成り立ちから内部混乱・人気観光地になるまで「コロンビア」はどのような歴史を歩んだのか?

南アメリカ北西部に位置する国で、ラテンアメリカではブラジル、メキシコに次ぐ第3位の人口を誇る国「コロンビア共和国(通称コロンビア)」。現在では観光の人気都市に挙げられる国になったコロンビアですが、かつては支配下時代、国内の暴動など多くの混乱時代があり、人気観光地になるまで波乱の歴史を歩んできました。それではその「コロンビア」は成り立ちから現在までどのような歴史を歩んできたのか見てみましょう。

起源は紀元前の時代

起源は紀元前の時代

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コロンビアの歴史の始まりは紀元前10450年頃。
現在の首都・ボゴタ近郊にある「エル・アブラ」遺跡で先史文化(人間の歴史で文字をもたず,文字による史料が残らなかった時代)の始まりが見られ、紀元前1000年には先住民族グループにより首長による首長制国家群「カシケ」が発展。
これは南アメリカでは「インカ帝国(ペルー、エクアドルなどに住むケチュア族が作った国)」に次ぐ優秀な行政システムとされています。

その後1500年になるとロドリゴ・デ・バスティダスに率いられたスペイン人探検家がカリブ海沿岸を訪れ、1502年にはのちに「新大陸」発見を果たす探検家クリストファー・コロンブスがカリブ海、チョコ(コロンビア西部・太平洋地方の県)西岸を航行。
1513年にはスペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアがヨーロッパ人として初めて太平洋に到達、到達した海を南の海」と名付けることに。

そして1510年までにスペイン人は「サンタ・マリア・ラ・アンティグア・デル・ダリエン」 という街を現在の「チョコ県」に建設、1536年からは征服者ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサダがボゴタに遠征・占領して要塞を形成。
ケサダはボゴタを「サンタフェ・デ・ボゴタ」と改め、これ以降はスペインの支配拠点が確立されることに。

スペイン支配下時代・独立への戦い

スペイン支配下時代・独立への戦い

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16世紀になると「カルタヘナ・デ・インディアス(カルタヘナ。
コロンビア北部・ボリーバル県の街)」はスペイン帝国における重要な投錨地(とうびょうち。
船のいかりを下ろす場所)に発達、ここではポトシ銀山(ボリビア南部・ポトシにある銀山)などの銀、エメラルドなどの輸出港に。

19世紀はじめになるとベネスエラ、ラ・プラタ地域(アルゼンチン・ブエノスアイレス州の州都)での独立運動の中で独立戦争が勃発、スペイン軍と独立派の戦いに。
1806年からは1806年からベネズエラの革命家フランシスコ・デ・ミランダ率いる解放軍によりベネスエラ総督領から解放戦争が始まると「ヌエバ・グラナダ副王領」でも独立戦争が開始。
人々は立ち上がり始めます。

人々が立ち上がり始めると1810年7月にアントニオ・ナリーニョが副王を追放、「クンディナマルカ共和国」の独立を宣言してカルタヘナは「カルタヘナ共和国」の独立を宣言。
翌1811年にはカルタヘナを中心に「ヌエバ・グラナダ連合州」が成立すると軍隊の指揮権などはボゴタが持つことに。

その後も続く戦い

その後も続く戦い

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「ヌエバ・グラナダ連合州」が成立したあとも戦いは続きます。
ナリーニョと軍人フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデルは、革命家シモン・ボリーバルを統領とするベネスエラ人独立勢力らと協力してスペイン軍と戦い、ボリーバルも1813年にはベネスエラを解放することに。

しかし本国でフェルナンド7世が復位してスペイン軍が勢力を増すと1814年2月にボゴタは陥落、ナリーニョはスペインに連行・投獄。
その後はカルタヘナを拠点にスペイン軍と戦いボゴタを奪還しますが、1815年6月にカルタヘナで起きた王党派の蜂起に敗れると、ボゴタはスペイン軍により陥落。

しかしボリーバルは挫けません。
ハイチの初代大統領アレクサンドル・ペションから物質的な支援を受けることになると、1818年にはのちにベネズエラ大統領となるホセ・アントニオ・パエスの力を借り、翌年にはアンゴストゥーラ(現在のベネズエラにあるシウダ・ボリバル)を臨時首都とする「ベネスエラ第三共和国」を建設することに。

またこの年はボゴタ近郊において「ボヤカの戦い」が勃発。
この戦いで独立軍が勝利するとボゴタ、ヌエバ・グラナダは解放、ボリーバルは「コロンビア共和国」建国を正式に宣言、ここでコロンビアの首都も「ボゴタ」に決定。
戦いが終わるとボリーバルはベネスエラ解放も進め「カラボボの戦い」勝利により解放。
1820年には現在のコロンビア、ベネスエラなど北部南米一帯を占める大国家になります。

「コロンビア共和国」建国後の混乱

「コロンビア共和国」建国後の混乱

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大国家「コロンビア共和国」建国後は再び大きな混乱が発生します。
1821年9月にボリーバル副官を務めていたサンタンデルは共和国副大統領として大統領の代わりにヌエバ・グラナダを治めていましたが、1827年にボリーバルが帰還すると政治方針を巡って対立。
(中央集権主義者と連邦主義者の対立)。
サンタンデルが1828年にボリーバル暗殺を謀って亡命するとコロンビア・ペルーの戦争も勃発。
コロンビア分裂を避けようとするボリーバルでしたが自体は良い方向に行かず、ベネズエラは独立を要求。
最終的にベネズエラは1830年に完全独立することとなり、翌1831年にはコロンビア共和国も崩壊してしまいます。

共和国崩壊後に成立した「ヌエバ・グラナダ共和国」では1832年にサンタンデルが帰国して大統領に就任。
このころは連邦的な政治が行われるようになり、1849年には商人など連邦派による「自由党」、貴族や大地主などを基盤とする「保守党」が結成。
これで二大政党制が確立することに。
その後1849年4月1日にホセ・イラリオ・ロペスが大統領に就任すると奴隷制廃止などを掲げる「自由主義政策」を採用、1880年まで自由主義政権が続くことに。
こうしてできた自由主義政権では「自由貿易」も導入されることになります。

その後1880年に就任したラファエル・ヌニェスは1884年に再選されると連邦制を廃止しようとし、カトリック教会の政治・教育参加を認め自由主義者による内戦が勃発。
ヌニェスはこの内戦に勝利すると「リオ・ネグロ憲法(1863年に反乱の平定・国内安定のために制定)」を放棄、中央政府の権限拡大など中央集権的な憲法改正を行い「コロンビア共和国」が成立します。

激化する対立・ガイタン主義


ヌニェス政権で「コロンビア共和国」が成立して以降も自由・保守両党による対立はヌニェスの死後に激化。
1899年には自由党急進派ラファエル・ウリベ・ウリベの蜂起で「千日戦争」が勃発。
戦争が1902年に終結するとアメリカはパナマ地峡の独立派を援助、1903年に地峡地帯はパナマ共和国として独立することに。

国内経済では1929年の「世界恐慌」により保守党時代が終焉。
1930年にエンリケ・エラヤ・エレーラ当選により自由党政権が復活すると1932年9月に「コロンビア・ペルー戦争」勝利により「レティシア(コロンビア最南部・アマソナス県の県都)」領有権を確保。
その後1934年に就任した自由党アルフォンソ・ロペス・プマレホによる土地改革なども実施されますがプマレホは1945年に政策失敗により辞任。
なかなか政権は安定しませんね。

こうした状況で登場したホルヘ・エリエセル・ガイタンはユナイテッド・フルーツ社による「バナナ労働者虐殺事件(1928年)」批判で注目された政治家で、彼が掲げたポプリスモ(人民主義)的「ガイタン主義」は寡頭支配(大半の政治権力を特定少数の人物が握る)体制の外に置かれた農民、労働者などから圧倒的支持。

大規模な「ボゴタ暴動」・市民虐殺

大規模な「ボゴタ暴動」・市民虐殺

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農民などから圧倒的支持を得るガイタンが「ガイタン主義」を掲げる中、国内ではテロが相次ぐことに。
1946年に保守党政権が誕生してからは保守党派から自由党派に対するテロが展開され、1948年にはボゴタでの「OEA会議」中にガイタンが暗殺、自由党派と保守党派の市民が衝突する「ボゴタ暴動」が勃発することに。
この暴動は地方にも拡大したことで20万人に及ぶ大惨事となり、1953年に政権を握ったグスタボ・ロハス・ピニージャによって一応終息へ向かうことに。

しかしその裏ではロハスが人民弾圧を行った地主達に恩赦(裁判で決まった刑罰を特別な恩典によって許す、軽くすること)を持ちかけたことで農民の怒りを買い、1956年2月5日にはロハスに対する抗議デモが発生。
このデモでは参加者が「ロハスに敬意を払わない」という理由で市民虐殺(牛の首輪事件)に発展。
事件理由の「敬意を払わない」というところは非常にあいまいな基準にも見えますね。

ゲリラ活動の活発化・平和への道

ゲリラ活動の活発化・平和への道

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長い間対立を繰り返した自由・保守の両党ですが、1958年にはこれまでの姿勢を変えることに。
この年になると両党は4年毎に政権を交替する連立政策「国民戦線」体制を確立。
どちらにとっても対立が続くのは「自分たちの身が危ない」と考えたのでしょうかね。

しかしこれ以降も国内情勢は混乱続き「ゲリラ活動」が活発化、反政府ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」が1966年、学生中心の「4月19日運動(M-19)」が1973年に発足。
その後フリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラによる反政府活動の弾圧を経て、1982年に就任した保守党ベリサリオ・ベタンクール・クァルタスは左翼ゲリラ勢力と政府の和平を進めることに。

1985年には「コロンビア革命軍(FARC)」が「愛国同盟(UP)」を創設して国政に参加しますが議員や関係者が暗殺、1989年には犯罪組織「メデジン・カルテル」の登場や大統領が犯罪組織「カリ・カルテル」から選挙資金を受け取った「ナルコ・ゲート事件」などが発生。
政治家まで巻き込んだ事件が起こってしまっては、「平和の道のり」は遠いように見えますね。

こうした様子が変わり始めるのは「コロンビア革命軍(FARC)」への強硬策を打ち出したアルバロ・ウリベが大統領に就任後(2002年)。
政権下では2008年の革命軍(FARC)掃討作戦など治安回復を重点課題とした政策を実施、これが殺人や誘拐件数が減少するなど効果を発揮。
その後引き継がれたフアン・マヌエル・サントス政権では革命軍(FARC)との和平交渉が行われるようになり、サントスは2016年のノーベル平和賞を受賞。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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