現代食生活に欠かせない画期的商品「インスタントラーメン」が歩んできた歴史とは?

現代の食生活で欠かせない食品の1つになっている「インスタントラーメン」。固まった麺にお湯を注ぐだけで暖かいラーメンが食べられる画期的商品は1950年代に開発されてから普及を続け、現在では世界中で食べられる大ヒット商品に成長しました。それではそんなインスタントラーメンにはこれまでどのような歴史を歩んできたのか、歴史やデータなどから見てみましょう。

歴史の始まりは1953年

歴史の始まりは1953年

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現在あるインスタントラーメンの歴史が始まったのは1953年。
この年当時の「村田製麺所(現在の都一(みやこいち)株式会社)」が即席麺を製造する「屈曲麺製法」を開発。
これは「小型装置で作り出された屈曲麺を蒸気加熱室に通過させて加熱糊化(こか)」させる方法で、この装置の開発により屈曲する麺線を大量生産することが可能に。

それから2年後の1955年。
食品製造会社の「松田産業(現在のおやつカンパニー)」が即席麺製品として「味付中華麺」を発売。
これが世界初の「インスタントラーメン」になりますが、この商品は商業的ヒット作にはならず。

しかし会社の人々はこの開発を無駄にはしませんでした。
この製品の製造・乾燥する過程で生まれた麺のかけらが落ちるのを見た会社の創業者・松田由雄は「廃棄するのはもったいない」と考え再利用することに。
この考えから生まれた商品が現在まで国民的人気を誇る「ベビースターラーメン」でした。
インスタントラーメンの開発としては失敗でしたが、その失敗は思わぬ大ヒット商品誕生のきっかけになったのです。
かけらとはいえ「食品を廃棄する」ことは「食を生み出す」仕事に従事する者として許せなかったのでしょうね。

「チキンラーメン」の誕生

「チキンラーメン」の誕生

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2社の実験が進められた後の1958年、ついに大人気商品が誕生。
この年の8月25日に日清食品の創業者・安藤百福(あんどうももふく)は一般的に世界初のインスタントラーメンとされる「チキンラーメン」を発表。
この商品は瞬く間に広まり、大ヒット商品としてインスタントラーメンを世に広める存在に。

この「チキンラーメン」開発に至るまでの百福は波乱の道を歩んできました。
数々の事業にかかわってきた百福は第2次世界大戦後にとある信用金庫の理事長に就任しますが、その信用金庫は1957年(昭和32年)に資金繰り悪化で倒産。
債務をすべて請け負った百福は大阪府池田市の自宅以外すべてを失う「無一文」になってしまいます。

再起不能ともいえる危機状態に陥った百福はここから上がる。
残された自宅の裏庭に小屋を建てるとラーメン開発を開始。
これは戦後の食糧事情を見た百福が「手軽に面が食べられる商品開発」を検討したことがきっかけで始めたもの。
この開発過程で夫人が挙げている「天ぷら」の製法を見た百福はこの方法をラーメンに応用、これが麺を油で揚げて乾燥させる「瞬間油熱乾燥法」に発展するのでした。
天ぷらとラーメンの製造法は全く関係がないように見えますが、まったく別の料理製造法を応用する柔軟さ・ひらめき。

ヒットに乗っかる企業出現・特許への道

ヒットに乗っかる企業出現・特許への道

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日清食品から「チキンラーメン」が発表されると、その流れに乗ろうとする企業が多数現れることになります。
こうした流れに乗ろうとする企業の中には悪質な企業も存在しており、中には「チキンラーメン」の名前・デザインをそのまま利用してしまう企業も登場。
悪質品が多数出回るようになってしまえば、商品の信用が落ちてしまいますから大変な事態です。

こうした状況で当然黙ってはいません。
1961年(昭和36年)に「チキンラーメン」の特許を取得、この特許取得により113社が警告を受けることに。
また商品名の商標登録に合わせて「味付け乾麺の製造法」についても特許を取得。
後者については1958年12月18日に東明商行の創業者・張国文が「味付乾麺の製法」として特許出願したものですが、会社はこれを買い取る形で特許申請。
こうした抗争は大ヒット商品にはつきものと言えます。

他社にも製造方法が公開される

他社にも製造方法が公開される

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粗悪品に対する厳しい姿勢を打ち出した百福ですが、1964年(昭和39年)になるとその姿勢は柔軟に。
この年百福は「日本ラーメン工業協会」を設立することになったためです。
この協会は「即席麺等の品質向上・企業の合理化を通じて国民食糧の確保・食生活の改善合理化」などを目的とする団体で、この団体設立により、これまで1社独占状態であった製造方法を他社にも公開する方針に。

このときの百福は「製法を独占して自分たちだけが栄えるより、他社にも技術提供して事業発展した方が良い」との考えを表明。
こうした百福の判断もありインスタントラーメン業界にはさまざまな会社が参入。
現代までに発売されるさまざまなラーメンが世に出てくることとなります。

世界初のカップ麺「カップヌードル」

世界初のカップ麺「カップヌードル」

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画期的な「インスタントラーメン」の開発後も新たな商品開発は続きます。
自身が開発した「チキンラーメン」を世界展開しようと考えていた百福は1966年(昭和41年)欧米への視察に出ることに。
この視察時にアメリカのスーパーマーケットを訪れた百福はバイヤーがラーメンを2つ折りにした光景を目撃、さらにバイヤーは2つ折りにしたラーメンをフォークで食べていたのです。
日本であれば「ラーメンは箸で食べる」というイメージがありますが、その視点で見ればバイヤーの食べ方はたいへん「カジュアル」な食べ方ですね。

この光景を見た百福はひらめきます。
1970年(昭和45年)にアメリカで現地法人を設立すると翌年に世界初のカップ麺となる「カップラーメン」を発表。
人々の何気ない生活の様子を見ること、固定概念にとらわれない思考の柔軟さが再び画期的商品を生み出したのです。

発売当初は販売に協力的な問屋がおらず苦戦を強いられますが、1972年(昭和47年)に発生した「あさま山荘事件」で現場に出ていた機動隊員がラーメンを食べる姿が報道されると瞬く間に注目を集めることに。
注目されるきっかけが「日本史を揺るがす大事件」というところは複雑な気分かもしれませんが、商品宣伝にはプラスにはたらくこととなりましたね。

80年代の高級志向・健康に配慮した商品

80年代の高級志向・健康に配慮した商品

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インスタントラーメンが一般的な存在になると「高級志向」の商品を打ち出す企業も増えてきた。
1980年(昭和55年)に東洋水産が発売した「力一杯」は価格300円での販売となり袋麺70円、カップ麺130円が相場とされていた当時としては異例の高価格と言えますね。
その後も高価格ブームは続き、翌1981年(昭和56年)に明星食品が発売した「中華飯店」も280円、300円と高めの値段設定。
1982年(昭和57年)には「麺皇(メンファン。
日清食品)」、「華味餐庁(かみさんちん。
東洋水産)」、「楊夫人(マダムヤン。
ハウス食品)」とこの時代は次々に高級志向の商品が登場。

高級志向の一方で健康志向の商品も登場。
1983年にエースコック株式会社が発売した「わかめラーメン」はミネラル・食物繊維を豊富に含む「わかめ」に注目した画期的商品となり、現在では「ごま・みそ」や「三島のゆかり仕立て」のラインナップを揃えるロングエラー商品に成長。
同社ではアミノ酸「GABA」を配合した日本初の機能性表示食品カップ麺「だしの旨みで減塩」シリーズも発売。

宇宙にも展開される時代へ

宇宙にも展開される時代へ

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インスタントラーメンは地球を飛び越えた宇宙にも行きます。
日清食品は「JAXA (宇宙航空研究開発機構)」と2005年にインスタントラーメン「スペース・ラム」を共同開発、これがこの年打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー号」に搭載され宇宙へ進出。
この開発は創設者・百福の「人間はどこへ行っても食べなければならない。
それは宇宙でも同じ」という考えから始まったもので、百福の飽くなき探求心が現れています。

この宇宙用ラーメン開発においてはシャトルに搭乗した野口聡一氏の希望により「しょうゆ・カレー・みそ・とんこつ」の4種類をそろえ、シャトル内で給湯可能な上限である摂氏70度で戻るように作られた麺、シャトル内で面が飛び散ることを避けるために特製の樹脂パックに密閉(麺も飛び散りを防ぐための塊状麺)。
特殊な環境下で食べる食品開発は困難を多くともないことでしょうが、日清は見事に実現させました。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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