世界中で親しまれる国民的スポーツ・サッカーが歩んできた歴史とは?

競技人口が世界で第2位の2億5,000万人(1位はバスケットボールの4億5,000万人)とされている世界的スポーツであり、日本でも多くの人々がプレーする「サッカー」。4年に1度開催される「ワールドカップ」は世界を代表するビッグイベントとなっており、多くの熱狂的ファンが盛り上がる光景を1度は見たことがあるでしょう。それではそんな世界中の人々を魅了する「サッカー」はどのような歴史をたどってきたのでしょうか。


恐ろしい歴史から始まった

恐ろしい歴史から始まった

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サッカーの歴史は恐ろしいゲームから始まっていました。
8世紀頃のイングランドでは戦争で勝利した人々が敵軍の将軍の首を取り、その首をボールのようにして蹴っていたと伝えられています。
この首蹴りは王妃が将軍の首に見立てたボールを投げ、隣町の門に向けて蹴り合う「モッブゲーム」に進化。
最初の首蹴りはもちろん恐ろしいですが、後者のゲームも現代であれば「楽しんでできるか」は難しいところですね。

その他ではイタリアにおいては8世紀以前に宮廷の門の前でボールを蹴り合い賞金獲得を狙う「カルチョ」が流行。
こちらはイングランドの「首蹴り」に比べれば「スポーツ色」が強めと言えますね。

イタリアではその後13世紀から14世紀にかけて楕円形のボールを相手陣地に運んで得点を競う「カルチョ・ストーリコ・フィオレンティノ」と呼ばれるスポーツが誕生。
このスポーツは各チーム27名のプレーヤーが陣地に向かうまで激しい殴り合いを展開するスポーツで、サッカーと似ているところはあっても「別物」のスポーツになっていますね。

「サッカー」の誕生

「サッカー」の誕生

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格闘技の色合いが強く残っていた試合形式にルールが設定され始めたのは、1800年代のイギリスからでした。
1848年に世界屈指の名門大学・ケンブリッジ大学において策定された「ケンブリッジ・ルール」は現行ルールに規定されている「ゴールキック」「スローイン」の許可、「手を使用すること」を禁止するなどの項目が盛り込まれることに。
ルール策定から9年後の1857年には「シェフィールド・フットボール・クラブ(現在はアマチュアリーグのノーザン・プレミアフットボールリーグに所属)」が創設され「世界最古のクラブ」として認定。

そうした時代の中では「手を使うこと」を許可する派と制限する派で論争が起こっており、ルールを統一する動きが高まることに。
そして1863年、先に成立していた「ケンブリッジ・ルール」をもとにしてルールの策定が行われ、世界最古のサッカー協会となる「フットボール・アソシエーション(FA)」が設立。
「サッカー」という言葉が生まれたのはこの頃で、イギリスのパブリックスクール生徒、大学生たちによって言葉が短縮され「Association Football」から「Soccer」になったと言われています。

世界最古のサッカー大会が開始

世界最古のサッカー大会が開始

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FAが設立されてから8年後の1871年、FAが主催する大きな大会が始まることに。
この年にFAが関わる大会が開催されるべきとの声が挙がったことから始まった大会が「FAカップ」で、現在まで開催されている世界最古のサッカー大会に。
FAに登録しているクラブはプロ・アマ問わず参加可能な大会であり、上位クラブを下位クラブが倒す「ジャイアント・キリング」が起こる大会でもあります。
第1回大会は当時のワンダラーズFC対ロイヤル・エンジニアーズの間で決勝が行われ、1-0でワンダラーズFCが優勝。

1872年11月30日にはスコットランドでイングランド代表対スコットランド代表の試合が開催され、これが世界初の国際試合に。
試合は両チーム得点が入らないまま無得点での引き分けで終わっています。

1888年にはアストン・ヴィラFC(現在は2部フットボールリーグ・チャンピオンシップ所属)の経営陣であったウィリアム・マグレガーと12のクラブがロンドン、マンチェスターで開催された会合に参加。
ここから創設されたリーグが「フットボール・リーグ」となり、これが現在まで続く世界屈指のサッカーリーグ「プレミアリーグ」につながっていきます(プレミアリーグは1992年に20クラブがフットボール・リーグを離脱後新たに創設)。

FIFA設立・ワールドカップの開始

FIFA設立・ワールドカップの開始

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サッカーの創設後は世界中にサッカー人気が広まり、世界規模の大会を行うためには大きな組織の構築が必要になりました。
そうした流れの中で1904年に設立されたのが「FIFA(Fédération Internationale de Football Association、国際サッカー連盟)」であり、FIFAにはオランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーのヨーロッパ8カ国が加盟。
その後は加盟国を次々に増やし、1905年にはイングランド、1909年にはヨーロッパ以外の国として初の加盟国となる南アフリカサッカー協会、1912年にはアルゼンチンサッカー協会が加盟し、現在では211の国が加盟する巨大サッカー組織に。

1908年にはこの年開催された「ロンドン・オリンピック」の正式競技としてサッカーが実施(イングランドが金メダルを獲得)、そして1930年になると13か国が出場した「FIFAワールドカップ」がウルグアイで初開催。
開催国ウルグアイ記念の第1回大会を制し、2014年大会で開催回数は20回目に。
現在までブラジル代表ワールドカップ最多となる5回優勝を果たしています。

日本へ伝わった時代はいくつか説あり

日本へ伝わった時代はいくつか説あり

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日本においてサッカーが伝わった時代は有力な説がいくつか存在しています。
挙げられるのは1866年に横浜市山手でイギリス軍が行った試合、1872年に神戸市の外国人居留地で行われた試合、1873年に東京市京橋区築地で海軍兵学寮教師をしていたイギリス海軍中佐アーチボルド・ルシアス・ダグラスが紹介した説などが存在。

時代が明治に入った1870年代になると国民、軍人の肉体強化、軍事教練を行う「富国強兵」政策の一環として取り入れられるようになり、1879年に体育教員・指導者の養成機関として設立された「体操伝習所」の教師・坪井玄道が著書『戸外遊戯法』の中で使用した「フートボール」の名前を使用。
当時のサッカーに対する考えは「遊び」よりも「鍛錬」の要素が強いのですね。

日本にサッカーが伝わると主に近畿地方で盛んに行われるようになり、神戸市の御影師範学校(かつて日本に存在した教員を養成する学校)でサッカーが行われるようになると、近畿地方がサッカー先進地とされるように。
次第にサッカーが全国の師範学校に広がるようになると1918年(大正7年)には大阪府豊中村(現豊中市)の豊中グラウンドで「第1回日本フートボール優勝大会」が開催。
この大会は現在まで続く「全国高等学校サッカー選手権大会」へと発展していくことになります。

女子サッカー最古の記録は1895年

女子サッカー最古の記録は1895年

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女子サッカーについて最初に記録が残されたのは1895年に行われた北イングランド対南イングランドによる試合。
試合に出場した女子選手は頭に帽子をかぶり、深い靴、ブルマを履いてプレーしたとされており、サッカーが成立してから約30年後には女性の間にも広まっていたのですね。

しかしこうした盛り上がりに対して快く思わなかったのは「フットボール・アソシエーション(FA)」の人々でした。
サッカーを「好戦的なスポーツであり、男性のためのスポーツである」と考えていたため、1902年になると傘下のクラブに対し女性との試合を禁止する旨を通達。
何の根拠があってこの通達を出したかはわかりませんが、現代であれば「性差別」になりかねない判断ですね。

その後1914年に第1次世界大戦が勃発すると女性のサッカー熱は高まりを見せるようになり、大戦終結後もその熱が収まることはありません。
しかしその際も女子選手に対する冷遇は続き、1921年にはFAから「女子チームに対してグラウンドの貸し出しを禁止する」命令が通達。
この禁止令通知は第2次世界大戦後の1954年にはオランダサッカー協会 (KNVB) 、ドイツサッカー連盟 (DFB) でも行われることとなり、この頃は「女性がサッカーをする」だけでも厳しい時代ですね。

しかし1960年代にアメリカで女性解放運動「ウーマン・リブ」がさかんになると、女子サッカーは再び盛り上がり始めることに。
そして1970年にFAが「グラウンド使用禁止の通達」を解除するとオランダ、ドイツもその後を追い解除、1971年には初めての国際試合となるフランス対オランダを開催するに至ります。

日本の女子サッカーは大正期が始まり

日本の女子サッカーは大正期が始まり

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日本における女子サッカーの歴史は大正時代が始まりとされており、2010年に香川県丸亀市立市資料館で見つかった「運動会」と書かれた写真には「香川県立丸亀高等女学校」の生徒たちがはかま姿でボールを追いかける様子が残されています。
ユニフォームではなく「はかま姿」であるところが時代を感じさせますね。

その後1960年代から日本でもサッカーを行う女性が増え始め、1966年に神戸市立福住小学校で「福住女子サッカースポーツ少年団」が誕生すると、神戸女学院中学部3年生によるチームも誕生。
1980年には女子サッカーのカップ戦となる「全日本女子サッカー選手権大会(現在の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会)」が開始。

国際大会の場へ顔を出し始めたのもこの頃で、1978年には「第2回AFCアジア女子選手権」へ日本女子サッカー初のクラブチーム「FCジンナン」が出場、1981年には正式な日本女子代表チームが結成され、9月には神戸市での「ポートピア81」関連事業として神戸市の中央競技場でイングランド代表、東京の国立西が丘サッカー場でイタリア代表と対戦することに。
1989年には日本女子サッカーのトップリーグ「日本女子サッカーリーグ(1部は「なでしこリーグ」の名で知られる)」が設立され、このあと2011年の「第6回FIFA女子ワールドカップ」優勝につながっていくのです。

次のページでは『1980年代に生み出された「ブラインドサッカー」』を掲載!
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Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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