美しい白亜の城郭『白鳳城』こと伊賀上野城!その歴史と見どころ

三重県伊賀市。忍者の里として有名ですが、そこに築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)が大修築した未完の堅城である伊賀上野城があります。伊賀上野城は、美しい白い三層の城郭が鳳凰が翼を休めているように見えるため、別名『白鳳城』とも呼ばれています。現在私たちが見ることが出来る3層3階の天守は昭和10年に復元されたものですが、石垣と内堀は、藤堂高虎が築城した当時のまま残っています。今回は、伊賀上野城の築城の歴史と見どころについてご紹介します。


伊賀上野城の歴史

平安時代から戦国時代の伊賀上野城とは?

平安時代から戦国時代の伊賀上野城とは?

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伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある標高184mほどの丘陵の上に築かれている平城です。
しかし、もともと城が建てられていたわけでなく、上野山平楽寺という平清盛が造営したと伝えられる真言宗の古刹がありました。
後白河法皇後の勅願により建てられたこの寺は、最盛時には広大な敷地に七堂伽藍があり、数百人という屈強な僧兵がいたと言われています。
権力のある伊賀の土豪・地侍でさえ、平楽寺の荒法師と出会えば道を譲ったと言われるほど権勢を誇りました。

しかし、1581年(天正9年)に天下布武を目指した織田信長による伊賀攻めで、伊賀の国はほぼ全域がすっかり焼け落ちて跡形もなくなり、焦土に帰してしまいました。
このとき、平楽寺も破壊され焼き尽くされてしまったと言われています。
この天正伊賀の乱の際に、戦国武将である滝川雄利(たきがわ かつとし)は伊賀の豪族に策略をめぐらして結束力を弱めて勝利に貢献し、平楽寺の跡に砦を築き伊賀上野城の基礎を築きました。

初代上野城藩主・筒井定次の上野城

初代上野城藩主・筒井定次の上野城

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織田信長亡き後に天下統一を目指した豊臣秀吉は、大阪城を中心とした大名配置を行います。
まず異父弟の羽柴秀長を大和郡山に置いて大和・和泉・紀伊の三国を治めさせます。
そして、大和郡山の領主であった筒井定次(つついさだつぐ)を、伊賀国に移し初代上野城藩主としました。
1585年(天正13年)に伊賀に入国した筒井定次は、室町時代の旧伊賀守護仁木氏の城館跡に仮館を建て、平楽寺などの寺院跡に新しく城を築きました。
それが、伊賀上野城です。

筒井定次は、まず高丘の頂上に本丸、本丸の東寄りに三層の天守閣・殿門を整えました。
本丸の東側の高丘とは濠を切り開いて区切り、西寄りに二之丸、北の山の下に三之丸を配し、三之丸の北谷口を大手としました。
城下町は古くから開けた北側を中心としました。
これが筒井定次が築いた最初の点天守閣のある伊賀上野城です。

筒井定次が上野城藩主に長く留まることはできませんでした。
1600年(慶長5年)の天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康側である東軍に味方し、徳川家康から伊賀の所領を安堵されていました。
しかし、1608年(慶長13年)に筒井騒動というお家騒動を起こし改易され、筒井定次は切腹となってしまいます。
そして、徳川家康は 藤堂高虎を伊予今治から伊賀・伊勢両国の領主と決めます。

築城の名手・藤堂高虎の伊賀上野城

築城の名手・藤堂高虎の伊賀上野城

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伊予宇和島城主であった藤堂高虎は、伊賀10万石・伊勢10万石・伊予2万石の合わせて22万石を与えられました。
藤堂高虎は、徳川家康の信頼厚く築城の名手として有名でした。
筒井定次の城が大坂を守る形をとっていたのに対し、藤堂高虎は、大坂城の豊臣方との決戦に備えるため伊賀上野城を改築していくことになります。

藤堂高虎は、平和な時の居城は安濃津城、非常事態の時の居城はこの伊賀上野城と考えて城の大改修をおこないます。
そのため、伊賀上野城の本丸は安濃津城の2倍の広さとし、自然の地盤を利用して濠を深くし、石垣も高く設計し、高さ約30mの高石垣を巡らせました。
南側に二ノ丸を築き、外郭には、10棟の櫓と長さ21間(約40m)という大きなな渡櫓をのせた東西の大手門や御殿などを建設しました。
また、城下町を南側へ移動させ、完全に武装した軍備の町と伊賀上野城を変化させていくのです。

そして、城の中心となる本丸の天守閣は、筒井定次が建設した天守閣を西側に移動し、新たに5層の天守閣を建設することを考えます。
藤堂高虎は、それまでの居城だった伊予今治城の天守閣をこの伊賀上野城に移築しようと計画しますが、江戸時代のインフラ工事の意味を持つ天下普請となった丹波亀山城に献上することになり、伊賀上野城には10mの基台を築いた上に新しく天守閣が建設されました。
しかし、1612年(慶長17年)に建設した天守閣が、大暴風で、完成寸前に倒壊してしまいます。
その後、大坂の陣で徳川家康の東軍の勝利となり、大阪の豊臣氏は滅亡します。
そのため、堅固な城が必要なくなり、伊賀上野城の大改修は中止され天守が再建されることはありませんでした。

藤堂高虎は、徳川幕府の時代になると交通の便利が良い安濃津城を本城とし、伊賀上野城を支城とします。
一国一城令で伊賀上野城は伊賀の城として認められ、藤堂高虎は弟の藤堂高清を城代とし未完成の伊賀上野城を引き継がせることになります。
そして、1825年(文政8年)に最後の城主となる藤堂高猷まで伊賀上野城は藤堂氏が代々世襲しました。

藤堂高虎が大規模に改修した目的は、豊臣との戦の際に徳川家康が不利となった場合、この城で籠城する時に備え、細部の完備や美観を整えるより実戦で使えるようにするためでした。
藤堂高虎は、伊賀忍者に命じて58カ国の148城を密かに忍ばせて、城の見取り図などを盗写させ、伊賀上野城を改修の参考にしたという伝承が残っています。
このように、伊賀忍者がこの伊賀上野城の築城に大きく関係していたのかもしれませんね。

明治から現代へ新たな伊賀上野城

明治から現代へ新たな伊賀上野城

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江戸から明治になると、日本中の城は無用の長物となります。
明治政府は、各地にある城のうち、軍事施設などに使用できる58城を残し144城の廃棄を決定します。
伊賀上野城もこの廃棄処分の対象となってしまい、他の多くの城と同様に石垣の上に築かれていた構造物の多くが取り壊されてしまいました。
その後、伊賀上野城は小高い丘に位置していたため、使い道も特になく城跡は草に覆われた状態のまましばらく放置されることになります。

伊賀上野城が、転機を迎えるのは1896年(明治29年)に伊賀出身の実業家・田中善助の公園計画です。
田中善助は、城跡の周辺を整備して公園として開放し、地域住民の憩いの空間に変えます。
その後、1935年(昭和10年)に伊賀市生まれの衆議院議員・川崎克(かわさき こく)の私財と多くの支援者の協力で現在の天守閣が再建されます。

天守閣復興計画は、天守閣を鉄筋コンクリート様式で行なうことをすすめる人もいたが、川崎克は木造建築にこだわったと伝えられています。
西洋建築に憧れる時代なればこそ、あえて日本精神を大切に日本建築の美を尊ぶ心からだったと言われています。

天守閣の再建資金は、川崎克が所蔵していた古書画や古陶器の売却代金や三重県南牟婁郡の山林家のからの木材提供などでした。
そして、天守閣は1935年(昭和10年)10月18日に完成します。
川崎克は、”攻防作戦の城は亡びることもあるが、産業の城は人類生活のあらん限り不滅”との信念があり、この城を市の産業陳列館として「伊賀文化産業城」と名付けました。

1967年(昭和42年)にこの伊賀上野城は国の史跡として指定され、2006年(平成18年)には日本100名城の一つとして選定されました。
今もその白亜で優雅な姿から「白鳳城」と呼ばれ、我が国最後の木造の城として大変人気のある場所となっています。

伊賀上野城のみどころ

日本一の高石垣

日本一の高石垣

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伊賀上野城の最大の見どころはやはり日本一といわれる高石垣です。
1611年(慶長16年)に藤堂高虎が、この伊賀上野城を大改築したときに現在の石垣を築いてと言われいます。
東側を除いた三方に高く積まれた石垣は打込はぎ技法で積まれており、総延長が320mに達し、高さは根石から約30mもあり、大阪城と並んで日本一の高さと言われいます。

現在、石垣の縁は一部の箇所を除いてフェンスがありません。
端に立って下を覗くと、マンション10階くらいの高さですので足がすくみます。
伊賀忍者でもこの石垣を昇るのはなかなか難しいのではないでしょうか?この石垣は、黒澤明監督の代表作である映画「影武者」やテレビドラマのロケ地などにもなっています。

Writer:

二児の母。自他共に認める「歴女」。寺社仏閣巡りが趣味。大学時代は、巫女バイトに励み神社の驚愕の裏側を知る。主人の仕事で、ニューヨーク、カリフォルニアに5年間住むことになる。ナショナルパークなどの世界遺産の素晴らしさを実感。ライターという仕事を通して、歴史や世界遺産の素晴らしさを多くの方と共有できれば幸いです。

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