日本人の起源はバイカル湖周辺から来た説!?バイカル湖の歴史

ロシア中南部にある三日月形の湖、バイカル湖をご存じでしょうか?
その景色の美しさと、ありのままに残っている自然の貴重さが認められて世界遺産に登録された湖なのですが、日本人の起源はバイカル湖周辺から来たもの、という説もあるそうです。一言、「ロシアにある湖です」と言うと一見われわれ日本人とは関係なさそうに思えますが、もしかしたら起源がそこにあるかも…なんて、なんだか親しみをおぼえませんか? そんなバイカル湖の自然や、バイカル湖にまつわる歴史的な出来事について触れたいと思います。

バイカル湖が持つさまざまな記録 

バイカル湖が持つさまざまな記録 

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数値から見ても壮大さがわかるバイカル湖

バイカル湖の誇るべきところは、自然があふれ景観がすばらしいという点だけではなく、現在三つの世界一記録を持っています。
その三つとは一体何でしょうか?

一つ目は、現存する中で世界一古い湖ということ。

二つ目は、世界一水が透明な湖ということ。

三つめは、世界一深い湖であるということです。

世界一の記録というだけであればこの三つにしぼられますが、バイカル湖の規模の大きさはこれだけではありませんよ。

湖面の面積は31,722平方キロメートル(なんと日本の滋賀県にある琵琶湖の約46倍の面積!)もあり、世界一ではないものの淡水湖だけで比較した場合はアジア一の面積を持つのです。

また、淡水湖だけでの記録に限れば、実は貯水量も世界一であったりもします。
貯水量の記録については、全ての湖の中での貯水量ランキングは東ヨーロッパと中央アジアの境界にあるカスピ海が世界1位、バイカル湖は世界2位なのですが、カスピ海は塩湖に分類されるために国によっては湖ではなく海であるとみなしている場合もあり、そのような国ではバイカル湖が貯水量世界一の湖として記録されています。

バイカル湖、特筆すべき三つの世界一

世界で最も古い古代湖と言われているバイカル湖。

古代湖、というほどですからとても古い時代からある湖なのですが、具体的に言いますと10万年以上存在が続いている湖のことを古代湖と呼ぶのだそうですよ。
世界でも古代湖は20箇所程度しか存在していない、珍しい湖なのです。

そして、かつては日本の摩周湖の透明度が世界一だった時期もあったのですが、今ではバイカル湖が世界一の透明度の記録を持っています。

その景観のすばらしさからバイカル湖は「シベリアの真珠」とも呼ばれており、冬には気温がマイナス30度を下回るせいで全て凍ってしまった湖面が、春が来て雪解けの季節には表面がひび割れ、ガラスや宝石のようにキラキラとした透明な氷が天に向かって立ちのぼる美しい様子も見られます。

また、バイカル湖の水深は1600メートル以上。
もともとは海溝だったものが長い年月をかけて淡水湖に変化していったと考えられています。
海溝は海の底の海洋プレート同士の境目が深く沈みこんでいく場所なので、世界一深い湖であるというのも納得ですね。
しかもこの深さは今も成長しており、今後長い年月が経てば再び海とつながるという説もあるそうです。

バイカル湖周辺の自然や生物

バイカル湖周辺の自然や生物

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バイカル湖の成立と自然

さて、古代湖のバイカル湖はなぜ10万年もの間消えずに残っているのでしょうか? 一般的な湖や沼は流れ込む土砂などによって数万年もすれば埋まってなくなってしまうというのですが、プレートの境目であるバイカル湖の底が今でも沈み込み続けていることにより、なくならずに湖としての存在を保っているのです。

「バイカル」とはロシアの公用語の一つ・タタール語で「豊かな湖」という意味であり、その名の通り、湖や湖周辺に生息する生物の種類が非常に豊富な場所で、エクアドルのガラパゴス諸島と並ぶ「生物進化の博物館」とも呼ばれています。

寒冷で栄養素に乏しいにも関わらず、生息する生き物は1300種を超え、特にこの地域でしか見ることができない固有種の数は1000種を超える多様さです。
本格的な調査は1980年代後期に始まったばかりで、まだ確認されていない種の生物も少なくないと考えられています。
そんな豊かな自然をたたえるバイカル湖ですが、近年では周辺の工場などから流れ込む汚染水などで水質が悪化していることが問題になっており、腫瘍を患うアザラシや絶滅の危機に瀕している固有種もいるのです。







バイカル湖は悪魔の湖? 危険な水域の存在

2011年6月に、4人の男性乗組員が乗った遊覧船「ヤマハ」がバイカル湖に出たまま戻らず、捜索隊が結成されるも見つからないというニュースがありました。
乗組員は全員経験豊かな水夫で、新しいモーターを試すために水上に出ただけなのですぐに戻る予定でした。
「ヤマハ」が消えたとされる水域の近くには、バイカル湖で最も水深が深い「悪魔のクレーター」と呼ばれる水域があり、晴天で落ち着いた日に突然ぐるぐると水が渦を巻き出し、まもなく大きなクレーター状になり、人や船を飲み込むと昔から語り継がれていました。

この水域の近辺で消える船や人々は実際に多いらしく、地元住民でも今までどれくらいの人数が消えたかわからないと話します。
バイカル湖の漁師たちは、しばしば湖のさまざまな場所で列車や古城、歴史上の船を見ることがあるという証言をしています。
科学者たちは蜃気楼だと分析しているのですが、その蜃気楼が現れると船舶の機器に異常を起こす磁気障害が発生し、ナビゲーションが利かなくなって船は進路を見失うといいます。

地元の人々は、このクレーターは「死んだ罪人の魂が地獄に行く隙間の開き」だと主張しています。

モンゴルの文化と歴史が深いバイカル湖

モンゴルの文化と歴史が深いバイカル湖

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モンゴル皇帝チンギス・カンのルーツ

湖の周辺には古くからモンゴル系民族のブリヤート人が住んでいたという記録があり、近辺で出土した弓の形式からイラン系民族のスキタイとの関係があるとされています。
しかし11~12世紀頃にはモンゴル族の影響を受けた文化に変化していきました。

13世紀におこったモンゴル帝国の初代皇帝チンギス・カンの祖先はバイカル湖の周辺から移動してモンゴル高原で発展した遊牧民・モンゴル族です。
チンギス・カンの生涯をつづったモンゴルの歴史書『元朝秘史』には、チンギス・カンの祖先は天の命令を受けてバイカル湖のほとりに降り立った『蒼き狼(ボルテ・チノ)』と呼ばれる男とその妻『青白き鹿(コアイ・マラル)』であると書かれています。

チンギス・カンがモンゴル帝国を築いたのは何代も後ですが、ボルテ・チノの子孫モンゴル族が有力な集団に成長してきたのがちょうど11世紀頃なので、バイカル湖周辺にモンゴル文化が広がったのは逆輸入のような形になっているのがおもしろいですね。
バイカル湖の中ほどに浮かぶオリホン島の頂上に残されている五徳と大きな釜はチンギス・カンのものだという伝説も存在しています。

バイカル湖畔に住むブリヤート人と日本人の関係

一説にはバイカルの湖畔に日本人の起源があるとも考えられています。
湖周辺に住むブリヤート人と日本人の遺伝子を調べた結果、二つの民族の遺伝子構成が非常に近いことがわかりました。
共通する遺伝子のパターンの特徴は、バイカル湖畔・ブリヤートを中心にして、モンゴル、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、イヌイットの人々によく見られるとのことです。

バイカル湖の周辺には3万年前から2万年前頃の遺跡があり、そこで寒冷な気候に適応した後に周辺地域に広がっていったと考えられています。
何故この地域に人類が住み着いていたのかというと、バイカル湖は周辺沿岸地域と比較すると暖かい気候を持ち、水生生物も豊富なので食料に困らない、という理由があったようです。
とはいえ冬は氷点下2桁の温度の世界なので、あくまでも周辺地域に比べ暖かいということで、過酷な環境には変わりないのですが…。

別の一説ではブリヤートの人々が直接日本人の祖先にあたるのではなく、別の共通祖先が他のところにいてそこから枝分かれをしたという可能性も提示されているので、バイカル湖が日本人の起源と決まったわけではないのですが、バイカル湖の周辺に住む人々と日本人はとても遠い親戚にあたるということですね。

次のページでは『バイカル湖のほとりに育ったブリヤート共和国』を掲載!
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