました。
占領した西の海際の土地に新しい首都を建設させたのですが、その「サンクト・ペテルブルク」という名称はドイツ語で「聖人ペテロの街」という意味で、ペテロという名前は英語ではピーター、ロシア語でピョートルとなるのです。
つまり聖人になぞらえて自分の名前を首都につけ、自分の権威を示したのですね。

同時に存在した二人の統治者

クレムリンの博物館には、皇帝が治めていた時代の権力や財力を示すような美しい装飾がほどこされた宝物や実用品がたくさん収蔵されていますが、その中のひとつに、二人が同時に座れるように作られた玉座があります。

政権争いにより、11歳のときのピョートル1世と、その兄のイヴァン5世が同時に即位している状態になったのだそうです。
ピョートルは幼くしてすでに即位させられていたのですが、体が弱く後継者候補として重視されていなかったイヴァンを持ち上げて実権を握ろうとする派閥が、無理矢理イヴァンを即位させたのでした。
実際にはイヴァン派の姉ソフィアが摂政として政治を行ったので形式的にというだけですが、こうして二人の皇帝が同時に存在したわけです。
なんだか不思議ですね。

後にソフィアがピョートルの暗殺を企てたので追放され、イヴァンも若くして亡くなってしまったので、ピョートルが単独の皇帝となって政治の実権を握ります。
こうしてピョートルのその後のさまざまな業績につながっていくのですが、意外にもピョートルは病弱な体を押して皇帝としての儀式などを行っていた兄イヴァンを尊敬していたといいます。

アルハンゲリスキー大聖堂とピョートル2世

アルハンゲリスキー大聖堂とピョートル2世

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